その笑顔を失うくらいなら……


水面に映る桜の月



白い寝台に静かに横たわる冷たい身体をした少年。
その傍らに儚げな印象を纏った美しい青年が立っていた。
寝台の傍にある窓のカーテンは重く引かれ、その隙間から部屋に差し込む夕日の赤い光が床に紅い線を引いていた。

やがて陽は沈み、床に伸びた紅い線が消えたその時、寝台に横たわる少年の唇が微かに開いた。
そして、深く静かに息を吸い込み、ゆっくりと呼吸が始まる。
薄い胸が微かに動き、それと共に青白い頬に薄く朱が差し、睫毛が仄かに震えた。

息を詰めてその様子を見つめる青年の拳が震える程握られた。
その青年の頂く金糸が部屋に日没と共に灯った灯りに一瞬閃く。
そして、寝台を見つめる青年の紫水晶の瞳が歓喜に揺れた。

何度も見て、見慣れているはずの光景であるのに、息を詰めてしまう。
眠りに付く瞬間、もう二度と目覚めないのではないかと、日毎不安に駆られ、冷たい頬に触れては人ではないとそのたびに実感して。
けれど、夜が訪れればこうしてまた、目覚めの時が来る。
そうと、わかってはいても少年が目覚める瞬間、少年が生きていると確認するために青年は毎回立ち会うのだった。

ゆっくりと少年の瞼が上がり、太陽の色の瞳が現れる。
その瞳が傍らに立つ青年の姿を捉えた途端、黄金は笑み崩れ、ゆっくりと手を上げて青年の手に触れた。

「…さんぞ」

吐息のような甘い声音で三蔵と、傍らの青年の名前を少年は呼んだ。
三蔵と呼ばれた青年は軽く瞳を伏せ、

「悟空…」

と、愛しげに少年の名前を呼ぶと、目の前に横たわる金瞳をした少年に軽く口づけた。

「おはよ…」

嬉しそうに起き抜けの挨拶をすると、眠る前の営みの名残を残した艶めかしい身体を惜しげもなく目の前に立つ三蔵に晒して、悟空は寝台に身体を起こした。
そして、

「あのさ、花見にいかね?」

そう言って、悟空は三蔵の顔を見た。
ベットに座った悟空の傍らに腰を下ろした三蔵がその唐突な言葉に、怪訝な顔で悟空の顔を見やった。

「何、変な顔してんの?」

答えない三蔵を不思議そうに見やって、目が覚めたばかりの悟空が小首を傾げた。






時は日没直後。
月の出までにはもう少し時間の掛かる逢魔が時。
その時間に悟空は目覚め、日の出の最初の光が空に射す直前、眠りにつく夜の一族。

その少年が愛する青年が三蔵である。

豪奢な絹のような金糸を頂き、深い紫暗の瞳と雪石膏の肌理の細かい肌。
神がその技巧を気紛れに振るったとしか思えない美貌を持った普通の人間である青年。
少年のこの世の何よりも大切な愛しい人。

そして、三蔵は悟空の贄。

その身体に脈打つ紅い生命の水。
この世界で唯一、悟空が受け取る命の糧だ。

けれどそんなことは関係なく、悟空は三蔵が誰より大事な存在で、三蔵もまたそんな悟空を愛しく思っている二人であった。






「…何って…お前な」

悟空は「何?」と、まるで仔犬が遊びを期待するような視線で三蔵を見返すのへ、三蔵は呆れたと言わんばかりのため息を盛大に吐いた。

「嫌なの?」

三蔵が吐いたため息を拒絶と取ったのか、悟空の眉が残念そうに寄せられる。

「嫌とか何とかって言うより、突然なんだよ」
「突然?何で?」

三蔵の言葉の意味がわからないと悟空は益々首を傾げた。

「何でって…こっちにも都合があるって…───おい!」

三蔵の腕を引くなり、悟空は三蔵を寝台に組み伏せ、その上に乗り上げた。

「都合なんて関係ないよ、三蔵」

三蔵の両肩を押さえて抵抗できないようにして、悟空は三蔵の顔を上から覗き込んだ。
三蔵を見下ろす黄金が怪しく光る。

「悟空!」

離せと身体を捩ってみたが、所詮人外の者の力に人間の力が叶うわけもなく、三蔵はため息を一つ吐いて抵抗を諦めた。

「三蔵?」

手の下の身体から力が抜けたのを感じた悟空の瞳が一瞬、見開かれる。
その僅かな隙を狙って三蔵は身体を入れ替え、悟空を組み伏せた。
鮮やかな体勢の逆転に悟空は瞳を見開いたまま三蔵の顔を見つめ、三蔵はしてやったりという色を瞳に滲ませて、口元を綻ばせた。

「下、は嫌なんだ」

にやりと笑って悟空が言えば、

「お前を啼かせている時以外はな」

と、三蔵が返す。
その言葉にふわりと悟空の身体が紅く染まり、

「スケベ」

そう言って、三蔵の首に口付けを強請るように腕を絡めた。

「お前もだよ」

絡まった腕に引き寄せられるように身体を折って顔を近づけながら三蔵は喉を鳴らして笑い、二人の唇が重なった。






















夜更け、人気の無くなった桜に溢れた公園を十三夜の月に照らされた影が三つ、歩いていた。

「何で、焔まで付いて来るんだよ」

三蔵の腕に自分の腕を絡ませて歩く悟空が前を歩く黒髪の青年い向かって唇を尖らせる。

「俺だってお前と花見がしたいのだから、いいじゃないか」

悟空の不機嫌など何処吹く風で、焔と呼ばれた青年が肩越しに振り返って笑った。

「せっかく三蔵とふたりっきりだと思ってたのにぃ…」

むうっと、頬を膨らませ、悟空は焔を蹴る真似をする。
その幼い仕草に三蔵は僅かに口元を綻ばせ、焔は愛おしげに悟空を見つめた。








公園の遊歩道を奥へ進み、道を外れて三人はたわいもない会話をしながら進む。
やがて、広い池が姿を見せた。
昼間であれば池を囲む桜の美しい景色に、池の周囲は人で溢れているだろうが、夜更けというよりは深夜の公園に佇むのは悟空達だけで、生き物の気配すらなかった。
ただ、しんしんと桜の薄桃色の花が十三夜の明るい月光に浮かび上がり、目の前の池の水面に月と共にその姿を映していた。

「きれー……」

池の畔に立って、悟空はその景色に感歎の声を上げた。
その声に三蔵も焔も無言で頷き、その景色を見つめていた。

「夜桜か…酒でも持ってくればよかったな」

残念そうに焔が言えば、

「そ、だな…弁当ぐらい持って来てもよかったよな」

「な?」と悟空が頷き、傍らの三蔵を見やった。

「…作らねえぞ、弁当なんざ」

悟空の意図を見抜いて三蔵が言えば、悟空の唇が見る間に尖ってゆく。

「三蔵の飯、美味いのに…」

ちぇっと、足許の芝生を蹴って、悟空は三蔵から離れた。
その時、

「悟空!」
「三蔵!」

焔が悟空を呼ぶ声と悟空が三蔵を呼ぶ声に、声高な叫び声と乾いた銃声が聞こえたのと、悟空が紅い華を咲かせるのとどれが、何が先だったか。

「──っ!!」

振り返った三蔵の腕の中へ胸元を真っ赤に染めた悟空が倒れ込んできた。
反射的に受け止めた三蔵のひゅっと声にならない叫びが上がる。

「─…っぁ…ご──…ぅ!」

倒れた悟空が何か言うより早く、焔は木陰からひとりの女を引きずり出して二人の前に連れてきた。
その女の手には小さな拳銃が握られていた。
それを見た瞬間、三蔵の身体が女の方へ向かう。
その身体を悟空が押しとどめた。

「三蔵、大丈夫だから…大丈夫だから、な?」
「……ぁあ…ああ…」

腕の中から見上げれば、血の気の失せた夜目にも白い三蔵の顔がギクシャクと頷く。
それに仄かに笑って悟空は、もう一度「大丈夫」と囁き、焔と女に視線を向けた。
そして、撃たれた傷も流れる血をもものともせず、三蔵の腕の中で身体を起こした悟空は焔が連れてきた女を見据えた。

「何だ?お前…」

地を這う悟空の凍り付くような声音に女の身体が揺れた。
けれど、悟空を抱きかかえる三蔵の姿を目にした途端、押さえる焔の手を振りほどいて、女はまた、拳銃の引き金を引いた。

けれど、発射された弾は悟空と三蔵の目の前で止まり、地面に落ちた。
それを見た女は拳銃を連射したが、その弾は全て二人の前で止まり、ことごとく地面にパラパラと落ちたのだった。

「……な、んで…ど…て…」

女は瞳を見開いたまま何度も首を振り、撃ち尽くした銃の引き金を狂ったように引いた。
しかし、撃ち尽くした銃の引き金は乾いた音をさせるばかりで、女の狂気を載せた弾は発射されることも二人に届く事もなかった。
女は半ば呆然と諦めたように銃を足許に落とした。
三蔵と悟空を見つめる表情が歪んでゆく。

「……どうして…あたしのものにならないのなら………あたしだけのものになってくれないのなら……あなたなんて…あなたなんてぇ──っ!」

言うなり、女はいつの間に取り出したのか、手にしたナイフで三蔵と悟空目がけて切りつけた。
三蔵は腕の中の悟空を庇うように咄嗟に悟空に覆い被さる。

「三蔵、ダメだ!」

悟空の叫び声と三蔵を押しのけようとする悟空の手と一緒に腕に熱を感じて顔を上げれば、女が焔に殴り飛ばされて地面に叩き付けられたところだった。

「……っ…!」

焔の容赦のない行動に半ば呆然とする三蔵を余所に、焔が女の髪を掴んで引きずり起こした。

「お前、何やっているんだ?」

問う声音が怒りを孕んで冷たく凍り付く。
焔のオッドアイが怪しく光って、纏う空気の色が変わった。

「…いやっ!やっ!三蔵はあたしの!あたしだけのなんだからぁ」

その言葉に、三蔵の紫暗が見開かれた。

「…また、三蔵かよ。どいつもこいつも」

吐き捨てるように焔はそう言うと、二人を振り返った。
そして、

「悟空、いいな?」

と、問う。
それに悟空は視線だけで頷きを返した。
焔は悟空の頷きに、にたりと闇のような笑顔を浮かべ、女を振り返った。

「来い、クソ女」

焔の笑顔に女は何を感じたのか、掴まれた髪を振りほどこうと暴れ出した。

「いやっ!三蔵!三蔵──っ!」
「煩いんだよ」

暴れる女に軽く触れて黙らせると、焔は女を担いで二人の前から姿を消したのだった。






三蔵はその美貌故に、誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように様々な輩に言い寄られたり、つけ回されたりする事が多い。
街へ出れば男女問わず声をかけられ、誘われる。
そんなことはまだ大人しい方で、三蔵の姿に一目惚れした奴が声をかけることも出来ずにそのままストーカーに変貌することも多い。
そして、悟空と焔を三蔵の恋人だとか、二人の愛人だとか勘違いする奴、思い込む奴──実際は、三蔵と悟空は恋人同士であるが──などは、三蔵を彼らから解放するのだと悟空や焔を襲ってくるのだ。

大概のことは三蔵が独りで解決するし、今までそうやって生きてきた。
けれど、悟空達と暮らすようになって、悟空達に迷惑をかけたくないと、三蔵は滅多に家から外へは出なくなった。
もともと外に出なくてもよい仕事を生業としていた三蔵であった上に、三蔵の生活は悟空の生活サイクルに合わせているので、昼間寝て、夜起きている生活であるから、本当に三蔵が人目にその姿を晒すような時間帯に家の外へ出ることは無くなった。
けれど、それで全てが修まるか、と言えば全く無理な話で。
三蔵は三蔵の知らないところでその美貌に目をつけられ、勘違いした奴らに悟空達が襲われることもなくならなかった。

襲われた悟空と焔がタダで済ますはずもなく、きっちり売られた喧嘩は高値で買い取り、二度と襲ってこられないように、二度と三蔵に手を出すことのないように、相手を叩きのめした。
三蔵に悟られないように、人外の力を使っても必ず。

それは、悟空は大事な三蔵の為であり、二人の安穏とした生活を守るために。
それは、焔は大事な悟空の為であり、大嫌いな人間をいたぶる憂さはらしに。

そして、自分の為に悟空や焔が襲われていると知れば、三蔵は傷つくと知っていたから。
自分の責任だと自分を責め、悟空達の前から姿を消そうとすると知っていたからだ。
何よりようやく、自分には容姿以外の価値はないと思わないようになった矢先だから。

誰よりも純粋で、誰よりも澄んで、脆く綺麗な三蔵だと、三蔵を愛する悟空が知っていたから。
悟空を愛する焔も理解はしていたから。

それなのに…。






そっと抱きしめた三蔵の腕を解いて、悟空は三蔵を見やった。

「三蔵…」

名前を呼ばれて、三蔵はゆるゆると目の前に座る悟空に視線を落とした。

「大丈夫。もう傷は治ったからさ」

心許ない三蔵の視線を受け止めて悟空は明るく笑い、血に染まったシャツを脱いで見せた。
脱いだシャツで汚れた胸元を拭えば、銃で撃たれたはずの傷はどこにもなかった。

「な?」

促すように三蔵に同意を求めながら、悟空は三蔵の手を取って、胸元へ導いた。
悟空の肌に触れる寸前、ひくりと三蔵が震えたが、そのまま悟空に導かれるまま、三蔵の手は悟空の肌に、傷のあっただろう場所に触れた。

「………く、う…」
「うん」

何か言いたげに何度か三蔵は口を開いたが、結局何も言葉にすることは無かった。
ただ、悟空を見つめる紫暗の瞳が、許しを請うような色に染まっている。

「三蔵…キスしてくれよ」

悟空は甘えるように三蔵の瞳を覗き込み、ふわりと笑った。
その笑顔に三蔵も釣られるようにぎこちない微かな笑顔を浮かべた。
やがて、そっと三蔵の顔が近づいてくる。
と、

「待って!」
「…ぁあ?」

三蔵の顔を悟空は押しのけるなり、三蔵のシャツを引き裂いた。
突然の出来事に一瞬、三蔵はあっけにとられ、次いで怒りも顕わに悟空の頭を殴る。

「何しやがる!」
「ってぇなぁ!もう、暴れんなよ」

怒る三蔵に構わず、三蔵の腕を取ると、自分の方へ引っ張った。

「甘い匂いがすると思ったら…やっぱり…」

舌打ちしながら悟空が見る先へ視線を合わせた三蔵は、自分の腕が縦に長く切られ、血に染まっていることにようやく気が付いた。

「…もったいない」
「ご…くう…?」

悟空の呟きを聞いた三蔵が訝しげに悟空を見やれば、悟空の金眼が光っていた。

「お、い…やめ──っ!」

悟空の意図を察した三蔵が腕を引くより早く、ざらついた悟空の舌が傷口を舐めた。

「三蔵の血は甘い…ね」

腕の傷から流れ出る血に舌を這わしながら、上目遣いに三蔵を見上げて悟空が笑う。
その笑顔と舌の感触が三蔵の背筋を振るわせた。
腕の傷を舐める悟空を見つめる三蔵の瞳に、先程の揺らぎはもうない。
変わりに甘い熱が密かに生まれていた。

「……悟空…」
「舐めとけば治るからさ」

白い頬を仄かに染める三蔵へそう言って笑いかけ、悟空は猫がミルクを飲むような音を立てながら三蔵の傷と血を舐め続けた。








「治った…」

言われて、自分がぼうっとしていた事に気付いた三蔵が傷をみれば、まだ赤い筋が残ってはいたが、女に切られた傷は完全に治っていた。
それに軽く瞳を見開けば、

「気持ちよかった?」

と、三蔵の血で赤く染まった唇を面白そうに綻ばせた悟空が覗き込んできた。
驚いて身体を引いた三蔵はすぐに、悟空の顎を捉えると噛みつくように悟空へ口づけた。
そのまま悟空を押し倒す。

「……んぅ…ぁふぅ…」

濡れた音と悟空の甘く苦しげな声が重なる唇から漏れる。

「ぅん…さ、…ぞぉ…」

散々悟空の口腔を蹂躙した三蔵の舌が悟空の唇をなぞって離れた。
月光に銀糸が微かに光る。

「シたくなった…?」

潤んだ瞳で悟空が問えば、奥底に熱を孕み、冷たく澄んだ三蔵の紫暗が真っ直ぐに悟空を見返してきた。

「……さん…ぞ?」

視線の強さに悟空の潤んだ金瞳が、微かに揺れる。

「……二度と…二度とあんな真似はするな。お前に庇われるほど俺は落ちぶれちゃいねえ」

三蔵の言葉に悟空の瞳が見開かれた。

先程、女が最初に狙ったのは三蔵だった。
気配と殺気とを感じた瞬間、三蔵が自分の影になるように動いて、銃弾を受けた。
そのことに三蔵は気付いていないと思っていた悟空であったが、今の三蔵の言葉に三蔵が気付いていたことを知った。

「知ってたんだ…」

言えば、

「あんなのとの付き合いはお前より長いんでな」

自嘲が返ってくる。

「じゃあ…撃たれたかったんだ?」

死にたかった?と暗に問えば、

「お前が撃たれるよりはマシだな」

お前が死ぬ方が辛いと、返事が返った。
その返事に悟空の顔に花綻ぶ笑顔が生まれた。
そして、

「俺ってさ、ひょっとして愛されてる?」

問えば、

「それなりにな」

笑いを含んだ声音と共に深い口付けが降りてきた。
やがて、甘やかな吐息と声が漏れる。
その姿を水面に映る桜と十三夜の月が、薄紅に頬を染めて見つめていた。




michikoさま/AQUA


なんとっ!
「AQUA」のmichikoさまにサイト2周年&10万打記念にお話を進呈していただきました。
まったくの不意打ちでございまして。
ものすごく嬉しかったの、なんのって。狂喜のあまりのたうちまわりました。(←ヘンなヒト…)
だって、進呈ですよ。
私の(サイトの)ために書いていただいたんですよ。しかもこんなに長いお話を。
天にも昇る心地っていうのはこういうことをいうのでしょう。
同じく進呈していただきました「Holy Night」と同設定、続編です。
このお話の続き、読みたかったので、二重に嬉しいです。
カッコいい悟空と、儚げな感じの三蔵と。大好きです、この設定。
michikoさま、本当にありがとうございました。