誰も触れられない二人だけ世界
テーブルを挟んで、こちら側とあちら側と。
どうしてここまで空気が違うんだろう。
買ってきたばかりの肉まんを幸せそうな顔でパクついている小猿と、機嫌を氷点下まで下げて新聞と睨めっこしている最高僧と。
「なー、お前、何かしたのか?」
悟浄は、悟空の袖をひっぱると、小声で囁きかけた。
といっても原因はなんとなく見当はつく。いつものように買出しに行く前に、なんだか二人で揉めていたみたいだったから、犬も食わぬ、というやつだろう。それでも聞いてみたのは、このところ、ずっと見通しの良い平原を走り通しで、お客さん(妖怪の襲撃)もなく、退屈していたからだ。それに、本日泊まりとなったこの町は、町というにはショボイ感じで(悟浄にとっての)娯楽施設などありそうにないのも、悪戯心に火をつけていた。小猿ちゃんを上手く誘導して、面白いことをしゃべらせて、日頃たまった鬱憤を晴らそう、というのだ。
だが。
ちらりと悟浄はテーブルに置かれた三蔵の愛用の銃に視線を送る。
それは、常に危険と隣り合わせだ。だけど、リスクが大きければ大きいほど、楽しみも大きいというものだ。
「何かって、何?」
きょんと、クリクリの大きな目をさらに大きくして、悟空が反対に問いかけてきた。
両手で肉まんを持ったその姿は、どこか小動物を思わせる。
こういうところは、確かに可愛いんだが。
と、悟浄が思ったことがわかったわけでもあるまいに、最高僧の肩が微かにピクリと揺れた。それを見て、悟浄の顔に人の悪い笑みが浮かぶ。
「あ、れ。心あたり、あるだろ?」
顎でしゃくるように三蔵の方を指し示すと、悟空はつられるようにそちらを向き、むぅと少し困ったような表情を浮かべた。
「何があったわけ?」
「んと……腹が鳴った」
「は?」
悟空らしいといえば悟空らしいが、予期せぬ答えに悟浄は少し戸惑った表情をした。
「だって、しょーがねぇじゃん。生きてりゃ腹だって減るもん」
「それは、そうですよね」
お茶を淹れていた八戒が戻ってきて、いつもの柔和な笑顔でのほほんと口を挟んできた。
「だけど、それだけで機嫌が悪くなるんですか?」
各人の前にお茶を置いていきながら付け足した言葉に、八戒も退屈していたのだろうか、と悟浄は訝しむ視線を投げたが、にこにこ笑っている姿からは何も窺い知れない。
「む〜」
と悟空が、うなり声をあげた。
「そんなに三蔵が、気になる?」
そしてまた、いきなり思ってもみなかったことを言い出した。
「気になるといえば、気になるが……」
ちらりと再度、三蔵に視線を投げて悟浄が答える。
これだけの距離だ。
聞こえていないわけはないだろうに、三蔵はひたすら新聞を見ている。
なんだかその姿勢はいっそ滑稽な気がする。
「そうか」
悟空はふっとため息のように短く息を吐き出すと、お茶を一口飲んでから立ち上がった。机をまわって三蔵の前に立つ。
「三蔵」
呼びかけるが、三蔵は新聞から目もあげない。
今度こそ本当にため息をついて、悟空は新聞をとりあげた。
「悪かったって。だいたい、腹の虫は俺の意思とは無関係なんだし」
よいしょ。
そんな感じで、悟空は片膝を三蔵の上に乗り上げ、腕を伸ばして、三蔵の首の後ろで手を組んだ。
―――ちょっと、待て。
突然の予告もない行動に、悟浄も八戒も一瞬、動きを止めた。
「おい、猿」
けれどとりあえず、ここには二人以外の人間がいるのだと思い出させるべく声をかける。
そもそも、からかう種を見つけたかったのであって、イチャこく姿が見たかったわけではないのだ。
「別にヤダって言ったわけじゃないじゃんか」
だが、時、既に遅し、だったようだ。
拗ねるような、甘えるような口調で、ただ一人三蔵を見つめて悟空はそう言うと、可愛らしく小首をかしげた。
「だいたい、今日も明日も明後日も一緒なんだから、いつでもできるんだし」
……何を?
とは、もはや恐ろしくて口を挟めない。
というか、ここはもう―――。
「悟浄、八戒」
思わず二人して、回れ右をして戸口に向かおうとしたところ、急に悟空に呼びとめられた。そうなると、二人とも、嫌々ながらも振り返らずにはいられない。
そして、振り返った視線の先は、澄んだ金色の瞳。
「ごめんね、でも……」
その金色の瞳に本当に申し訳なさそうな光を浮かべて悟空は謝ると、ぎゅっと三蔵に抱きついた。
「三蔵は、俺のモノだから、諦めて?」
……。
一瞬、どころではなくかなり長い間、二人の思考は断絶した。
本能が、言われた言葉の裏にある意味を取るのを拒否していた。
「―――メシ、適当に食ってろ」
沈黙は、声とともにテーブルに投げられた三仏神のカードで破られた。
「ちょっと、待てよ、三蔵。俺は?」
抱きかかえられた悟空がわめき声をあげる。
「お前は、さっき、肉まん、食ってたろうが」
「あれはおやつ。って、人の話、聞けって、おいっ」
声はどんどんと遠ざかっていき、最後は扉の向こうにと消えた。
後に佇むのは、どこか魂が抜かれてしまったかのような二人。
どうすれば、悟浄と八戒が三蔵に気があるとなどと誤解できるのだろう。
二人は同時に深いため息をついた。
□ ■ □
今日も明日も明後日も、ずっと一緒。
その先も―――。
何かを捕まえるかのように、悟空は上に向かって手を伸ばした。
「どうした?」
と、その手を捕まえられる。
「何でもない」
穏やかな笑みを浮かべ、悟空は取られた手に指を絡めてそっと下ろした。
今日も明日も明後日も、その先も、ずっと一緒。
本当は、そんなこと、できないのだと知っている。
ずっと、ずっと一緒にいることなど。
だって、一緒に、せーのでこの生を終えることはできないのだから。
必ずどちらかが残される。そして、それは―――。
それでも―――。
「三蔵は、俺のモノだからな」
悟空は絡めたままだった手を持ち上げる。
「だから、ずっと一緒にいような」
そして、手の甲に唇を押し当てて呟いた。
どちらの顔にも淡い笑みが浮かび、どちらからともなく顔が近づいていった。
ずっと一緒に―――