チャレンジメニュー
「うぎゃ」
ベシャ。
「ふみゃ」
グシャ。
「うわっと、と」
ドン。ガラガラドッシャーン。
辺りに鳴り響く派手な悲鳴と物音。
「だーっ、うっせぇ」
悟浄はベッドから飛び起きると、そこらへんにあったものを引っ掛けて、足音も荒く音の発生源と見られるキッチンにと向かった。
こんな騒ぎを引き起こすのは一人しかいない。
「おい、こら、猿。ちっとは……」
何しろ、寝たのは明け方だ。
2〜3時間もしないうちに起こされて、機嫌は最低最悪。諸悪の根源を怒鳴りつけようと、勢い込んできたのだが。
「……何事?」
扉を開けて、目にした光景に言葉を奪われ、立ち尽くした。
想像していたより酷い。
寝ている間に、爆撃でもあったのだろうか。
あちこちに物が散乱し、なんだかよくわからないものが飛び散って、キッチンはひどい有様だった。
そして、その中心に――まるで爆発地点を指し示すように、床に座り込んでいる小猿が一匹。だがまぁ、それは予想通りだ。
で、そこから少し離れたところに、これだけキッチンが惨憺たる有様なのに髪の毛一筋も乱すことなく優雅に立っている同居人。
普通なら、ここまで荒らされる前に、この同居人は止めるはずなのだが。
悟浄は軽く顔をしかめた。
□ ■ □
「嫁ぇ?!」
ざっとキッチンを片付けて、手を洗い。
慎重に卵を割ろうとしている悟空の後ろで、悟浄が素っ頓狂な声をあげた。
「えぇ。なんか、お嫁さん、イコール、ずっと一緒にいられるという図式が悟空の頭に入り込んだみたいで。で、お嫁さんは毎日ご飯を作る人、って思っているみたいですね」
「間違ってはいないかもしれないが……」
卵を握りつぶして、うぎゃっという声をあげる悟空に目をやりながら、小声で悟浄が囁く。
「解釈はともかくとして、料理はできた方がいいんじゃないかな、と思いまして」
「ま、そりゃ、な」
「三蔵が三仏神の依頼を片付けるまでに3日あるそうなんですが、教えるにしてもどこからかなと思って、とりあえず何が作れるのかと聞いてみたんですが……」
で、実践させてみたら、キッチンがあの有様になったそうで。
これはまず、凶器――もとい、包丁を使わない卵料理からか、ということになったのだが……。
ぎゃっという声がまた聞こえてくる。悟空の手の中で卵はぐしゃぐしゃに潰れていた。
「お前、ホント不器用なのな」
あまりの不器用さに、悟浄は呆れ返り、悟空が新たに手にした卵を取り上げた。
「んなこと言っても、難しいんだぞ。悟浄はできるのかよ」
「とーぜん」
ふふん、と鼻で笑い、悟浄はコツンとボールの縁に卵を打ちつけると、片手で卵を割ってみせた。
「ざっとこんなもん」
鼻高々にそう言うと、悟空が頬をむぅっと膨らませた。
「まぁまぁ。悟浄だって最初からこんなことができたわけじゃないですから」
なんとなく言い争いになりそうな雰囲気を感じ取って、八戒が口を挟む。
「三蔵が帰ってくるまでまだありますし、練習すればきっとできるようになりますよ」
「うん」
にっこりと笑って言う八戒に勇気づけられたのか、悟空は決意も新たに新しい卵に手を伸ばした。
□ ■ □
そして、3日後。
悟浄の家まで悟空を迎えにきた三蔵は、夕食を食べていくようにと勧められ、それ自体はよくあることだったので、特に口を差し挟むことなく言われるまま食卓についた。
と、珍しく出迎え時に飛びついてこなかった悟空が、緊張した面持ちでキッチンから料理を運んできた。
ご飯と汁物、それに端が焦げた目玉焼き。
そこはかとなく漂う奇妙な雰囲気に、三蔵は訝しげな表情を浮かべたが、口に出しては何も言わず、おもむろにマヨネーズに手を伸ばすと、目玉焼きにかけて食べ始めた。
ちなみにテーブルの下では。
――マヨネーズかよ。
と、突っ込みを入れようとした悟浄の足が、八戒によってしたたかに蹴られ、ガタンという音を立てたが、一同から黙殺された。ついでに言えば、あまりの痛さに悟浄は声も出せずに悶絶していた。
「……どう?」
自分は何一つ箸をつけず、緊張した面持ちのまま、悟空が三蔵に聞く。
「別に」
「……そっか」
悟空は肩を落とした。
今まで緊張していた分、眩暈を起こしそうになる。
安堵ではなく、失望で。
食べ物に関して、三蔵は特に煩いほうではない。(この場合、何でもマヨネーズをかけるという味覚うんぬんは抜きにして) 食べられればそれで良い、というところがある。
だから、別に、という答えは、『普通』から『食べれないこともない』まで、広範囲の意味を含む。
そして、今回は。
「お前なぁ。これ、小猿ちゃんが作ったってわかってるんだろ? 美味しいの一言くらい言ってやりゃあいいじゃねぇか。せっかくペットから嫁に昇格しようとケナゲにも頑張っているのに」
「嫁?」
足の痛みから立ち直った悟浄が三蔵に言葉をかけると、三蔵の眉間に皺が寄った。
その様子に、これからどんな反応を示すのかと、悟浄がにやにやと人の悪い笑みを浮かべる。
もともと揉め事は大好きなのだ。それも端から見ている分には、こんな楽しい見世物はない。
が、怒るとか不機嫌になるとか、そういう予想をしていたのに反して、三蔵は額に皺を刻んだまま、ちょいちょいと指を動かすと、悟空を近くにと呼び寄せた。
袖を引いて自分の口元に悟空の耳を持ってこさせると、何事が囁く。
と、いきなり。
ボン、と音をたてるかのように、悟空の頬が瞬時に赤く染まった。
「邪魔したな」
そして、三蔵は立ち上がると、二人に口を挟む隙も与えずに、悟空の腕を掴んでずんずんと家から出て行った。
「……今のは」
「うーん。さしずめ、夜のオツトメは完璧とかなんとか……」
ちょっと呆然とした様子の同居人の質問に答えかけ、その途端に黒いオーラのようなものが立ち上がったような気配を感じて、悟浄は口をつぐんだ。
「あんなイタイケな子に」
呟く八戒に、悟浄は少し身を引く。
揉め事は大好きだ。だが、悟空に絡むことで八戒が機嫌を損ねると、なぜかとばっちりが自分にくる。
カンベンしてくれよな……。
悟浄は心の中で呟いた。
□ ■ □
そして、数日後。
悟空が体を鍛えるための特別訓練メニューを作った、という話をたまたま小耳に挟み、悟浄は2、3日は家には帰らないほうがいいかも、と考えた。
もともと体力はありあまっているはずの小猿である。
そんな小猿ちゃんが体力アップを図りたいという理由に、なんだか。不穏当な感じをうける。
――夜のオツトメがキツイとか。
それが本当だとしたら、同居人が何を言い出すか……。
繁華街に向かう道を辿りながら、あの3人と知り合ってから、なぜか不幸な目に陥ることが多いよな、と呟く。
綺麗に晴れ渡った空を見上げて、悟浄は軽くため息をついた。