―― 彩 櫻 ――



その頃は、なぜか雨が多くて、それを菜種梅雨という。








雨に濡れた桜が好きだ。
黒く湿った幹と、それにまとわりつく白く淡い花弁。
ほとんどモノトーンの鮮やかさ。
雨で濃縮された薫り。

















「三蔵、あれ、なんの灯りだろう。」
ふと、視線を窓辺にやると、遠くに小さな橙色の灯りがにぎやかに灯っている。
まるで、暖かな蛍のようだ。
本物の蛍は、冷たく儚げな光だけど、それは、とても温かい。


「ああ・・・、たぶん、花見でもしてんだろう。」
三蔵は、気怠げに答えて、手にした煙草を深く吸い込んだ。
灯りを灯さない室内に、ぼんやりと、暈を被った円い月の明かりが入り、煙草の先から室内に、白い煙が漂っていくがわかる。
「さっきまで雨が降ってたのに、花見?」
「雨なんて関係ねえんだろ。どうせ酔ってるんだから。」
恐らく桜は満開だろう。
満開の桜ほど、酒の肴になるものはない。雨に濡れても上機嫌で飲み続けている花見客。
気のせいか、聞こえるはずのないその賑わいが、ここまで届いてくるような気がする。









三蔵は、ベッドの上で、窓脇の壁に脚を抱えて蹲り、首だけを動かして、窓の端からその灯りを見ている。
俺は、三蔵の前に、やはり脚を抱えて蹲り、ぼうっとその遠くにある、小さな灯りの固まりを見ていた。
春先にしては寒いため、ほんの少しだけ、換気の為に開けられた窓の隙間から、ひんやりした空気が忍び込む。
気付けば仄かな懐かしい甘い薫り。
寺院内に植えられた桜の薫り。
寺の中には、花見の席のような灯りなどなくて、ただただ月の白い頼りない光だけが、ほとんど白い桜の花を浮かび上がらせている。



庭を見渡せば、手鞠のような丸いかたちがそこここにあった。
ここも満開なのだろう。
先程までの雨の、湿気を含んだ桜の薫りが、しだいに濃厚に漂ってくる。









俺も三蔵も、少し汗ばんだ肌に、夜着を羽織っていた。
汗をかいた身体に、春先の冷気は気持ちいい。
忍び込む冷気が、だんだんと肌を乾す。



「なあ、三蔵。桜ってどうしてあんなに綺麗なんだろう。」
ふと、頭に浮かんだ疑問を口に出してみた。
「さあな。」
三蔵とて答えはなくて、そのままぼんやりと桜を見ている。



何も語る言葉はない。俺はベッドの上に両腕をつき、そっと三蔵に忍び寄った。
「三蔵。いい匂いがする。」
鼻先が三蔵の夜着の襟元をかすめる。
「それは桜だろう。」
三蔵は興味も無い様な顔で、ただ、窓辺を見続けた。
手にした煙草だけが、だんだん短くなっていき、無為に過ぎていく時間を計る。



そっと手を添えて、指に挟まれた煙草を奪い、窓辺に置かれた灰皿で火を消した。
唇で首筋をたどり、袂との境を舌で辿る。



「三蔵。本当に、いい匂い。」
「・・・」
抱き寄せれば、三蔵は抵抗もなく腕の中に収まった。横たえれば、まだぼんやりとした視線で、窓の外を見続ける。もう、三蔵からは桜は見えないはずなのに。
「何、見てる?」
「・・・桜。」
三蔵は俺を見ない。
見ないで俺を抱きしめる。
三蔵が見ているのは幻の桜。
窓から忍び込んだその薫りがつくりあげる幻の桜。
目で捉えたそれよりもっと鮮やかな、幻の桜。



抱きしめて、夜着を剥ぎ、月明かりにむさぼりながら俺は思った。
 そういえば、桜の花ってこんな匂いなんだ。
いつも、忘れてしまう、その薫り。
そして季節が巡ればまた思い出す。



薫る肌
「三蔵、もう一度したい。」
俺は三蔵に口づける。むせるような三蔵の薫り。桜よりもっと濃厚な。
蜜を零す先端が、また、先程味わった薫りをまき散らす。
いつも、不機嫌な顔をして、その時の表情など、夢だったかと思う。
でも同じ。
いつも、その時には、腕の中で三蔵は変わっていく。



ほんの少し力を入れると、まだ濡れたままのその体内は、簡単に俺を迎え入れた。
「っ、ふっ・・・」
少し息をつめ、そして吐き出す。
揺らせば切なげに眉を顰め、声を漏らす。
再び熱さにじっとりと汗ばんだ肌が、その時の濃厚な薫りをまき散らす。
艶やかで鮮やかな幻の桜。
限られた時にしか存在しない、幻の桜。













三蔵。
俺はいつも忘れてしまう。
あまりに艶やかなその時を。









フクぞうさま/妄想竹林


【管理人のコメント】
悟空がカッコいいのです。
実はカッコいい悟空が大好きなので、このお話を掲載する許可をいただけてとても嬉しいです。
しかも艶っぽくていいですよねぇ。溜息が出てしまいます。