記念日
ふと目を開けると、風に舞う桜の花びらが目に入った。
「きれぇ……」
思わず溜息が出る。
見上げる桜の大木は満開で、どこを見てよいのか迷うほどの艶やかさ。
「すごい、きれぇ」
もう一度言って、地面に寝転がったまま、上に手を伸ばした。
と、風に流れて、煙草の香がした。
ふっと視線を横にずらして―――息を止めた。
咲き誇る桜より綺麗な人。
その姿に思わず笑みを浮かべる。
嬉しくて。
ただこの綺麗な人が側にいるのが嬉しくて。
「何だ?」
視線に気づいたのか、三蔵が訝しげな顔をして見下ろしてきた。
「何でもない」
笑みを浮かべたまま答える。
綺麗だ、と言うと三蔵の機嫌は悪くなる。
どうしてだか未だによくわからない。
綺麗なものを綺麗だって言ってどこが悪いんだろ。
「ね、三蔵、そういえば、どうしてここがわかったの?」
三蔵の顔を見ているうちにふと思いついて、聞いてみた。
一人、桜の花を見ていたらいきなり三蔵が現れたから。
「お前が呼んだんだろ」
「へ? ……呼んでない、と思うけど?」
「呼んだ」
きっぱり言い切る三蔵に、頭の中で疑問符が踊る。
たまに無意識のうちに煩いくらいに三蔵を呼ぶことはあるけれど、そういう時は大抵寂しいとか、怖いとか、そういう時で、『呼ばれた』って言われて、そういえば呼んでたかもってわかったりする。
だけど、今日はそんなのはなくて。
「ってゆーか。むしろ呼ばれたのは、俺の方だと思うけど」
「桜にか?」
「そう。―――って何でわかるの?」
「馬鹿のひとつ覚えみたいに、毎年同じだからな」
「……馬鹿は余計だと思う」
毎年、毎年、この時期なると桜に呼ばれる。
美しく咲く桜に。
言祝がれるように。
岩牢から出られたことを。
「寺院の桜だけかと思ってたんだけど」
それは旅に出ても同じだったらしい。
「世界中の桜が―――桜だけでなくて、花が、木が、大地に根ざすもの全てがそうなんだろう」
面白くもなさそうに三蔵が言う。
「―――三蔵、寒くない?」
「何だ、唐突に」
「いや、なんとなく」
三蔵はアンダーシャツ姿で、日差しが暖かくなってきたとはいえ、その格好では寒いんじゃないかと思った。
起き上がって、上に掛かっていた三蔵の法衣を羽織り、包み込むように三蔵に抱きついた。
「何をしている」
「うんと、こうすればあったかいかな、って」
「そんなことより素直に返しやがれ」
「やだよ。こうしてると俺だってあったかいし」
「服、着りゃあいいだろ」
「自分で脱がしたくせに」
なんのかんの言いながらも、別に振り払われはしない。
気分が良くなって、さらにぎゅっと抱きついた。
あの岩牢から出られたのは、とても嬉しかったけど、でもだからと言ってその日が『特別な日』ってわけじゃない。
特別な日とは、こうして三蔵のそばにいられる日のこと。
ごめんね。
祝ってくれるのは嬉しいけど、でも、三蔵と一緒にいられる方がずっと嬉しい。
だから。
「ずっと一緒にいようね」
告げた言葉に答えはなかったけど、背中に腕が回って抱きしめ返してくれた。
それだけで充分。
満たされる幸せに、笑って三蔵の胸に顔を埋めた。