背中で感じる君のぬくもり
木の枝にかかるような月を眺めていた三蔵のもとに、ふいに声が届いた。
煩く、自分を呼ぶ声。
三蔵の眉間に微かに皺が寄った。
今夜は満月。
月の光に浮かぶ木々の影は濃く浮いて、まるで影絵のようだ。
それは、不思議に美しい光景だったが、月を愛でようと思って、庭に出てきたわけではなかった。
ただの気まぐれ。
特に意味があったわけではない。
それなのに、いなくなったことを騒ぎたてるこの煩い声。
いつもであれば一度寝ついてしまえば、朝まで起きることもないのに、どうしてこういうときだけ気配に敏感なのだろう。
どうして、置いていかれるなどと、いまだに思うのだろう。
離れられないのは―――。
泣いているような呼び声は、どんどんと近づいてくる。
まっすぐに、こちらを目指して。
やがて、パタパタという足音がして、どんっと背中に衝撃を感じた。
「三蔵」
ぎゅっと抱きついてくる、小さな手。
「……置いてっちゃ、ヤダ」
そして聞こえてくる、小さな、小さな声。
ふっと三蔵はため息をついた。
途端に、背中に震えが伝わる。
呆れられたのか、と恐れているような。
もう何度も置いていかないと言っているにも関わらず、理由もなく姿が見えなくなると、こんな風にすぐに不安に駆られる。
正直、呆れてないとは言えない。
だが、それだけこの子供の抱える闇は大きいのだろうか、とも思う。
三蔵が何も言わずにいたからだろうか。
「ごめんなさい……」
やがて、小さく震える声とともに、ぎゅっと掴まれていた法衣から手が離れていった。
その手首を三蔵は捕らえた。
「この手はもう鎖には繋がれていねぇだろうが」
どこにあれほどの力を秘めているのかわからない、華奢といってもよい細い手首に視線を落とし、三蔵は言う。
「お前の足もそうだ。置いていかれるのが嫌ならば、その足で追って来い。そして、その手で捕まえればいいだろう。今みたいにな」
「……三蔵」
意味を取りあぐねているような、戸惑った声が聞こえてきた。
「三蔵、それって」
しかし、すぐに声に喜色が混じる。
追って来い、という言葉が、そばにいろと言われたのだと理解して。
「もっとも、今みたいにいつでも捕まってやるかどうかは、わからないがな」
あまりにも簡単に喜びをみせる様子に、三蔵は意地悪く付け加えた。
「何だよ、それ」
背中に、クスクスという笑い声が響いた。
もう泣いている声は聞こえない。
「いつだって、ぜってぇ捕まえてやるからな」
聞こえてくるのは、強い意志がこもった、きっぱりとした声。
そして、背中に感じるぬくもり。
本当に、わかっているのだろうか。
背中の暖かさを心地よく感じながらも、三蔵は思う。
追ってくるのも自由なら、離れるのも自由だということを。
わざとそれを言わぬまま、こんな風に三蔵が暗示にかけているのだ、と。
追って来い、と。
そばにいろ、と。
離れる自由を知ったとき、このぬくもりは永遠に消えてなくなるのだろうか。
それとも―――。
ぜってぇ捕まえてやる。
そう悟空が言ったときの、三蔵の表情を。
月だけが見ていた―――。