これが性分だと解っていても、歯がゆい思いはある…
 その度に、お前を悲しませているようで…


Silent Voice


「何をどうしたって、明日の朝にはここを出る。俺たちは遊びに来てんじゃねえんだ」
「そんな事、解ってるよ…でも」
「解ってんなら、ぐだぐだ抜かしてんな」
「でも…明日は…」
「いい加減にしろよ猿。何なら、てめえだけ残るか」
「三蔵!それはあんまり…」
「そうだぜ、そりゃちょっと言いすぎだろ、おい」
「い…よ。も、解ったから…」
「悟空」
「おい、悟空」
「ちょっと、頭冷やしてくる…」
「悟空!」
「ほっとけ!」

 それは、数刻前に交わされた会話。それっきり、その部屋は静かなままで、いつもならとっくに聞こえてくるフレーズも無く、外の喧騒とは遠くかけ離れて空気が重い。
 長安を旅立って、西へ近付くほどに街の景色も文化も変わる。
 今日辿り着いたこの街も、神の子の聖誕祭を明日に控え人々の顔も気持ちも、浮き立って見えた。
「だからと言ったって、もう少し言い様があるでしょう」
 誰に言うでもない言葉を発して立ち上がった青年は、部屋の隅に置かれた荷物からコートを出すと、自分もまた上着を着込んで扉へ向かった。
 部屋を出る時、その人に向けられた剣呑な視線は、果たして効果があったのか無かったのか…



「ずっと好きじゃなかったんだ…この時期って」
 目の前の煌びやかなツリーを見上げながら、悟空はポツリポツリと話し始めた。

 三蔵に連れられて辿り着いた其処は、けして居心地の良い場所では無かった。
 己が持つ金晴眼、強大な妖力。自分の存在全てが、其処にとっては忌むべきものだった。
 そして、一年のうちで新年の準備が始まるこの時期は、完全に自分は抹殺されるのだ。普段顔を合わせれば嫌味しか言わない僧徒の誰もが忙しく動き回り、自分の前をただ素通りしていく。
「初めの頃は飯も忘れられて、三蔵がすっげー怒ったんだ」
 肩に掛かったコートの温もりに、悟空は小さく笑った。
「三蔵も仕事なかなか終わらなくって…話も出来なかった」
「悟空…」
 出逢った時から常に笑顔を絶やさない少年の、消える事のない痛み。八戒ですら掛ける言葉が、咄嗟には出てこなかった。
「八戒や悟浄にクリスマス、教えてもらってすごく嬉しかった…嬉しかったけど」

 寂しさは、消せなかった――――

 飲み込んだ本当の言葉。紡いだのは偽りの気持ち。
「八戒、今夜部屋変わってくれる?」
「悟空」
「今日は、三蔵の顔…見らんないよ」
 それでも八戒には、悟空の心が伝わってきた。
 悟空は、ただ過したかっただけなのだ。ただ傍に…居たかっただけ。
「三蔵は…三蔵は本気で悟空にあんな事を、言ったんじゃありませんよ」
 その弁護は本意ではなかったけれど、八戒には他に言える事が無かった。
「うん…解ってるよ、八戒。でも今夜はきっと、三蔵怒ってるから…」
 そう言って振り返った悟空の顔に、結局八戒は頷いて宿への道を黙って二人引き返した。


「いいんですか?」
 部屋の前で念押しのように聞かれたそれに、悟空はこくりと首を縦に下ろした。それに内心で嘆息して、八戒は「おやすみなさい」とドアノブを回して中へ消えた。
 軋んだ音を立てて僅かに開いた隙間から滑るように身を入れた悟空は、暗い部屋を足音を立てないようにベッドへ近付き、そのまま布団をすっぽりと被った。
 固く閉じた瞼、小さく震える肩、歯を食いしばり必死で眠りを追いかけ始める。
 明日の朝、一番に三蔵に謝ろう。寺院に居る時と違って、今はいつも一緒に居られるのだ。クリスマスを特別な日にする必要は無い。ただそれだけを自分に言い聞かせた。

「悟浄?」
「お疲れさん」
 その頃隣の部屋では、八戒が自分を見上げる緋色の瞳を、驚いたように見つめていた。
「ペットの事は何でもお見通しってやつっしょ」
 彼の口元を飾るのは、揶揄いではなく苦笑い。
「本当に…すさまじく不器用な人ですね」
 まったく以って、それが全て。



 隣から聞こえる穏やかな寝息に、衣擦れの音が重なった。
 きしりと響いた硬いスプリングの音に眉を寄せて、三蔵は少年の顔を窺った。
「まだ、不安なのか…」
 一日に特別な意味を持たせなければならない程。
 誕生日もクリスマスも、一年のうちの一日でしかないのに。そこに意味が無くとも、共に在るという事実が違う事はないのに。
「どうすれば…」
 否、悟空の不安の原因も、解決法も解っている。
 
 己の言葉一つ――――

 いつの時も少年が願うのは「傍に在る」事。
 悟空自身も解ってはいるのだ。たとえ三蔵が多くを語らずとも、同じ想いで居る事は…
 けれど時折、些細な事ではあるけれど、それは頭をもたげてぽっかりと口を開けては、悟空を飲み込もうとする。
「失った過去…俺ではない手」
 苦い呟きと共に指先がまろい頬を辿る。伝わる熱は暖かいのに、流れ込んでくる波動は凍えるほど冷たい。
「手のかかる猿」
 溜息を零して、静かに隣へ身を滑り込ませると薄い肩を抱き寄せた。
「さん、ぞ…」
 意識の無い呼びかけにあやすように背中を叩いてやれば、甘えるように擦り寄る身体。
 こんな風に己に触れさせるのは、後にも先にもこの愛し子一人。
「あったけぇ…」
 じわりと広がる暖かさは、けして一人では得られない安息。
 悟空だけが与えれくれたもの。
 
「クリスマスは太陽の生誕日とも言われるんですよ」
 唐突に翡翠の青年の言葉を思い出した。らしくないとは思う、それでも腕に抱く悟空の不安が消えるのなら。
「メリー…クリス、マス……離れるんじゃねえぞ、悟空」
 胡桃色の頭に口唇を寄せた。



 温もりの中で目覚めた悟空は、数瞬状況が把握できなかった。
 固まったまま瞬きを繰り返し、ぎこちなく顔を上げる。金糸に縁どられた美しい寝顔に、悟空の口元が綻んだ。
「さんぞ…」
 何も言ってくれないからとても不安だった。特別な事を嫌う事も知っている。どうしようもなく自分が我が侭な事も。
「でも…解ってくれてた。俺の事」
 背中に回された腕が、離れるなと言っているようで、離さないと言ってくれているようで、
「メリークリスマス、三蔵…大好きだよ」
 囁いて、また広い胸に顔を埋めた。
 悟空を抱く腕に少しだけ、力が加わった。

 
 ここは俺だけの場所って解ってるけど
 でも、やっぱり、時々は言葉が欲しいな…
 三蔵――――


  
 窓の外に広がる銀世界に、二人が気付くのはもう少し後の事。


花淋さま/Reincarnation


花淋さまのサイトからクリスマスフリーの小説をいただいてきちゃいました。
うちトコ、クリスマスらしいものがなかったので、ラッキーvてな感じで。
しかし、本当に不器用なヒトですね、三蔵サマ。言わなくても伝わるでしょうけど、少しは言葉に出してあげてくださいね。ほんの一言。たぶんそれだけでいいんでしょうから。
花淋さま、ステキなお話、ありがとうございました。