新年好


大晦日の寺は、朝からばたばたと騒がしい。
新年に向けての準備に駆け回る坊主たちを横目に、三蔵は苛々と手元の煙草の本数を減らしていった。

寺では、大晦日の夜には鐘を撞き、本堂には坊主たちが集まり読経をして年を越す。
いくら三蔵といえど、三蔵法師だからこそ寺総出で行われるその行事に参加しないわけには行かなかった。
毎年の事ながら、たかが年越しに夜通し読経しなければならないというのが、三蔵にとっては面倒臭い以外のなにものでもない。
年越しとは、単なる節目であるだけで、それ以上もそれ以下でもない。
そうは思っているが、寺で生活し、仏門に身をおく以上しなければならないことはある。
これも仕事の内と割り切ってはいたが、今年はすこし事情が違った。
三蔵の元には、一人の子供がいた。

三蔵が拾ってきた子供は、天真爛漫そのもので酷く手のかかる存在だ。
良く笑い、遊びまわり、やたらと大食らい。
拾ってきて、まだそう月日は経っていないはずだが、三蔵はもう何年も面倒を見ている気分だった。
そんな、まさにやんちゃ坊主といった子供が、それまでと違った感情を表したもの。
まっさらな雪。
500年閉じ込められていたという、人間でも妖怪でも無い子供は、酷く雪を怖がった。
初めてそれを目の当たりにした時は、正直三蔵はどう対処していいのか分からなかった。
理由が理由だけに。
三蔵には、500年の孤独というものは理解が出来ない。
好んで一人でいることはあるが、それでも回りに人がまったくいないわけではない。
完全な孤独というものを、経験したことがない三蔵にしてみれば悟空の感情は分からなくも無いが理解は出来ないものだった。
そうして、昨晩から振り続け、積もる雪の中、どうしても一人きりになってしまう子供のことが気がかりだった。
なにせ、一度置いていかれたと思って暴走した前科がある。
執務室で書類に筆を走らせながら、隣の寝室で蹲る子供を、今夜一晩どうするべきか三蔵は本気で悩んでいた。


いつもより早めの夕餉を悟空と済ます三蔵の気分は酷く重かった。
朝に悟空に今日のことを告げたときの表情を思い出す。
酷く怯えたような、今にも泣きそうな顔。
それでも、行くなとは言われなかった。
小さな手が白くなるまで握り締め、分かったと返事をするのに、我侭を言われたほうが数倍ましだったかと、今になって思う。
いつもなら、今日は何があった、何を見たと嬉しそうに報告するのに、目の前に座る悟空はただ静かに箸を運ぶだけだ。
どうして、そんなに気にしなければいけないのかと自身に苛立ちながらも、放って置けない自分がいることに三蔵は微かに動揺していた。
今まで、そんな風に他人を気にかけたことなど無いというのに。
時間も差し迫って来る中、全ての食事を平らげた悟空が箸を置いた。
「……もう、時間だろ? えっと……その、頑張ってな?」
無理に笑う悟空に、三蔵は溜息を吐かずにはいられない。
不安に揺れる金瞳をじっと見つめて、三蔵は無言のまま立ち上がった。
その様子に慌てる悟空を放ったまま、三蔵は寝室へと入っていってしまう。
悟空はそれを目で追いながら、言葉も返してもらえないのかと泣きたくなった。
今まで、今日はずっと我慢していたのだ。
夜を一人で過ごすことを教えられ、三蔵を困らせることも出来ないから我侭も言えず。
それでも、泣くところなど見られたくはなかった。
それなのに、最後の最後で言葉すら聞かせてくれないのかと。
我慢も限界で、目の奥が熱くなってきたと思ったその時、三蔵が寝室からなにか白い布を持って現れた。
三蔵は悟空の目の前まで来ると、ふいに手に持っていたそれで悟空を包んだ。
それは、三蔵の法衣。
煙草と白壇の香りが残るそれ。
悟空はただぼうっと三蔵を見上げた。
「お前は一人じゃない。分かるな? 日が昇る前には戻ってくる。それまで、眠れないなら起きていろ」
三蔵はくしゃっと悟空の髪をかき混ぜ、法衣に包まった悟空の背中をぽんぽんと叩いた。
悟空にしてみれば、三蔵から触れられたのは初めての事で驚く。
そんな悟空の表情を満足げに眺め、三蔵は身支度を整えた。
「本堂には近づくなよ」
それだけは言い聞かせて部屋を後にする三蔵に、悟空はやっと笑った。

雪はまだ怖いし、眠れないかもしれないけど。
法衣を手繰り寄せ、三蔵の匂いに包まれて今日は一人でも我慢が出来そうだった。




悟空のことが気になりながらも、くだらない事この上ない読経を終えた頃にはすでに空は白んでいた。
既に雪も止み、寺の境内には参拝する人々も見られたが、三蔵はそれらに興味を示すでもなくただ自室への廊下を歩いていた。
後ろから僧達が何か言っていたが、これ以上付き合っていられるかとばかりに、一切を無視した。
そうして、自室の扉を開こうとして、それは叶わなかった。
三蔵が開く前に、中から悟空が飛び出してきた。
「三蔵! お疲れ様!」
昨日とは打って変わって元気なその声に、三蔵は腰にしがみ付いてきた悟空を振り払うタイミングを逃してしまった。
離れろ、と言おうとしたが、三蔵を見上げた悟空があまりにも嬉しそうに笑うものだから、それも諦めてただ頭を撫でてやった。
今日くらいはしょうがない、と。
「寝てねぇな?」
どこか疲れの見える表情に三蔵がそう言えば、悟空はそれは三蔵も一緒だと舌を出す。
「もう、今日は仕事はねぇ。お前は寝ろ」
三蔵は寝室へと悟空を促すが、本人といえば首を横に振る。
「いいから寝ろ」
どうにか悟空を引き剥がせば、今度はきゅっと袖を握ってきた。
しょうがないと溜息を零して、三蔵は悟空を無理矢理寝室へとひっぱった。
そうして三蔵は自分の寝台へと上がってしまう。
悟空の寝起きしているのはその続きの隣の部屋だ。
悟空が戸惑っていると、三蔵はその小さな体を自分の寝台へと引っ張り上げた。
「今日だけだからな」
そう呟いて、三蔵は悟空を抱き込むようにして横になってしまう。
さすがに慌てる悟空を、煩いと一括してそのまま瞳を閉じてしまった。
悟空は初めて感じる三蔵の体温に、どきまぎとして眠るどころではない。
しかし、言われたとおりに大人しくしていれば微かに三蔵の心音が聞こえてくる気がして、知らず眠りの淵へと誘われていった。


砂月空さま/雪蓮花


砂月空さまのサイト「雪蓮花」の新年のフリー小説をいただいてきました。
見た途端、速攻お持ち帰り。…そういうときだけ素早いまりえさん。
健気な悟空が可愛らしいのです。そして、なにげに優しい三蔵さま。そこはかとなく甘い雰囲気に新年からほわほわvでした。
砂月さま、ありがとうございました。