瞼の奥を照らす光彩。
 ゆっくりと意識が浮上して、三蔵はゆるゆると瞳を開いた。
 身体を包む気だるい感覚は、昨夜の名残。僅かに面を下に向け、己の腕の中で眠るその存在に、彼の紫暗がふっと柔らかくなった。


遅く起きた朝は…


 五行山から連れ帰った頃から、少年は何より孤独を恐れていた。
 その所為もあって、身体を寄せ合って眠る事は、二人にとって珍しい行為ではなかったのだが…

 それが昨夜、特別な意味を持った。

――――いいのか?止めるなら今だぞ

――――俺は、ずっと三蔵の傍に居たいよ

 二人の心と身体が一つに結ばれた。


「夕べとはえらい違いだな」
 養い子。否、小さな恋人は未だ深い眠りの中。まるで寓話の中の、王女のように。

――――さん、ぞぉ…

 自分の下で透明な涙を零し、繰り返し三蔵の名を呼んだ悟空。
 それでも、その表情が苦痛に歪んだのは、ほんの一時で、上気した頬と甘える声が、自分と同じように悟空もまた、快楽の水底に堕ちているのだと三蔵に教えていた。
 そこかしこに残る、朱い所有の証。
 一つ一つ指で辿り、最後に薔薇色の口唇に軽く己を重ねて、三蔵は静かにベッドを下りた。
 寝室の隣に設けた小さなシンクで、自らコーヒーを淹れる。辺りを包む独特の香りが三蔵の鼻を擽り、その口元が微かに上がる。と、
「さんぞぉ…」
 舌足らずに呼ばれて振り返ると、目元を擦りながら起きてきた愛し子は、きゅうっと三蔵の腰に抱きついてきた。
「起きたのか」
「だって、さんぞ…居ない、から」
 拗ねた口ぶりで額をこすりつける幼い仕草に、三蔵の手があやすように背中を叩く。
「コーヒー淹れてただけだ。何処も行きゃしねえよ」
「うん…ねえ、俺も何か飲みたい」
 見あげる蜂蜜色の甘さに、三蔵の瞳が細くなる。
「ベッドへ戻ってろ、持っていってやる」
 囁いて鼻の頭にキスを贈ると、悟空の顔に薄紅の花が咲いた。

 両手にマグカップを持って寝室へ戻ると、悟空はベッドで丸くなっていた。
 サイドテーブルにカップを置き、屈みこんで顔を覗き込む。
「悟空…」
 耳元で囁くと、ふるりと睫が震えて、ゆっくりと金瞳が現れる。
「飲むのか」
 静かに問えば、こくんと頷いて身を起こす。その背を支えてやりながら、サイドテーブルに置いたマグカップを渡してやった。
「美味し…」
 口の中に広がるミルクの甘みに、悟空がはんなりと笑い、三蔵は眩しそうに、目を細める。
「身体は辛くないか」
「ん、ヘーキ」
「そうか」
 穏やかでゆっくりと流れる、朝のひと時。三蔵の胸に背を預け、他愛の無い会話を交わす。
 誰にも見せない顔で、誰にも聞かせない声で、三蔵が自分の直ぐ隣で笑っている。
 嬉しくて、悟空は甘えるように広い胸に頬を寄せた。
「もう少し寝ろ」
 三蔵は低く呟くと、悟空の手からカップを取り、胡桃色の髪を梳きだした。
「で、も…」
 言いよどんだ小さな恋人の声にならない声。不安を拭うように、三蔵の言葉が続く。
「今日は一日、傍に居てやるよ」
 悟空が三蔵を見上げる。
「ホント?俺が起きるまで、ずっと?」
「ああ」
 太陽の花が咲いた。飛びつくように三蔵の首にかじり付くと、その拍子に二人してベッドへ転がる。
「バカ猿」
 軽く頭を小突かれると、悟空が声を上げて笑った。
「今日は一日中一緒?」
「そうだ」
 苦笑交じりで答えてやると、嬉しいと言って悟空の腕が廻る。
 その細い身体を寝やすいように身の内へ収めると、三蔵の指がそっとその髪へ差し入れられた。
「三蔵」
「何だ」
「大好き」
 蕩けるような金瞳に誘われるように、三蔵がこめかみにキスを落とす。
 至福の内に微睡みが、恋人たちを包み込んだ。




 そんな夢を見ていた。
「さん、ぞ?」
「起きたか」
「ん…」
 三蔵の腕の中で身じろいだ悟空は、二、三度目を瞬かせ、
「のど、渇いた」
 舌足らずに強請ると、見つめていた紫暗が緩んで大きな手が頭を撫でた。
「待ってろ」
 一言告げて、ベッドを離れる。その後姿を見つめながら、悟空は本当に幸せそうに微笑んだ。
 宿の備え付けでは、たいしたモノは無い。三蔵はペットボトルを一本持ってベッドへ戻ると、
「水しかねえぞ」
 と、悟空へ手渡した。
「ありがと」
 それを受け取り一口飲むと、何がそんなに嬉しいのか、笑みを絶やさずに三蔵へ擦り寄った。
「悟浄がさ言ってたんだ。三蔵は本当に、何にもしない奴だって、悟浄は知らないだけだよな」
 二人きりで迎えた朝は、悟空のどんな我が侭も三蔵は聞いてくれる。ただ、それを二人の仲間が知れば、「悟空の我が侭を聞かない三蔵なんて有り得ない」と、口を揃えるだろうが…
 それは、結ばれたあの日から変わる事のない、二人だけで過す時の三蔵の優しさ。
 この世でたった一人、悟空だけに向けられる。

「猿の世話で手一杯なのに、この上河童の世話まで誰がするってんだ」
「うん、俺と三蔵だけの秘密だよな」
 普段であれば顔を顰める「猿呼ばわり」も、この時だけは笑って流せるほど悟空の全身には喜びが溢れ、三蔵もまた何物にも変えがたい至福の時を感じていた。
 腕の中の温もりは肌で感じる以上に、三蔵の心を柔らかく包み込む。と、悟空が小さく彼を呼んだ。
「どうした」
「も、ちょっと…寝て、いい?」
 眦を擦りながら呟く悟空を愛おしげに見つめ、身体を横たえてやる。そして、当たり前のように胡桃色の髪を梳き始める三蔵の手。
「さんぞぉ…俺、起きるまで…ここ、居て…ね」
 寝息に混じって囁かれたその言葉に、キスで答える。
 蜂蜜色の瞳が三蔵を映し、ゆっくりと閉じていく。安らかな眠りを、と額に口付けしっかりと肩を抱いた。


――――隠し事は一人、秘密は二人


 浮かんだのは三蔵がまだ江流と呼ばれていた頃の、師の言葉。
「共有する秘密が増えると、結びつきも強くなるんですよ」
 楽しいでしょう。と、笑った顔が愛し子の笑顔と重なった。
「隠し事は一人…か」
 たった一人の存在が、こんなにも自分を満たす。それは告げる事のない、三蔵の隠し事。
 だから―――
 秘密を作ろう。これからも、二人だけで「二人だけの秘密」。

 囁きも表情も、見せるのは聞かせるのは…貴方一人だけ。



花淋さま/Reincarnation


花淋さまのところで70000打の代打のリクエストをさせていただきました。
「惜しかったんです」とメールしたところ、花淋さまが「自分で踏んぢゃったんで代打でいかがですか?」と言ってくださり。これを受けない手はないでしょうと、ずーずーしくも踊りながら、リクエストさせていただきました。はい。喜びの踊りを踊りながら(笑)
リクエストは「二人だけのヒ・ミ・ツ」
…お馬鹿? とかいう突っ込みは不要です。わかってますから。(おいっ)
前置きはともかく。
最後までご覧いただいた方はおわかりかと思いますが、甘〜い雰囲気に、もうメロメロになってしまいました。なんか読んでるだけで幸せな気分です。凄いですよね。あんなリクエストから、どうしてこんなに素敵なお話ができるんでしょう。
花淋さま、本当にありがとうございました。