透明のパノラマ


 雨が降り続いている―――。


 窓敷居に腰かけて、何をするでもなく、ただ雨の音を聞いていた。
 突然、何の前触れもなく、目の前に人影が浮かび上がった。
 薄暗い部屋の中に映し出されるここではない風景。
 不思議と奇妙に思う気持ちは浮かんでこなかった。

 白い着物を着た―――金髪の子供。手に湯気のたつ茶をささげ持っている。
 ノックをして開くドアの向こうに。

 懐かしい笑顔。

 お師匠さま―――。
 
 何を言っているのか、声は聞こえない。
 お師匠さまは何か子供に話しかけ、ふいっと子供が拗ねたように視線をそらせた。
 だがそれを見ても、見守るお師匠さまの笑顔は変わらず穏やかなままで―――。

 やがて場面が移った。

 秋。
 赤く染まった木々。
 枯葉を掃く子供と、木に寄りかかって煙草をふかすお師匠さま。
 子供は呆れたような表情を浮かべ、お師匠さまはまたも同じ穏やかな笑みを浮かべる。

 次々と目の前を通りすぎていく、懐かしい場面。
 お師匠さまはいつでも笑みを浮かべ、子供はいつでも仏頂面をしている。
 怒ってでもいるかのようであるが、そうではない。
 表に現れているものが全てではない。

 ―――嬉しいのだ、本当は。お師匠さまともにいられるこの時間が。

 わかる。
 自分のことだから、それはよくわかる。
 
 ずっとこんな時間が続いていくのだと思っていた。
 ずっとそばにいられるのだと思っていた。

 だが。



 軽やかな風が巻き起こった。
 影が横をすり抜けて行く。
 揺れる茶色の髪が目の端を掠めた。

 ―――悟空?

 無意識のうちに視線が影を追う。

 視線のその先。
 悟空が手を伸ばし、飛び込んでいくその先は―――。

 金の髪を長く伸ばした男。

 飛び込んできた悟空を受け止めて、優しげな表情を浮かべる。
 やはり声は聞こえない。
 だが、男は何事か言い、くしゃりと悟空の髪を掻き回した。
 男の腰のあたりにしがみついていた悟空がそれに答えるかのように顔をあげた。
 赤く染まった頬。満面に浮かぶ嬉しそうな、幸せそうな笑み。


 こんな表情は見たことがない。


 胸のうちで、何かが音を立てた。



「自分だけが大切な思い出を胸に隠していると思った?」

 不意に声がした。
 反射的に声の方を向くと悟空が立っていた。
 いつもの悟空ではない。
 全ての感情を削ぎ落としたかのような静かな表情をしている。

「あれは悟空の大切な思い出。本人も覚えていない封印された記憶。だけど、消えてなくなってしまったわけじゃない。今でも胸の奥の奥、本人も知らない場所に眠っている」

 密やかな言葉が響く。

「それを聞いて、あなたはどう思う―――?」

 そして、全てが暗闇に包まれた。



 ふと、暖かさを感じた。

「ね、ちゃんとこっちを見て」

 囁く声。
 気がつくと、両手で頬を包み込まれていた。

「ね、見て。うるさいって怒ってもいいから、俺を見て」

 微かに震える手。
 泣きそうな眼差し。それが、絶望にと覆われていき、目が伏せられるその瞬間―――。

「……悟空」

 ようやく声が出た。

 すると、光が射したかのように、悟空の顔に笑みが浮かんだ。
 ふわりと幸せそうな笑みが。


 見たことがなかったわけではない。
 見ようとしなかっただけ。

 手を伸ばして引き寄せた。


 例え、その胸の中に誰を住まわせていようと。
 今は。
 今、この時だけは。


 金色の幻影がまだ見える気がしたが、暖かな体を抱きしめて目を閉じた。




「透明のパノラマ」
綺麗な言葉ですよね。でもって、この話のどこがそうなのか。そこは突っ込まないでください……ってお題リクエストなのに、それはどうよ? って感じですが。
互いに心の裡に相手ではない大切な人を住まわせている。
それがわかったとしたら―――。
このお題で浮かんだのは、そんなイメージでございました。
ちょおっと(だいぶ?)お題からズレているかもしれませんが、想像力貧困な頭ではこれが精一杯。お許しくださいませ。