一粒の恋




 鉛色の世界で、その人だけはキラキラと輝いて見えたんだ。

 暖冬だと、連日のニュースは言ってるけど、夜になればそれはそれでやっぱり寒い冬の一日。
 おまけに今日は夕方から降り出した雨がアスファルトを鈍く光らせ、通りを行く人々もコートの前をしっかりと合わせて、足早に通り過ぎていく。
 こんな日は家に帰って、あったかいお風呂とか、あったかい食事とか。誰だってそっちが良いに決まってる。
 カウンターの隅に腰掛けて、俺はぼんやりと外の景色を眺めていた。
「今日はこれまでですかねえ」
 そんな声に、ふと時計を見れば針は8時5分前。
「どうしよっか?八戒」
「そうですね…じゃあ、8時15分までがんばりましょう」
「りょーかい、マスター」
 開店時間は午前10時だけど、閉店時間はあって無いようなこの喫茶店は、バイトの俺とマスターの八戒で切り盛りしている。
 よくは知らないけど、八戒は別に生活のためにこの店をやってる訳じゃなさそう。人伝だから、ホントに良く知らないんだ。
 俺は、ま、小遣い稼ぎにここのバイト募集に応募した、高校二年生。
 接客なんて初めてだったけど、意外と向いてるかも。なんてこの頃思い始めている。
 毎日、学校が終わってから閉店までの、三時間ちょっとだけど色んな人がここを訪れる。
 八戒が淹れるコーヒーは本当に旨くて評判が良いし、実は料理もかなりの腕前なんだ。メニューにあるのは軽食程度だけど、常連さんだけに出す裏メニューは一流レストランにも負けないって言われてる。
 そんな訳で、小さなこの店には結構な固定客がついていて、それなりに繁盛しているんだ。
 とは言っても、やっぱり天気には勝てない時もあって、今日が正にその日って事。
「さて、いよいよ諦めましょうか、悟空」
「そだね」
 そう言って、俺がスツールから腰を上げた時。
―――カラン…
 入り口のベルが澄んだ音を立てた。
「いらっしゃい…ま、せ」
 俺きっと、凄い顔してたはずだ。
 だって、入って来たその人は、金色に光ってたんだもん。
「いらっしゃいませ」
「まだ、構わないか?」
「ええ、どうぞ」
 八戒とその人のやり取りなんて、右から左だった。
「悟空、注文を伺ってください…悟空」
「へ…あ!ああ、はい。ごめん、八戒」
 八戒の声に、俺は慌ててお絞りと冷やグラスを用意した。
「いらっしゃませ、ご注文はお決まりですか?」
「マンデリン」
「はい…あの、よろしければコートを、お預かりしましょうか?雨で皺になると大変ですし」
 俺の言葉に、その人は一瞬眉を寄せて、それから、
「…頼む」
 そう言って、手元に視線を落とした。
 俺は、失礼します。と席を離れ八戒に注文を伝えながら、煙草の匂いがするそのコートを、レジの脇に掛けながら、顔が熱くなっていくのを感じていた。

 店内を漂うコーヒーの香りと、その人が吸う煙草の煙。
 気づかれないようにその表情を伺うと、なんだかとても疲れているみたいな感じがした。
 眉間によった深い皺がとても苦しそうで、つられるように息を詰めていた俺に八戒が小さく笑いを漏らす。変な緊張に強張っていた肩の力を抜いて、俺は鼻の頭をかいた。
「悟空」
 俺を呼んだ八戒のその表情に、何故かこくりと喉が鳴った。
 ぎこちなくその人の席まで言って、
「あの…よろしければ、もう一杯いかがですか?」
 ああ、俺の声変に上ずってる。
 顔を上げ、怪訝そうな眼を向けられた。と、背後から
「お気になさらずに、サービスですから」
 三日月眉を下げた笑顔の八戒と、俺を交互に見比べて、
「遠慮なく」
 そう言って緩んだ綺麗な菫色の瞳に思わず釘付けになる。
「失礼します」
 空になったカップを下げて、カウンターに向かう俺の心臓は全力疾走した後みたいだ。
 どうなってるの?俺…
「はい、お願いします」
 八戒が出してくれた新しいコーヒーをトレンチに乗せて、俺はふとカウンターの隅に置いてあったパッケージを手に取った。
 中から取り出したのは一粒のチョコレート。
 銀のスプーンの上にちょこんと乗せて、上目遣いに八戒をみればいつもの優しい笑顔が頷いてくれた。
「お待たせしました」
 静かにカップをテーブルへ置くと、包みに気づいたその人が俺を見上げた。
「えと…バ、バレンタインですから」
 一瞬、紫の瞳が大きくなって、それから口の端が上がった。
 わっ!俺ってばなんて事。
「し、失礼します」
 逃げるようにカウンターへ取って返す。と、中の八戒はくすくすと肩を震わせていた。


「ありがとう、ございます」
 レジで代金を受け取りコートを手渡す、さっきの行動が恥ずかしくて顔も上げられない俺の頭の上から、
「お前、名前は」
 不意に掛けられた言葉に、弾かれたように顔を上げた。途端、あの綺麗な瞳をモロに見て、俺絶対体温が五℃は上がったはずだ。
「名前は?」
「あ、と…悟空―――孫…悟空です」
「あれもサービスか」
 その人の言う「あれ」に、暫し戸惑って、
「い、いえ、あれは、その、特別というか…その」
 しどろもどろの俺を見ながらその人は、ふうんという様な顔した。
「特別か」
 その一言を残して店を出て行く後姿に、俺は何も言えずレジの中で突っ立ったままだった。

「悟空」
 八戒の声で漸く現実に戻って、今度こそ閉店の片づけを始める。
 だけど頭は別の事、ううん、あの人の事でいっぱい。
 どうしよう、これって、やっぱり、アレだよね。
「一目惚れですか」
「うん…―――って、ええっ?!八戒?」
 そういうの誘導尋問って言うんじゃないの。
 俺はホウキとチリトリを持ったまま、顔を赤くしたり青くしたり。で、そんな俺を八戒はただただ、楽しそうに眺めていた。

 やっぱ、そうなのかな…
 これって、いわゆる――――恋の始まり?


→It continues March 14.



花淋さま/Reincarnation


花淋さまのところからバレンタインのフリー小説を奪取してまいりました。
…ってアップが遅いですが。すみません。
なんだが、とっても可愛らしいお話です。「これから」って感じにドキドキしますね。なんとなくピュアな感じなのです。
続き、気になりますよね。そちらもすでにお持ち帰りするつもりで虎視眈々と狙ってますが(…おい)、花淋さまのところにホワイトデーにアップされる予定なので、気になる方は伺ってみてくださいv