ねがいごと


「虫の知らせ」というものがある。
そのとき、「さんぞー」と嬉しそうに執務室に入ってきた、成り行き上保護者を務めている子ども、悟空の目がいつも以上にキラキラと輝いているのに気づいた瞬間、三蔵は背筋が寒くなるのを感じた。

聞きたくねぇ。

咄嗟に書類へと視線を移して、「忙しい、話しかけるな」とポーズをとる。
けれども、寺の僧侶たちと違って、三蔵に慣れっこの子どもは、彼の願いも虚しく、にこにこと傍までやってきた。

「あのさー三蔵」

悟空は嬉しくってしかたがありません、といった感じで頬を赤く染めている。
こうなってしまうと何を言っても無駄、回避不可能だと知っている三蔵は、泣きたくなるような思いで、ようやく口を開いた。

「……………………………何だ」

そもそものきっかけは、気まぐれに買い与えた一冊の本だった。
八戒の根気と愛情と元教師としてのプライドを注ぎ込んだ教育の結果、子ども向けの本なら読めるようになった悟空に、外に遊びにいけない日にでも読めばいい、と本屋で平積みになっていたそれを手渡した。

あんなもん売りやがって。

逆恨みと分っていても、今の三蔵は殴りこみに行きたい気分だった。そう、単純な子どもが真に受けてしまった本を売った本屋に。

「ひとりの男の子が大好きな人のために、願いが叶うという宝物を探しにいく。そしてさまざまな冒険を経て、最後に宝物を手に入れて、みんな幸せに暮らしましたとさ」

幼い子どもが好みそうなその本に悟空ははまった。
三蔵が呆れるほど繰り返し、繰り返し読み、しまいには、はじめから終わりまで話を語って聞かせられるほど夢中になった。
そして―――――――――――――――――――――

「オレも三蔵のためにがんばる!」

頭の中は三蔵と食べ物だけ、と悟浄にからかわれている子どもがそう決意するまで、時間はかからなかった。


「三蔵にこれやる」

悟空が手に持っている布の袋がぼこぼこと内側から変形しているように見えるのは気のせいだろうか。袋を凝視しながら、三蔵は思った。
はじめはまだましだった…………………。

一番はじめに悟空がくれたもの。それは四つ葉のクローバーだった。

「悟空は本当にいい子ですね」
「けどよー三蔵が幸せになる、っていうか喜ぶようなもん? そんなのあるかぁ」
「そうですね。あ、そうだ。悟空四葉のクローバーって知ってますか」
「なにそれ?」
「ああ、そういや今たくさん咲いてるな。よし悟空、いいこと教えてやる」

お金を持たない少年のために幸運を呼ぶ四葉のクローバーの存在を教えた八戒と悟浄に悪気はなかっただろう。
しかし問題は、大雑把な悟空の性格にあったのだ。

「悟空、何だこれはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「四葉のクローバー。三蔵にやろうと思って。
でもさーなかなか見つからなかったから、生えてたのみんな採ってきた。こんだけあればきっと一本ぐらい四つ葉あるよな。よかったな、これでさんぞー幸せになれるぞ」
「ふざけんな、てめーーーー今すぐ片付けろ!」

寝室を泥まみれの白詰草の葉で埋め尽くした悟空に心行くまで鉄拳制裁を加えたのは言うまでもない。

そして、ちょっとやそっとじゃへこたれない少年からの二番目の贈り物は青い鳥だった。

「青い鳥捕まえると幸せになるんだって。この鳥川に来るんだけど、すっげー早く飛ぶから大変だったんだぞ」
「はぁ――――――――――――――――――――お前、最後まで話読んでねーだろ。いいから早く放してやれ」
「えーっ」
「えーじゃない! 飼うのは猿だけで十分だ」

その後、一日中、川でびしょ濡れになってカワセミを追っていたせいで風邪をひいて寝込んだ悟空の世話とその間にたまった仕事に追われて、疲労困憊した。

三番目の時は大騒動だった。

「にじのねもとまで行ってきます 悟空」

虹の根元には願いが叶う宝珠が埋まっている。雨上がりにかかった虹を見てはしゃいでいた悟空に、何気なく三蔵が話した伝説を真に受けたのだ。
書置きを見つけてすぐに探したものの見つからず、八戒と悟浄を巻き込んで、ジープを走らせて、やっと夜更けに「腹減ったー」と森の中で泣いているのを見つけた。

以来、遊びに行く前には必ず申告させるようにさせた。

それから後も、白蛇、どこから取ってきたのか考えたくない立派な錦鯉、昔話に影響されて本堂の仏像にビニール傘をくくり付けようとして、転がり落ち………………………、と思い出すだけで目眩と頭痛に襲われることを、悟空は次々としでかしてくれたのだった。

「ね、三蔵開けてみて」
無邪気に笑う悟空を蹴り飛ばしてやりたい、と三蔵は心底思う。
この猿の頭には記憶力や応用力って言葉がないのか? 毎回叱られて、どうして学ばん。

「――――――――――蛙か」

袋の中には黄色の蛙。
そういや、昨日八戒が悟空に強請られて読んでいた本に魔法をかけられた黄金の蛙がでていたか。

「すげーだろ。金の蛙はー壁にぶつけると――」
「お前のバカ力で投げつけたら、内蔵が飛び散るわ!」

実行に移される前に、さっさと掴んで窓から投げ捨てると、三蔵は深々と息を吐いた。

「悟空、何度も言ってるだろう。作り物の話を真に受けるな」
「でも、もしかしたら本当のことがあるかもしんないじゃん」
「絶対ない! いいか、もういいかげんに止めろ。迷惑だ!」

その途端、顔を歪ませた悟空の目が潤んでいるのを見て、三蔵は再び大きく息を吐いた。

「悟空」
「ごめんなさい。オレ迷惑だったんだ」

迷惑だし、止めさせたいが、いまにも泣き出しそうに声を震わせている姿を見れば、怒鳴る気も失せてしまう。

「だいたい、俺はお前に幸せにしてくれとか、願い事をかなえてくれなんて言ってないだろうが。どうしてそんなに拘るんだ?」
「―――――――――――――――――――だって」
「何だ」
「だって―――――――――――――――――」

俯いた悟空が告げた言葉は三蔵を沈黙させた。

「だって坊さんたちがオレの目は不幸を呼ぶって言うからさ。
そんなの信じてないけど、でもさーオレどうしてかは覚えてねーけど、ずっと岩牢ん中に閉じ込められてたし、もしかして本当なのかもしんないじゃん。
三蔵といたいけど、でも三蔵が不幸になるのはすげーやだし、だから、だから――」

バカだこいつは………………………………………。そんな理由で一生懸命になってたっていうのか。こんなガキに不幸にされてたまるか。

三度目のため息をつくと、三蔵は悟空の名を呼んだ。


「悟空」
「……………………………………………………」
「悟空、目の色ぐらいで人を不幸にできるはずないだろうが。馬鹿なこと信じるんじゃねぇ」
「そ、そんなの分ってるけど」
「悟空こっち向け」
「何?」

見上げてくる悟空の顔は涙でぐしゃぐしゃに歪んでいて。だけど、なぜかとても愛おしく感じた。
バカな子ほど可愛いっていうのはこういうことか。まったくいつから俺はこんなに悟空に甘くなったんだ? 三蔵は自嘲する。

そして、
「泣くな。ぶさいくで見るに耐えん」
「なんだよー。それ雑巾じゃん」
机の上にあった雑巾で悟空の顔をゴシゴシ拭くと、肩に手を置き、視線をしっかりと合わせた。

「いいか。一度しか言わねぇからよく聞け。金の目は確かに凶事の象徴と伝えられている。
だけどな、そんなもんお前が夢中になった物語と一緒だ。本当かどうかなんて誰も知らないだよ」
「だったら本当かも―――――――――――」
「もし本当だったとしても、招く不幸以上にお前が俺を幸せにすればいいじゃねぇか。
だいたいなー不幸だっていうなら、お前を拾った時点で十分に不幸だ。際限なく飯は食うは、物は壊すは、言うことはきかねーは。
心配するな、これ以上の不幸はない」

三蔵は悟空から視線を逸らさぬまま、真顔で告げる。

「何それ、ひでーっ」
悟空が笑った。




「ありがと、三蔵大好き」
といって腰に飛びついてきた子どもを受け止めた三蔵の顔には、自身も知らぬ笑みが浮かんでいた。




織花さま/森の家


織花さまのサイト「森の家」で3000番を踏み踏みして、リクエストさせていただきました。はい。実は狙っておりました。虎視眈々と(笑)
リクエスト内容は「三蔵サマのお願いを叶えようと頑張る悟空」
頑張ってます。悟空。
ホントに頑張ってます。
……三蔵サマ、ごめんなさい。私、決して悪気があってこのリクをしたわけでは。
いえ、こうなるかなーとちょっとは思っていたんですけど、ね(笑)
悟空の一生懸命さが凄く可愛いです。それにいいですよねー。ホント、大事にされてます。
織花さまのお話はいつもほっこりと幸せな気持ちにさせてくれます。
織花さま。リクエストを受けていただいたうえ、厚かましくもサイトに飾りたいというお願いまで叶えてくださって本当にありがとうございました。