呼ぶ声に導かれて、小さなイキモノを拾った。
 自分勝手で、我が侭で、バカで大喰らいなそのイキモノは…

 実は寂しがり屋で泣き虫で、本当に言えばいい我が侭は言えない。
 それは、甘える事を知らない、小さな子供だった――――



special day



 薄く開けた窓から入る風が、リネンのカーテンを揺らす。
 紙面を滑っていた手が止まり、キシリと椅子が微かに軋んだ。

―――ダメだよ、三蔵はしつむ中なんだからな

 風に乗って聞こえる、それは自分だけが聞ける声。
 呼ばれ続けて探し始めた時は、見つけてぶん殴るはずだった。それだけのはずだった。
 連れて来たのは。
 見上げてくるその顔が、あまりにもバカみたいだったから。自分に向けられたその瞳が、真っ直ぐだったから。零れた涙に、この胸が確かに痛みを感じたから。
 始まった暮らしは、想像以上に体力を使い、精神を使い。ほとほと疲れ果てて、けれど、「手放す」という選択肢は浮ばなかった。

――――今日はいい天気だから、三蔵も外に出られればいいのにな…

 手ひどい仕打ちうを受けていたのを、随分後になって知った。
 ハリセンを振るう自分の事は棚に上げて、幼子を傷つける輩には容赦しなかった。何故かは解らないが。

――――三蔵は一人しか居ないのにな…びょーきになったら、三蔵の代わりは居ないのに

 だが、神仏の名代ではなく、生身の三蔵を求めるのも、案じるのも、その子供ただ一人だった。

――――俺、良い子でいるから…だから、置いてかないで

 留守の間に、心も身体も痛めつけられて、その命の灯火が消えそうになって初めて、彼の子が自分に与えるものの大きさと多さを知った。

――――俺以外に誰がお前の面倒を見れると思ってんだ。お前はデカい顔してここに居りゃいいんだよ

 傍に置く為にあらゆる手を使った。肩書きを利用した。
 特別な感情に裏打ちされた執着心に気づくのに、それ程の時間は掛からなかったように思う。





「何だかな…」
 仕事の手を休め、思うのは近頃飼い猿の事ばかりだ。

―――猿じゃねえ!俺の名前は悟空だっ!!

 それこそ猿の様に顔を真っ赤にして怒る。
 名前を呼ぶと、それは嬉しそうな笑顔を浮かべる。
 怒らせても、泣かせても、最後にはその笑顔が見たくて名前を呼んだ。
「悟空」
 と。

「確かに、退屈はしなくなったがな…」
 一人呟いて煙草を咥えると、一息吸い込んだ。
 背もたれに体重を預け、目を閉じると、聞こえるのはやはり子供の話し声。

――――今日は特別な日なんだぞ、今日はな俺の誕生日なんだ。三蔵が俺にくれた、誕生日なんだぞ

 見なくても解るその表情に、三蔵は目を閉じたまま口角を上げた。
「おしゃべり猿が」
 悟空の話し相手が人間でないのは百も承知だが、それでもこれ以上のおしゃべりは許しがたい。そして、
「来いよ―――悟空」
 彼の口唇が確かに、そう動いた。



「さんぞ…」
 躊躇いがちに執務室の扉が開いたのは数分後の事。ほくそ笑んで三蔵は、チラリと養い子を見た。
「何だ」
「うん…と―――何か…声が聞こえた、から」
 扉の前でもじもじとしている子供を無言で呼び寄せ、三蔵はその紫暗を細くした。
「わっ、わっ?!さ、三蔵―――な、何」
 軽い身体を抱え上げ膝に乗せると、驚いたのは悟空の方。
「三蔵、三蔵、どうしたんだ?何かあったのか?」
 滑稽なほどうろたえる養い子に、ずいと顔を寄せ、
「悟空」
 呼べば、裏返った声で返事が返る。睨み付ける様に金瞳を覗き込んでから、
「誕生日だな」
 低く呟いた。

 執務室に春の空気が満ちる。
 柔らかい風が二人の頬を撫でて、それから――――
 金色の笑顔が咲いた。
 背もたれが二人分の体重を受けて軋み、肩口に埋まった濃茶の頭を長い指が梳いていく。
「三蔵がくれた…俺の誕生日」
 その声は微かに震えているようだった。
「何か欲しいモンはあるか」
 問う声は慈愛に溢れている。
「ううん―――いっぱいもらったから…俺、三蔵からいろんなモン、たくさんたくさん貰ったから」

 ああ、この子供はまた、本当の我が侭を言わないつもりなのだ。

「悟空」
 そして三蔵は、静かに口を開いた。
「過去にお前が何をしでかしたかは知らねえ。だがな、今のお前は自由だ。お前の自由を脅かすものはねえんだ」
 困惑を浮かべた子供の、額に掛かる髪をかき上げながら、
「お前は、もっと我が侭を言っていいんだよ」
 穏やかに笑った。
「さん…ぞ」
 言葉は続かず、まろい頬に幾筋もの涙を描いて、悟空は肩を震わせた。
「ガキはガキらしく、我が侭言ってろ」
 言いながら、三蔵の手が何度も悟空の涙を拭う。
 コクンコクンと頷く小さな子供。涙で赤くなった金瞳が、それでも嬉しそうに笑うと、三蔵はそっとその頬に口唇を寄せた。
 啄ばむような口付けの後に、
「ガキってのはな、好き勝手で我が侭って相場が決まってんだよ」
 互いの額を合わせて笑い合った。
「ありがと、三蔵―――大好きだよ」
「何度も聞いた」
「うん、これからもたくさん言うから」
 だからね。と、悟空の腕が三蔵の首に絡まる。
 その項まで桜色に染めて、
「ずーっと、ずっと、一緒に居て、な」
 耳元に囁かれた言葉は、我が侭ではなく切なる願い。

 けれど、それが既に叶った願いである事に、いつこの愛し子は気付くだろう。

 きっと、こちらから告げなければ一生気付く事はないだろう。と、少しだけ冷静に考え、三蔵はそれから。
 愛し子の耳元に一言二言囁いて、その声は風と小鳥の囀りに隠れてしまったけれど、金瞳の端に一粒の涙を浮かべた悟空が、それは幸せそうに微笑んだ。


花淋さま/Reincarnation


花淋さまのところから悟空のお誕生日フリー小説をいただいてきちゃいました。
…悟空のお誕生日って…今日は、何日かしら?>まりえさん。
きゃ〜。ごめんなさい。ずっと暖めておりました。
悟空、健気で可愛いですよね。
こんな子のためだったら、なんでもしてあげたくなっちゃいます。羨ましいぞ、三蔵。
最後に囁いた言葉はどんな言葉だったんでしょう。
花淋さま、ほのぼの優しいお話をありがとうございました。