青空と笑顔 〜おはなのおはなし番外編〜


「それじゃあ、本当に久しぶりのお休みなんですね」
「うん。それでな、俺みんなで行きたいところがあるんだけど」
 柔らかい日差しが降り注ぐリビングで、お手製のチーズケーキを頬張る少年に、翡翠の瞳を細めて八戒はマグカップをテーブルへ置いた。
「行きたいところ?」
「うん、寺を下った沢にさすげー綺麗な花が咲いてるとこがあるんだ。三蔵疲れてるから、そういうとこの方がいいかなと思って」
「でもそれなら、二人で行った方が良いんじゃないですか?」
 本当を言えば、一も二もなく受けたい誘いだが、少年の保護者たる有髪の最高僧を思い浮かべ、八戒は曖昧な笑みを漏らした。
 彼が目の前の少年を何よりも大切に想っている事はよく知っている。もっともそれを認める事を、彼は決してしないだろうが…
 だからこそ、たまの休みに自分たちが一緒では、良い顔はしない事も八戒には分かっていた。
「うん、それはそうなんだけどさ…二人だと俺絶対に、三蔵に話し掛けたりしちゃって、三蔵休めないと思うんだ…だから、その…」
 しどろもどろに言葉を繋ぐ悟空に、改めて八戒は少年の中にある三蔵の大きさを知った。
 全てにおいて、悟空の最優先事項は「三蔵」なのだ。自分の我侭を押し隠しても…
 それならば自分たちに出来ることも一つ。精一杯、悟空に協力する事。
「それじゃ、三蔵に元気になってもらう為にも、美味しいものを沢山作りましょうね」
 ただ少しだけ、こんなにも深く想われている彼が、羨ましいとも思う。


「で、俺の居ないトコで、そういう話になったのね」
「ええ、ですから明後日は予定を空けておいてくださいね」
「ま、しゃぁねえか、他ならぬ小猿ちゃんの頼みとあっちゃな」
 そう言ってプカりと紫煙を吐き出した悟浄を、八戒はにこやかに見つめた。目の前の青年が、自分と同じように悟空を可愛がっている事はよく知っている。
 ただ悟浄もまた三蔵と変わらず、それを認める事はしないのだけれど…
「それにしても、明後日とはなぁ」
 煙草を咥えたまま天井を仰いだ悟浄に、八戒は首を傾げた。
「9日だろ明後日」
「ええ…」
「それって、悟空(59)の日じゃん」
「あ……偶然、ですよね」
「分からねえぞ、なんせあの三蔵法師様だからな」
「あはは」
 そんな事を言いながら互いに顔を引きつらせ、こうして二人の夜は更けていった。



「おー!ピーカン」
 玄関先で悟浄はその長身を更に伸ばして、両手を上げた。
「悟浄、ジープにこれ運んでください」
「らじゃ」
 奥から掛かる声に答えて中へ戻っていくと、テーブルの上には巨大な重箱が鎮座していた。
 昨夜遅くまでかかって仕込み、早朝から作られた八戒のご馳走の数々が、なんとなく複雑。
―――― 俺の誕生日より豪華だよな…
「何か言いました?悟浄」
「なーんも、急ごうぜ小猿ちゃんが首長くして待ってるぞ」
「そうですね」
 新緑の木々の中、軽快な音を立ててジープが出発した。


「こんにちは三蔵、悟空」
「オッス!お二人さん」
「八戒、悟浄!いらっしゃい」
 執務室の扉を開ければ、飛びつかんばかりの勢いで悟空が駆け寄ってきた。見えない尻尾を千切れんばかりに振った仔犬のようなその姿に、訪れた二人の頬も自然と緩む。
「お久しぶりです三蔵。今日は図々しくお呼ばれされました」
「ふん…」
 その人の良い笑顔さえも一蹴して、少年の保護者だけは煙草を咥えながら鼻を鳴らした。
「三蔵っ!早く、行こうよ。ね、ねっ!」
「分かってる、そう引っ付くな」
 三蔵の法衣の裾を握り、ピョコピョコと飛び跳ねる養い子に、普段であれば炸裂するはずのハリセンが、今日は出てこない事に、八戒がくすりと忍び笑いを漏らした。


 重箱を抱え、少年の道案内で寺院を下りた四人を出迎えたのは、涼しげな風がふわりとなびく濃紫の花園だった。
「これは…」
「また…」
「な、すげーだろ」
 嬉しそうに胸を張る悟空に、三人は小さく息を吐き、けれどその中に同じように湧き上がるのは、満ち足りた思いだった。

 沢一面に広がる花菖蒲の群を見つけた時の悟空の顔が鮮やかに蘇るようで、沢地の脇に敷いた毛氈に腰を下ろした八戒は、隣で煙草を咥える三蔵に、視線だけは先で悟浄と共にはしゃぐ悟空から外さずに話し掛けた。
「悟空、本当は二人だけで来たかったんですよ。ここに」
 彼の返事は無い。けれど話は聞いているのだ。
「でも言ってました。二人だけで来れば、きっと貴方の気が休まらないからって」
 そんな事無いのに。
 最後にそっとそんな事を呟いて、ちらりと隣の彼を見ればいつもよりずっとずっと、穏やかで暖かい柔和な面差し。
「猿の気遣いはその程度だろ」
 それはまるで照れ隠しのようで、八戒の瞳がすっと細くなる。
「でも、伝わってますよね。悟空の気持ち」
 それにやはり返事は無く。けれどゆっくりと咥えた煙草を吸い終る頃。
「じゃなけりゃ面倒なんか見ねぇよ……あんな、喧しい猿」
 それは本当に小さな声だったけれど、じわりと八戒の心を暖かくした。

「八戒、腹減ったよ。メシ喰おう、飯っ!」
「そうですね。たくさん作ってきましたからね、お腹一杯食べてください悟空」
「うんっ!!」
 食べて、はしゃいで、笑って。
 清かな季節の、たった一日ではあるけれど、その日は誰もが楽しそうで…けれど一番驚いたのは、三蔵の懐からただの一度も、鉛色の銃身が顔を出さなかった事かもしれない。

「八戒、今日はご馳走様でした。凄く美味かった、八戒の弁当」
「いいえ、こちらこそお呼ばれ、ありがとうございました」
「悟浄も、ありがとう」
「おう」
 遠くの山の稜線が黄昏色になる頃、参道に伸びる四つの影がそれぞれ二つずつに別れて行った。



「三蔵…えと、あの…ありがと、俺すごく楽しかった」
 八戒の弁当をたらふく食べた悟空は、しかし寺で出された夕餉もしっかりと平らげ、至福の表情で風呂から上がって来た。
 三蔵は寝室の窓辺に置かれたソファに座り込み、やはり煙草を吹かしている。が、ふとその紫暗が悟空に向けられ、何も言われなくとも少年は彼の元へ歩み寄った。
 咥えていた煙草を灰皿に押し付け、けれど一言も話さずに三蔵は己の養い子を見つめた。
 その吸い込まれそうな視線に、先に耐えられなくなったのはやはり悟空。
「三蔵…どう、した…の?」
 少しの不安を滲ませて、悟空が言葉を紡いだ。そして、漸く三蔵が口を開く。
「今日は、楽しかったか」
 静かに問われて、悟空はただこくりと頷く。
「本当に、楽しかったか」
 それは決して、きつい言葉ではなかったけれど、悟空には三蔵が別の答えを求めているように聞こえた。そして、秘めていた思いを悟空は小さく声にした。
「楽しかったのは本当だよ。でも…」
 一度言葉を飲み込んだ悟空、しかし三蔵はじっとその続きに耳を傾けた。
「本当は、三蔵と二人だけで…居たい」
 そう呟いた悟空の身体が、ゆっくりと引き寄せられた。三蔵を跨ぐように向かい合わせで座らされ、悟空は仄苦いその胸元へ頬を押し付けられた。
「言いたい事ははっきり言えと、教えたはずだ」
 二人で居たいのなら、素直にそう言えばいい。
 声には出さない三蔵の言葉の意味を理解して、悟空の顔が花のように綻ぶ。
「うん…」
 そして、嬉しそうに頬を摺り寄せた。幼さの残るその仕草に、三蔵の口元がついと上がる。
「もう寝ろ。はしゃぎすぎて疲れただろ」
 そっと背中を叩かれ、その心地よい振動と耳から伝わる三蔵の鼓動が、悟空を眠りへと誘(いざな)った。
「…ねぇ、さんぞ」
 忍び寄る睡魔に小さく抗って、囁くように悟空が話し掛ける。
「今度の、休みは…ふたり……一緒…」
 寝息と共に紡がれた、ささやかな悟空の願い。

―――― ただ、三蔵だけが居てくれればいい

 本当は願わなくとも叶っているその願いに、この愛し子はいつ気付くのだろう。
「だからお前の面倒は、俺しか見れねえんだよ」
 安らいだ寝顔を晒すその身を抱え上げ、同じ夜具に包まって漸く訪れた二人だけの時間に、微かに笑って三蔵もまた眠りの淵を下りていった。


花淋さま/Reincanation


 悟空が健気で可愛くて、ほのぼので甘くて、もう大好きです。こういうお話。
 今までこっそりと訪問していたのですが、このFreeNovelがとても欲しくて、「初めまして」のご挨拶の後にいきなり「ください」というメールを送りつけてしまいました。礼儀知らずで申し訳ありません、花淋さま。それなのに掲載許可を頂きまして、ありがとうございました。
 今度は二人きりで特別な一日が過ごせますように。思わずお祈り(笑)