麦わら帽子



今日も朝から日差しが焼け付くように大地を照らしている。
悟空は大好きな三蔵から買ってもらった大きな麦わら帽子をかぶって、暑さも強い日差しも何のその、境内を巡る水路を覗き込んでいた。
水面に反射する光が眩しくて水底まで見えるわけではないけれど、時折光る銀色が気になって悟空はついつい岸から身を乗り出す。
そこに魚の影を見つけて、悟空の顔が輝いた。

「あ、いた」

思わず声を上げれば、その声に驚いたのか、魚は水底へ消えてゆく。

「…ぁ」

消えた魚を追う瞳が残念そうに陰った。
その悟空の気持ちを慰めようと、風が悟空の頬を撫でた。

ふわりと、麦わら帽子の大きなつばが風に煽られ、あっという間に悟空の頭から飛んでいく。

「あっ!」

慌てて押さえようとしたけれど、帽子は風に乗って空へ舞い上がった。

「待って!」

悟空は両手を伸ばして帽子を追う。
自分がどこにいるのか忘れて。








三蔵はその豪奢な金糸を揺らす回廊を渡る風の涼しさに、立ち止まった。

立秋を迎えたとはいえ、まだまだ真夏の強い日差しが、回廊から見える庭に濃い影を落としている。
回廊の屋根の下の暗さと日向の明るさの落差に、三蔵は眩しそうに紫暗を眇めた。

風が三蔵の髪や着物を空へ舞い上げるように吹く。
その手に引っ張られるように眩しい透き通るような夏空を見上げれば、麦わら帽子が風に舞っていた。

夏の暑さと日差しの強さを気にとめることもなく、養い子は毎日、外へ遊びに出かけていく。
そして、夕方には真夏の熱気を体中に纏って帰ってくる。
一日の汚れと熱気を落とすために風呂に入っても悟空から日中の熱はすぐには取れず、元気ばかりが目立つ悟空も熱気に負けてすぐに寝てしまう。
眠る細い首筋や華奢な手足に、幼けない寝顔のそこここに、日差しの痛手を見つけてしまえば、どうにかしてやりたいとごく自然に思ったのだ。
だから、出先で見つけたつばの広い麦わら帽子を日よけと熱気よけに買い求めた。

「ありがとう!」

三蔵から手渡された麦わら帽子に、悟空は何度も何度も礼を言って、大事そうに麦わら帽子を抱えたり、かぶってみたり、大はしゃぎだった。

悟空の小さな頭には少し大きかったけれど、それはそれは嬉しそうに悟空が笑うから、風に飛ばされないように紐をつけてやった。
これで暴力的な日差しと熱気から少しでも悟空が守れたらいいとそう思う三蔵の気持ちのまま、悟空は大事そうに抱えて、それから外へ遊びに出かける時は欠かさずにその麦わら帽子をかぶっていくようになった。

赤い細いリボンが巻かれた麦わら帽子。
風に乗って空を舞っていた。

その様子を見つめて、三蔵は回廊の外へ、風に舞う麦わら帽子を掴もうと足を向けた。
途端、強い日差しの眩しさに、一瞬、視界が真っ白に染まる。
思わず手をかざして影を作り、空を舞う帽子の姿を追った。








高らかな水音を立てて水路に落ちた悟空は、水に沈みながら、揺れる水面越しに風に運ばれてゆく麦わら帽子を見つめていた。

大好きな三蔵が買ってくれた麦わら帽子。
綺麗な赤いリボンが巻かれた麦わら帽子。
悟空には少し大きくて、かぶってもすぐに脱げそうだと三蔵が顎紐をつけてくれた。

嬉しくて、嬉しくて、大事で、大切で。
それなのに風に飛ばしてしまった。

水に沈む悟空の瞳に涙が滲む。
きゅっと、唇を噛みしめて、悟空は帽子を追うために、水面へ向かった。

水をまき散らして岸に上がって空を見上げれば、水の中から見えていた麦わら帽子はどこにも見えなくなっていた。

「……ぁ…」

へたりと座り込んでしまいそうな足を踏ん張って、悟空は帽子が消えただろう方向へ空を見上げながら走り出した。

「…確か…こっち…」

悟空の様子にざわざわと木々がざわめき、風が申し訳なさそうに子供の身体にまつわりつく。
悟空はそんな周囲の様子になど気にとめることもなく、濡れたままで帽子を探して走る。

「―――ない…」

飛んだと思った方向へ走って、木に引っかかってないか、池に落ちてないか、草の中に、植え込みの影に、屋根の上にないか、きょろきょろと探して、探し回る。
けれど、大事な麦わら帽子はどこにも見当たらない。
広い境内の隅々まで探すことなど到底一人ではできはしない。
まして、養い親の三蔵に買ってもらった麦わら帽子を風に飛ばして失くしたから一緒に探して欲しいと、言うことなどできはしない。

「どうしよう…」

途方に暮れて、日向の中で立ち竦む。
焼けるような日差しと熱気に、濡れた髪も服も乾き始めていたけれど、日差しの痛さよりも、暑さよりも、濡れた気持ち悪さよりも麦わら帽子の行方が気になった。

「せっかく三蔵が買ってくれたのに…俺…」

見つからないことが悲しくて、風に飛ばしてしまったことが申し訳なくて、俯く視界が滲んでくる。
でも、泣いて立ち竦んでいても麦わら帽子が見つかるはずもないからできる限りに探すのだと、顔を上げた途端、ぽすんと視界が何かに覆われた。

「…へっ…?!」

慌ててそれに触れれば、それは―――

「ぁ…帽子…な、んで……?」

風に飛ばして失くしたはずの大事な、大切な麦わら帽子だった。
驚いて帽子を脱げば、

「さ、んぞ…」

そこに、呆れた顔の三蔵が立っていた。

「何やってんだ、お前は…」
「…ぇ?」

言うなり、悟空の手から麦わら帽子を取ると、もう一度悟空にかぶせ、顎紐をしっかり結んだ。

「もう、飛ばすんじゃねぇぞ」

ぽんぽんと帽子の上から悟空の頭を軽く叩いた。
その瞬間、悟空は両手を伸ばし、三蔵の腰に抱きついた。

「さんぞ、さんぞー、三蔵っ!」

三蔵の名前を呼びながら抱きつく悟空を引きはがそうと背に触れて、初めて悟空が濡れていることに気付いた三蔵は、慌てて悟空を引きはがそうと身体を引いた。

「てめぇ、何だ、ずぶ濡れじゃねぇか!こら、離れろ」
「やだ」

そう言って、悟空は三蔵の腰に回した腕に力を込めて、離されないようにしがみつく。

「着物が濡れるだろうが」
「やだっ」
「サルっ」
「やだっ」
「悟空」
「だって、だって――」

ぎゅうぎゅうと抱きつく悟空と離そうとする三蔵との間の少しの攻防の先、くぐもった小さな声が聞こえた。
その声に、三蔵は諦めたように吐息をこぼし、もう一度、悟空の頭を帽子越しに軽く叩いた。
そして、

「…ばぁか」

そう言って、悟空をふうわりと抱きしめたのだった。



michikoさま/AQUA


「AQUA」のmichikoさまより、残暑見舞いにいただいたお話です!
なんというか…本当に悟空は三蔵が好きで、三蔵は悟空が可愛くてたまらないんだな…って感じ。
ほのぼの可愛らしいお話に、思わずほっこりです。
michikoさま、素敵なお話を本当にありがとうございました。