ビルの合間から吹き降ろす風の冷たさは、もしかしたら今夜あたりに雪を降らせるかもしれないと思わ
せる。
全てを灰色に包む都会の空は、その重責に耐えられず今にも落ちてきそうだった。
既に沈んだ太陽の変わりに、暖かさの微塵もないネオンが街を照らしている。

帰路に急ぐ大きなプレゼントを抱えたサラリーマンや、そわそわと恋人を待っているだろう女の人、幸
せそうに親と手を繋ぐ子供。
どこにでもある風景だが、どこからか聞こえてくる曲は今日が聖なる夜だと告げる。
浮き足立った街は、遠目からみれば暖かさに包まれていた。
しかし、都会というのは良くも悪くも他人に無関心だ。
足元を見れば、暖かさとは程遠くビルの陰にひっそりと座り込んでいるホームレスや、険しい表情をし
て携帯電話で話をしているスーツ姿の男、それに客寄せに必死になる店員がいる。
そんな中、ひとり取り残された子供のように、酷く頼りない背中が人々の間をすり抜けた。
何かを求めているようで、何者をも拒絶する背中を気にする人はいない。
やがてその姿は人ごみに紛れて、消えていった。

Silent night



重い足取りで、玄関の戸を開ける。
分かってはいたが、中は真っ暗だった。
今日はなんとなく、外に出てみたが世間はクリスマスという事で浮き足立っていて、気分を重くさせる
だけだった。
『待っていろ』
その言葉だけを残した人は、もう随分と姿を見ていない。
待っていろ、ということは帰って来るという事だ。
もう五年も待ち続けたのに帰っては来ない。
音沙汰は一切無く、待ち続けることしか出来ない自分が情けない。
諦めたほうがいいのだろうか、待つことを。
でも、もし本当に帰ってきたら……。
そんな自問自答を、ここ数年で何度繰り返したか分からない。
結局は女々しく待ち続ける自分に、自嘲の笑みが浮かぶ。
彼と過ごしたのは、ほんの数年に過ぎない。
恋人というには冷めていて、友人というには関係が深すぎた。
ただ、ずっと一緒に居るのだろうと思っていた。
それはただの思い込みだったのかもしれない。
待っていろとは言われたけど、いつまでとは言われていない。
守れない約束はしない人だったが、それにも限度というものがあると思う。
灯りを点け、静か過ぎる部屋に蹲る。
去年も一昨年も、その前の年も一人で過ごしたクリスマス。
そろそろ、疲れてしまった。


不意に、静寂を破って呼び鈴が部屋に鳴り響いた。
こんな日に自分を訪ねてくる人などいないはずだ。
出ようか迷っていれば、もう一度鳴る。
仕方なしに、のろのろと玄関へ足を運んで戸を開ければ見慣れた顔があった。
「メリークリスマス、悟空」
「寂しがってるんじゃねぇかと思ってよ」
「八戒、悟浄……」
元々はあの人の知り合いだった二人。
今では旧友のような仲になっている。
「今年も一人だと思って。料理を作ってきたんですよ」
優しく笑う八戒に、なんだか泣きたい気分になった。

二人をリビングに通して、広げた料理をつまみながら悟浄が買ってきたのだというシャンパンを傾ける。
「こんな日に一人でいたってしょうがねぇだろ?」
朝まで飲むぞ、と悟浄はまだ酒も入ってないのにテンションが高い。
「ケーキも作ったんです。食べてくださいね」
料理を取り分ける八戒に礼を言って皿を受け取った。
八戒の料理はどれも絶品だ。
「ありがと。あ、これ旨い!」
お手製だというグラタンはとても美味しかった。
BGMの代わりにテレビをつけて、あとは飲めや食えの騒ぎだ。
「あいつがいなくなってもう五年か……」
殆どの料理がそれぞれの胃に収まった頃、悟浄が思い出したように呟いた。
その一言に、騒がしかった空気が静まり返る。
「もう、待たなくてもいいんじゃないですか?」
寂しそうに呟く八戒に、曖昧に笑う。
自分でも思っていたことを他人に言われると、それでもまだ期待してることを再確認させられる。
「そうそう。あいつのことだ、忘れてるかもしれねぇぜ?」
なんだったら、いい子紹介するぜ、と悟浄は冗談めかす。
「うん……。でも、もうちょっとだけ、ね」
肩をすくめれば、悟浄は呆れたように溜息を吐いた。
「お前のその忍耐力はどっから来るんだか」
頭をくしゃっと撫でられて、なんだかくすぐったい気持ちになった。
まるで褒められてるみたいだ。
「辛かったら、いつでも僕たちのところに来てください。愚痴くらい、いくらでも聞いてあげますから」
眼鏡の奥の瞳が優しい光を宿していた。
そうやって、二人が甘やかすから俺も待っていられるんだよ。
感謝の言葉の代わりに、今できる精一杯の笑顔を向けた。
「まぁ、今日くらい飲んで忘れましょう!」
新しいボトルを開け始める八戒に、悟浄も乗って潰れるまで飲むぞ、と笑った。
二人につられて、グラスを差し出す。
一人で過ごすよりも、数段楽しい夜だけど、心は寂しいままだった。


泊まっていけばといったのに、八戒はやんわりとそれを断って殆ど潰れている悟浄を引きずって帰っ
ていった。
一人になった部屋は、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静かだ。
酔いが回っている体では片付けも面倒で、使った食器だけはシンクに入れて寝室に篭る。
ベッドに体を投げ出せば、すぐさま睡魔が襲ってきた。
これなら、今日は何も考えずに眠れそうだ。
うとうとと、睡魔に身を任せていたら呼び鈴が鳴る。
八戒か悟浄が、忘れ物でもしたのだろうか。
二人が帰ってから、十分も経っていないはずだ。
既に半分眠っている体に鞭打って、覚束無い足取りで玄関に向かう。
ドアのチェーンを外し、扉を押した。
―― そこに立っていたのは八戒でも、悟浄でもなくて。
心臓が止まるかと思った。
ついでに、これは夢だと。
どれくらい、そのまま立ち尽くしていただろう。
最初に口を開いたのは相手のほうだった。
「……悟空」
懐かしい、耳に良く馴染んだ低い声。
「な……んで」
声が震える。
どうして、忘れようと思った頃になって現れるのだろう。
「待ってたのか」
まるで、期待してなかったかの口ぶりにかっと頭に血が上る。
待ってろって、言ったくせに。
「なんだよっ……待ってろって、そう言っただろ!? だから、だから俺は……!」
悔しくて、浮かぶ涙を止めることが出来ない。
きっと今、すごく情けない顔をしている。
「待ってなかったほうがよかったのかよ!?」
そんな顔、見られなくて俯いて下に向かって叫んだ。
そんな風に言われたら、待ってた俺は馬鹿みたいじゃないか。
いつ帰るか分からないのに、ただ一言にすがりついて。
これ以上口を開いたら、嗚咽を漏らしそうで唇をかみ締める。
泣き声なんて、聞かせたくなかった。
すると、いきなり顎をつかまれて上を向かせられる。
触って欲しくなくて、暴れれば痛いほどに抱きしめられ、噛み付くようにキスされた。
「やっ……んぅ」
始めから容赦なく、口腔を弄る舌は遠慮を知らない。
暫く好き勝手にされて、ようやく唇が離れた頃には足に力が入らなくなっていた。
「遅くなって、悪かった」
初めて聞いた謝罪に、それだけで許せてしまう自分がいる。
「俺、ずっと……ずっと待ってたんだぞ」
「ああ」
どれだけ、寂しかったか。
待つだけというのが、どれだけ辛かったか。
「三蔵、全然帰って……来な、くて」
「そうだな」
泣きたい日もあって。
くじけそうな日もあって。
「寂しくて……」
「悪かった」
俺のことをぎゅっと抱きしめてくる腕に、まだ許す気はなかったのに、そんな思いも無くなって。
「会いたかった!」
結局は思い切り抱きついた。
「もう、どこにも行かねぇよ」
そう囁いた唇に、今度は自分から口付けた。


砂月空さま/雪蓮花


砂月さまのサイト「雪連花」でクリスマスフリーになっていましたお話を奪取してきました。
三蔵、悟空を置いてどこに行ってたんですか? こんなに寂しい思いをさせるなんて。
でも、最後は甘々で嬉しいのです。まさしくクリスマスプレゼントですね。
砂月さま。またまたステキなお話をありがとうございました。…プレゼント、いただいてばかりですみません。