笑って、『おかえりなさい』。

土産など、無いけれど。

何時でも必ず、此処に帰ってくると君に誓おう。



おかえり




「今日は、お前を連れて行けない。」


仕度をする三蔵に言われた一言に、悟空は肩を落とした。

今日ぐらいは、傍に居たかったけれど。

連れて行けないと三蔵が言うのなら、仕方が無い。

悟空は短く溜息を吐いて、「分かった」と言うことしか出来ない。


「……。」


何時に無く落ち込んだ様子の悟空に、三蔵は心中で舌打ちする。

悟空が今日一日、自分の傍に居たかったことなど、分かっていた。

だが、街の偉い役人が亡くなったとかで、供養を依頼され。

その役人の家に出向かなくてはならなくなったのだ。

正直、役人がどうとか、三蔵自身には関係の無いことだから、一度は断ったのだが。

どうしてもと相手は食い下がり、おまけに大僧正にまで説得される始末。

何度も何度も同じ事を言われるので、面倒臭くなって引き受けてしまったのだった。


「……悟浄のとこにでも行くか?」


言えば、悟空はフルフルと首を横に振った。


「だって、今日中には帰ってくるんだろ?」

「ああ。」

「だったら、此処に居る。」


そう言って、ニコリと笑うその笑顔は、明らかに作られたそれ。

下唇を噛んで必死に堪えているのは、涙だろう事は容易く察せられた。

三蔵は一つ、溜息を吐いて。

悟空の頭に手を置いた。


「夕方には、帰って来れる。大人しくしてろよ。」


悟空が寺で留守番する時の、お決まりの台詞を言って、三蔵は執務室を出て行こうとした。


「三蔵。」


呼びかけられ、立ち止まると。


「いってらっしゃい。」


言われ、振り向けば数秒間合わせられる視線。

それから短く「ああ。」と言って、三蔵は執務室を後にしたのだった。










例の役人の屋敷に着くなり、丁重に持て囃されて。

供養を始めようとすれば、まだ祭壇の準備が出来ていないとか言われて、屋敷の広間に通された。

待てと言うから待っているのに、屋敷の人間は、是非とも娘を紹介したいとか抜かし始め、若い娘が広間にやって来た。

三蔵は、心の中で舌打ちをする。

供養の話はどこへやら。

これは、すっかり見合いの展開だ。

こんなことなら、面倒臭がったりせず、断り通せばよかった。

そうしたら、悟空にあんな顔をさせる必要も無かったのだ。


そこまで思い、ふと、出掛け間際の悟空の表情を思い出す。

今日一日、悟空が自分の傍に居たがったのは、今日が自分の誕生日だからだ。


───泣き出しそうな顔をしていたな……。


蜂蜜色の瞳に泪を溜め、下唇を噛んでいた。

あんな顔をさせたい訳ではなかったのに。



そういえば。


───アイツは、泣かなくなったな。


悟空を五行山から連れ出し、もう3年。

最初の頃は、よく泣いていた。

夜を怖がったり、夢見が悪かったり、公務に出かける時に連れて行けない時だったり。

子供の様に泣きじゃくっていたが、何時からか、泣くのを我慢するようになった。

果たして、それは何時からだっただろうか。

暫く思い返してみるが、明確な時期が思い出せない。

そうこうしている間に、いつの間にか、先程の娘が隣に座って酒を勧めていた。

三蔵は眉根を寄せる。


「……今日は、故人の供養をという話だった筈だが?」


言えば、喪主であろう屋敷の主人は、別段慌てた様子もなく頷いた。


「ええ、勿論。ですが、祭壇の準備がまだ済んでおりませんので。もう暫しお待ち頂く間に、酒など如何ですかな、三蔵様。」


微笑んだ娘は、確かに美しい。

けれど。

三蔵が立ち上がろうとすると、娘が笑顔でそれを制した。


「おい……。」


苛立って娘を睨みつければ、主人が笑顔のまま言う。


「まぁ、そうお腹立ちなさらなくとも。直ぐに祭壇の用意をさせますので。」


それに尚苛立った三蔵は、娘を突き飛ばすように立ち上がった。


「帰らせてもらう。」

「三蔵様!」


同行した僧達が止めようと何かを言っていたが、全て無視した。

こんなことの為に態々こんな所までやってきて。


「胸糞悪ぃんだよ。」


忌々しげに呟いて、屋敷を後にした。

勿論、寺に戻るために……。







街から寺までは、歩いて数十分程度。

その間、三蔵は再び思い返していた。

けれど、何度思い返してみても、矢張り何時からという明確な時期までは思い出せなかった。

あれは、妙なところで強情張りだから。

泣くということは、弱いことだと思っているのだろう。

確かに、泪を見せないのは心の強さかもしれない。

しかし、泣けないのは。


「それは、強さなんかじゃねぇんだけどな。」


独り語ちて、三蔵はマルボロの砲身を咥えた。

今頃、部屋でいじけているのだろうか。

出掛け前の、あの表情。

あんな顔は、あれには似合わない。

何時でもよく食べ、何時でも煩く。

そして、何時でも笑っていないと。

それが、あれらしさなのだから。


寺までは、あと少し。

三蔵はゆっくりとマルボロを堪能した後、歩調を速めた。








寺に辿り着けば、仕事に行った筈の三蔵が早々に帰ってきたので、僧達が慌てふためいた。


「三蔵様!」

「何事か御座いましたか?」

「お早いお戻りで……。」


口々に小言のように言われるけれど、それらを無視して三蔵は執務室を目指す。

長い回廊を歩いている間。

三蔵は、想像した。

自分を出迎えた時の、悟空の表情を。

驚くだろうか。

それとも、泣き出すだろうか。

どれもこれも、想像してみて。

目の前の扉を開ける。

執務室のソファに、所在なさげに座る悟空を見つけた。


「!三蔵!」


まずは、驚いたか。

それもそうだろう。

『夕方帰る』と言っておきながら、今の時刻は昼をもう直ぐ回る頃なのだから。


「何だ。」


ぞんざいに言いつつ、室内を歩いて金冠と経典を執務机の上に置いた。

それを唯、悟空はじっと見詰てくる表情は、戸惑っている様。

そして、恐る恐る近付いてきて。


「三蔵……仕事は?」


そんなことを聞いてくるものだから、三蔵は鼻で一つ笑って椅子に腰掛けた。


「面倒臭ぇから帰ってきた。」


言えば、今度は暫しキョトンとして。


「何だよ、それ。」


次いで、ニコリと笑う。




そう、その笑顔が見たかったのだ。




「悟空。」

「ん?」

「俺に何か言う事はねぇのか?」

「……。」


その時、自分は悟空を咎めていたのかもしれない。

けれど、自分の口を吐いて出てきた声は、思いの外酷く穏やかになってしまった。

不本意だけれど。

言われた悟空は、何事か考えているのか、少しばかりこちらを見上げてきて。


「三蔵……今日はもう出掛けねぇの?」

「帰ってきたのに、何故俺が出掛けねばならん。面倒臭ぇ。」


本日何度目かの『面倒臭い』を忌々しげに吐くと、悟空が。


「なら……おかえりなさい、三蔵。」


極上の笑みで、紡がれた言葉。

その笑顔を、心行くまで堪能して。


「悟空。」


呼んで手を差し出せば、悟空がその手に手を重ねる。


「なぁに、三蔵?」

「お前は、ずっと……。」

「ん?」

「……そうやって、一生笑ってろ。」


重なっていた悟空の手を引き寄せ、傾いた身体を抱きとめてやれば、悟空は嬉しそうに腕を絡めて。

小さく「うん」と頷いた。












笑って、『おかえりなさい』。

お土産なんか、いらないから。

何時でも此処に帰って来てくれるのを、僕は待っています─────。




なちさま/beat sweet


なちさまのサイト「beat sweet」さまにて三蔵のお誕生日記念小説がフリーになっていましたので、攫ってきました。
悟空が健気で可愛いです。
そんな悟空を大事にしている三蔵さまがいいです。
いつまでも、こんな風に幸せだといいなぁ。なんだが、心がほっこりしました。
なちさま、優しいお話をありがとうございました。