秋、大気が澄み渡り、大地が、自然の力が強くなる季節。
実りと浄化の季節。
大地の愛し子をその手に取り戻そうと、強く激しく手を伸ばす季節。

人と大地の闘いの季節。



秋の色




毎年、毎年よくも諦めないと三蔵は思う。
手を変え、品を変え、時に優しく、時に温かく、時に強引に大地と自然は己の愛し子、悟空を連れ戻そうとする。
悟空の養い親である三蔵には、悟空を還せと、煩く迫ってくる。
そのたびに、その手を振り払い、叩き落とし、どうしようもない時は力尽くで、拒み続けてきた。
悟空自身も、還らないと、折に触れ、その意志を告げ、諭し、宥めて。
それでも大地は、自然は我が子をその手に取り戻すまでは、諦めないらしい。

昨年は月が強引に連れ戻そうとして、手酷い拒絶を悟空から貰った。
その前の年は、三蔵が時間のかかる仕事に出掛けている間に、淋しさに弱った悟空の心の隙を突かれた。
その前は、美しいもの、綺麗なものが大好きな悟空をその綺麗なもの、美しいもので誘惑した。
誘拐したこともある。
眠って無防備な状態の時に、連れ出したこともある。
つまらないことで喧嘩をして、家出のように悟空が自分から一時、その身を任せたこともあった。

本当に懲りない。



そして、今年の秋─────


今年は春の何時にない冷え込みや夏の異常な暑さ、秋になっても夏の名残の消えない残暑などの気候不順の所為で、大地や自然の恩恵は少なく、初冬を迎えようとする今頃になって、ようやく紅葉の季節を迎えた。
気候不順が示す通り、紅葉もいつもの年のような色鮮やかさはなく、何処かくすんだ色で生彩を欠いていた。
けれど、悟空と三蔵の住む寺院とその周辺の山々は、大地の愛し子に変わらぬ美しい姿を見せたいのか、いつもの年と変わらぬ色鮮で色彩豊かな秋が訪れていた。

その美しさ、鮮やかさに悟空は当然のごとく浮かれ、魅了された。
毎日飽きもせず、寺院の庭や裏山へ遊びに出掛けては、

「三蔵、どんぐりがこんなにあった」

と、手籠一杯拾って、

「三蔵、今日は栗をさ、笙玄と拾ってきたんだ。だから今日の晩飯、栗ご飯なんだぞ」

と、自慢して、

「三蔵、こんなに綺麗で美味そうなのに食べらないんだって」

と、笙玄にでも習ったのだろう、見るからに毒のありそうな色鮮やかなキノコを見せて。
毎日、それは楽しそうに笑っていた。
悟空が秋の世界へ出掛けるたび、三蔵は悟空の気配と常に在る聲に注意を凝らして、時には笙玄をお供に付けて、大地が伸ばそうとする手の気配に気を配っていた。


気を張っていたにも関わらず、それが突然途絶えた。


悟空の気配が途切れた場所へ急ぐ三蔵と血相を変えて三蔵の元へ駆け戻る笙玄は山道の途中で出逢った。

「さ、三蔵様、悟空が突然、突然かき消すように消えたんです!」

息せき切って話す笙玄の姿に、ここまで走ってくる間に大地にかなりいじめられたらしい傷跡が見える。
血の気の引いた顔は、目の前で起こった事実の不思議さより、悟空がいなくなったその事実に青ざめていた。

「わかってる。この時期はいつもこうなんだよ」
「この時期…って…?」

胸の前で握りしめた手が震えていることに気付いた三蔵は、悟空が単なる妖怪ではなく、大地が生んだ子供だと言うこと、秋になると大地が悟空を取り戻そうと動き出すことを告げた。

「……そう…だったんですか」

三蔵の言葉に笙玄は納得がいったと、頷く。
が、すぐに、

「では、悟空はもう帰ってこないのですか?」

今にも泣きそうな顔をする。
その姿に三蔵は、この修行僧の人の良さを見て、微かに口元を綻ばせた。

「悟空は帰ってくる」
「は、はい…」

三蔵の言葉に頷く笙玄の顔が、晴れない。
しかたなく、三蔵は告げた。
言いたくもないのだけれど。

「…だから……俺が…迎えに行って…必ず連れて戻るからお前は戻って待っていろ。いいな」
「はい!」

最後は背中を向けて歩き出しながらになってしまったが、それでも三蔵の気持ちを笙玄は間違いなく理解したのだろう、明瞭な返事が遠ざかる三蔵の背中を打ったのだった。






笙玄と別れ、悟空の気配の途切れた場所へ向かう三蔵を大地は行かせまいと、行く手を阻む。
下草が足を捉え、生い茂る茂みが道を隠す。
頭上の木々が陽を遮り、闇を生む。
けれど、関係のない笙玄を巻き込み、怪我まで負わせた。
笙玄を慕う悟空が知ったらどれほど悔やむか知れない。



余計な真似をしてくれる…





その上、らしからぬ言葉まで言わせられた。
この落とし前、どうつけてくれよう。
怒りを孕む三蔵の気配と、その纏う法力に圧されて、次第に大地の三蔵を阻む手は引かれて行った。

「毎度、毎度、本当に往生際の悪い…」

悟空が姿を消した森の外れに立った三蔵は、大地の執念に呆れたため息を吐いた。
そして、一歩踏み出す。

「悟空は還さないと、何度言ったらわかる?」

ぱちんと、三蔵の周囲で青白い火花が散った。

「その上、今回は余計な手出しまでして、関係ない奴まで巻き込みやがって」

三蔵の足許から三蔵を囲うように円形の風が落ち葉を巻き込んで立ち上がる。

「返せ。アイツは俺のものだ」

ふわりと三蔵の法衣が風をはらみ、金糸が舞い上がり、肩の経文が揺れる。

「返せ!」

三蔵の凛とした声と一緒に三蔵を取り巻いていた風が吹き上がり、何かが弾ける高い音が周囲に響いたのだった。


















今年は春からずっと気候が安定しなくて、酷く不安定だったので、秋の紅葉は期待できないと、夏の終わり、秋の初め、悟空は諦めていた。
それなのに、秋が深まるに連れて、山の色も庭の色も色鮮やかに染まり、それは美しい姿を見せてくれるようになった。
いつまでも暑かった夏の所為で、秋の訪れは遅かったのだけれど。

悟空はだんだんと色付いてゆく山や寺院の庭、何処が一番美しく輝いているかを探し歩いた。
なぜなら、いつもならば冬枯れの姿を見せ始める時期に、これほどの彩錦の風景が見られるのだ。
ならば彼の人生まれた日の為に一番綺麗な場所を捜し、一緒に見たいと思い至るのは悟空にとっては至極当然で、当たり前のことだった。

行く先々で悟空は大地の申し子達と遊び、大地の稔りを受け取り、大地の浄化の気を全身に浴びて躯の汚れを拭う。
時に一人で、時に三蔵の側仕えの僧侶と一緒に。

「いつもありがとな、綺麗にしてくれて。でも、俺、還らないから、そこんとこ忘れないでくれよな」

くすくすと、頬を撫でる風にくすぐったそうに笑いながら、大地が差し伸べる手を拒む。
その拒絶に一度は手を引く大地ではあったが、すぐにまた、心優しい大地の愛し子をその手に取り戻そうと、誘い、手を差し伸べるのだった。

還る、還らない───秋は悟空にとっても闘いの季節であった。






「笙玄、あっちに行ってみよう。あっちにさ、すっげえでっかいモミジの樹があったはずだからさ」

あちこち見て歩いて、ここぞという場所がなくて、諦めかけた時に思い出した。
昨年見つけたモミジの大木。
降るように舞い散るモミジの赤い葉と、その周囲に立ち並ぶ木々の色彩の美しさに悟空は一目で魅せられた。
三蔵の生まれた日に二人で見たいと思ったのだけれど、昨年は冷たい雨が降って、来ることが出来なかった。
だから、もしまだ散り始めもしていない紅葉の盛りで、晴れたなら、三蔵の生まれた日に今年こそは一緒に見たいと思っていた。
けれどそれは内緒の計画で。

「そうなんですか?」
「うん。本当に綺麗だったからさ、今年も綺麗だったら三蔵と見たいなあって」

悟空の言葉に笙玄は、

「では、私は一足先に悟空の勧めるそのモミジが見られるんですね」

そう言って笑い、

「三蔵様と悟空がここへ来る時は、お弁当を作りますね」

手を打って提案する。
その言葉に悟空は大きく頷いて、後ろを歩く笙玄にとびきりの笑顔を見せた。

「こっち、こっちだよ」

笙玄を誘う悟空の姿が透けたと思う間もなく、悟空の姿は笙玄の前から掻き消えた。
一瞬、何が起こったか理解できないで固まった笙玄が、我に返った時、悟空の姿は何処にもなかった。






「あそこだよ、笙………あれ?!」

指差して振り返ったそこに一緒にいたはずの笙玄の姿はなかった。

「笙玄?笙玄!」

呼んでも答えは返らない。

「迷子になった?」

信じられない思いで来た道に向いていた躯を進行方向に戻せば、そこは見たこともない場所だった。
目の前に広がるのは色の洪水を思わせるような紅葉した木々の姿。
モミジの赤、イチョウの黄色、桜の赤、樫の黄色、ミズキの赤、樅の緑、柿の橙、椎の緑、クロガネモチの実の赤…。
夢のような鮮烈な風景に悟空は息を呑んだのだった。

「すげぇ…色と景色…」

半ば呆然とその場から動くことも出来ずにその景色を見つめていた悟空の耳に、聲が聴こえた。

「……さ…ん、ぞ?」

聴き覚えのある聲に、悟空はキョロキョロと当たりを見回す。

「三蔵の…聲?!」

もう一度、聴こえた聲に悟空が振り返れば、ざわりと空気が動いた。
動いた空気の中に三蔵の気配を感じる。

「三蔵!」

胸に響いた確かな聲に悟空は、聲の聴こえた方へ駆け出そうとして、来た道が無くなっていることに気が付いた。
どうやらまた、大地の目隠しに惑わされてしまったことを悟空は知った。

「う、そっ…また…?」

ざわざわと落ち着きを無くしてゆく周囲の気配の中に感じる三蔵の怒った気配。
その気配を感じるなり、悟空は大きく肩を落とした。

「あんだけ還らないって言ってたのに…強引なんだから…」

困り果てた表情を浮かべた悟空の背筋をびりびりとした感覚が這い上った。
その感覚に悟空の顔が僅かに青ざめる。

「うっわぁ…怒ってる…めちゃめちゃ怒ってるよ…」

大地と自然が覆った壁を通し、結界を越えて三蔵の怒りが伝わってくる。
と、薄いガラスにひびが入ったような澄んだ音が辺りに響き渡った。
一瞬、躯を突き抜けてゆく痛みの感覚に、悟空は自分の躯を抱きしめてその場に蹲った。
その悟空を包むように風が舞い、木々の葉を散らし、足許の枯れ葉を巻き込み、巻き上げて、空へ逃げるように上って行った。

辺りが静かになったのを感じて悟空はそっと顔を上げ、身体中にまとわりついていた葉を振り落とした。
大きく息を吐いて立ち上がった時、名前を呼ばれた。
呼ばれて振り返ればそこに、三蔵の姿があった。






澄んだ音が辺りに響いた途端、三蔵の視界を覆い尽くすように紅葉した木々の葉が舞い、落ち葉が巻き上げられ、風に追い立てられるように空へ吹き上げられて行った。
風が止んだ後には雨のように葉が舞い落ち、三蔵の髪に肩に触れ、足許に積もってゆく。
やがて視界が晴れた目の前に、葉にまみれた悟空が蹲っていた。

「悟空」

思わず名前を呼べば、悟空はぽかんとした顔で、信じられないものでも見るような顔付きで見返してきたのだった。






暫く、お互いに見つめ合った後、悟空はぎこちない足取りで三蔵の傍へ近づくと、立ち止まった。

「…あの、さぁ…俺、また取り込まれてた?」

恐る恐る上目遣いに見上げてくる悟空のちょっと困ったような、恥ずかしそうな表情に、三蔵の口から呆れたため息がこぼれ落ちる。

「やっぱり……」

それはそれはしゅんと、項垂れ、肩を落とす様子に三蔵は、思わず吹き出した。

「?!」

突然の三蔵の変化に悟空の表情が、また、ぽかんとした顔になる。

「バカ面…」

その表情に三蔵は軽く悟空の額を小突いた。

「何だよぉ…怒ってたからどうしようかって思ったのにぃ」

未だ喉を鳴らして笑う三蔵にむくれれば、

「ちったあ学習しろ、バカ猿」

と、また、小突かれた。
そして、

「本当に毎年、毎年、ご苦労なこった…」
「…えっ?」

小さく呟いて三蔵は踵を返した。

「帰るぞ」
「うん…」

背を向けた三蔵越しに茜色に染まりだした空が見えた。
細い姿に覆い被さるような夕焼けの空が三蔵を連れて行ってしまいそうに見えて、悟空は動くことができなかった。

一向に付いてこない気配に三蔵は振り返り、紫暗を軽く見開いた。
森の切れ目、背後に秋の錦を背負った悟空の姿が大地の祝福を一心に受けているように見えて、三蔵はかける言葉を失った。

お互いにお互いの姿にかける言葉もなく、動くことも出来ずに─────けれど…。

「三蔵──っ!」

我慢できずに駆け出した悟空に三蔵は小さく笑みをこぼした。
知らず緊張していた躯から力が抜け、いつもの自分を取り戻す。
そして、そんな自分が何処となく恥ずかしくなって背を向けた途端、片腕にかかる重みに、三蔵の躯が傾いだ。

「重てぇ」
「いいじゃん」
「ふん」
「うん」

くすくすと笑う声に、三蔵はちょっと顔を顰めた後、

「帰ったらお前、笙玄に謝れよ」

そう言われて、取り込まれた時、笙玄が側に居たことを思い出した。
そして、

「あいつらにちょっかい出されていた」

三蔵の言葉に悟空はきっと取り込まれたとばっちりを受て笙玄にも何かあったのだと、悟る。
だから、あれほど三蔵は怒っていたのだろう。
大地と悟空と三蔵の秋のこの闘いに、笙玄は巻き込んではいけない人だから。

「大丈夫だった?」

訊けば、

「ああ…寺でお前の帰りを待ってるよ」

と、返ってきた。

「そっか…よかった」

その言葉に頷くと、悟空は三蔵から離れ、三蔵の前に立った。
それに歩みを止めた三蔵に向かって、

「なあ、明後日の三蔵の誕生日、笙玄も混ぜた三人で弁当持って出掛けような」

────三蔵様と悟空がここへ来る時は、お弁当を作りますね

「悟空…?」

────では、私は一足先に悟空の勧めるそのモミジが見られるんですね

「ダメ?」

問えば、

「いいんじゃねえか…」

という答えと一緒にくしゃっと頭を掻き混ぜられ、再び歩き出した三蔵とすれ違いざま、後ろ頭を叩かれた。

「サンキュな」

振り返って言えば、

「帰るぞ、サル」

照れたような声音が返ってきたのだった。





michikoさま/AQUA


michikoさまのサイト「AQUA」さまにて三蔵のお誕生日記念小説がフリーになっていましたので、攫ってきました。
この機会、逃してなるものか、と。
この話を読んだときに真っ先に浮かんだのは、綺麗な色彩。鮮やかな色のグラデーション。ふっと心が洗われるような心地がしました。
悟空を挟んでの攻防。
悟空がそこに立っている限り、自然に勝ち目はないと思いますけど。それでもずっとこの戦いは続くんでしょうね。…案外、二人の絆を深めようとしていたりして(笑)
michikoさま、ステキなお話をありがとうございました。