花冠
コンコン、とノックの音がした。
答える前に扉が開く。
三蔵は眉間を寄せて、チェックしていた書類から顔をあげた。
寺院の坊主たちはこんなことはしない。答えがあるまでは決して扉には触れない。
思いつく限り、こんなことをするのは二人だけだ。
そして予想に違わず、戸口には、赤い髪の青年と、翠の目の青年の姿があった。
ちゃんと答えを聞いてから開けろ。
そんな文句のひとつでも言おうとしたところ、八戒の服の裾を握って俯いている悟空の姿が目に入った。
少し目が赤い。どうやら泣いたようだ。
額の皺はそのままだったが、三蔵の表情が不機嫌なものから、訝しげなものにと変わる。机に書類を置いて、立ち上がった。
そこへ無言のまま、悟空が駆け寄ってきた。
ぽすん、と音がして、悟空が三蔵に抱きつく。ぎゅっと法衣が握り締められた。
「何があった?」
軽く悟空の頭に手をやり、三蔵は戸口に立つ二人に問いかけた。
「もういい加減、考えるのはよせ」
寝室のベッドに並んで腰かけながら、三蔵は悟空に声をかけた。
悟空は泣きそうな表情で、ずっと俯いている。
理由を二人に尋ねたとき、悟浄は肩を竦めて言った。
―――何かあったわけじゃねぇよ。ただ、これを作っているうちに、急に泣き出したんだ。
手渡されたのは、しろつめ草で作られた花の冠。
―――僕がいけなかったのかもしれません。その作り方、もともと悟空は知っていまして、誰に教わったのか聞いたんです。
悟空は誰に教わったのか思い出せなかったという。
五百年前の、悟空の封じられた記憶。
作り方を教わったのは、そのときのことなのだろう。
記憶は消されたが、体が覚えたことは忘れずにいた。
でも、誰に教えてもらったのか。
思い出せない。そんなもどかしさ表情に現れている。
「考えても無駄だろう」
そう声をかけると、ぎゅっと―――指が白くなるくらいまでぎゅっと、法衣が握られた。
ずっと悟空がその手を離さなかったので、三蔵は仕方なしに仕事を中断して私室に戻った。それから今に至るまで、悟空の手は三蔵の法衣を握ったままだ。
それだけ不安なのだと思った。己の存在の根底が揺るがされて。
だが。
「俺……、三蔵のことも忘れるのかな……」
ぽつりと悟空が呟いた。
「悟空?」
「だって、大切だったはずなんだ。これ、作ったの、大切なことだったはずなんだ。でも思い出せない。全然、思い出せない。凄く大切だったってことはわかるのに」
突然、悟空は三蔵の方に身を投げ出すようにして、抱きついていった。
「やだ。忘れたくない―――っ!」
言葉は悲鳴のように、部屋に響いた。
安心しろ。
忘れさせてなどやらねぇから。
「三蔵」
掴んでいた法衣を離し、悟空は手を差し伸べて、三蔵を引き寄せた。
強請られるまま、三蔵は悟空の唇に軽くキスを落とす。
羽のような、触れるだけのキスを。
何度も。
そうしているうちに、悟空の体から安心したように力が抜けていく。
「俺、あれを誰かに渡したかったんだ……」
身を任せた腕の中、悟空がポツリと呟いた。
視線の先には花冠。
「よくわかんないけど、そうだと思う。だけど、なんでだろ。あれを見てると、なんかここが痛い……」
ようやく落ち着きを取り戻したというのに、悟空はまた顔を歪めて、胸にと手をやった。
その手の甲に三蔵の唇が触れる。
「考えてもわからないことを、ぐだぐだと考えてても仕方ねぇだろ」
「うん……」
抱き寄せられて、三蔵の胸に顔を埋めて悟空が頷く。
こうしていることで、こんなに安心するのに、だけど、胸の痛みは癒えることはない。
「いつかまた会えるといいのに―――」
伏せられた目から、一筋の涙が零れ落ちた。
いつかまた会えたら。
一緒に遊ぼう。
今度こそ、一緒に遊ぼう―――。