一面の白が、視界から引いていくと、柔らかな黄緑色が姿を現す。それはどんどんと色を濃くし、どんどんと広がり、そして、今度は赤や黄色にと色を変える。やがてそれは、はらはらと風に舞ってどこかに飛んでいき、あとには物寂しい茶色だけが残る。だが、それもまた、白、一色に塗り潰されていく。
目の前で移ろう、色。
綺麗、だとは思っていた。
だが。
春夏秋冬
「……の、バカ猿っ!」
「ふぎゃ」
唐突に、頭に衝撃を感じ、悟空は前へとつんのめりそうになった。
「ってぇな、いきなり何すんだよ」
頭を押さえて見上げると、予想通り、ハリセンを肩に担いだ三蔵が仁王立ちになっていた。
「何するんだ、じゃねぇだろ。あれほど日が暮れる前に帰ってこいと言っといたろうが」
言われて辺りを見回すと、陽は落ちきり、夕暮れの名残がうっすらと西の空に残るだけ。周囲はもう仄かな暗さに包まれていた。よく見れば、星がひとつ、ふたつと瞬いている。
「もうこんなに暗くなってたんだ」
悟空は立ち上がると、パンパンと軽く服を叩き、それからぽふっと三蔵に抱きついた。
「三蔵、迎えにきてくれんだ」
「お前、泥だらけじゃねぇか。汚れる。離れろ」
「や。綺麗にしたもん」
「払ったくらいじゃ落ちねぇんだよ」
三蔵は悟空の襟首を掴んで離そうとするが、悟空はぎゅっと腰のあたりにしがみついたまま引き剥がされまいとする。
しばらく攻防が続いたあと、三蔵が諦めたかのようにため息をついた。
くふっ、と嬉しそうに笑って、悟空はますます三蔵にしがみつく。
「今日はな、あっちの山まで探検に行った」
そして、しがみついた格好のまま寺院へと帰る道すがら、花がどうの、木がどうのと話し続ける。大きな岩があったとか、鳥がいたとか、くもの巣があったとか、そういう他愛もないことを次々と。
そこらじゅうを駆け回っていたことは、服に作った草の染みとか、頭につけている小枝とかでわかる。
「そんなことをしてて楽しいか?」
「うんっ!」
髪に絡む小枝を注意深くとってやりながら、ただ走り回ることがそんなに楽しいのかとふと疑問に思ってきいてみれば、元気の良い返事が返ってきた。
「あれ?」
そして、その直後。急に悟空は頭をあげると、三蔵の手を引いて道を逸れだした。
「おい……」
文句のひとつも言おうとしたところ、甘い香が漂ってきた。
「三蔵、これ、なに?」
夕闇に浮かぶ、白く香り高い花。
「梔子だ」
「くち、なし……? ヘンな名前」
悟空はそう呟くと、いきなり、ぱくっと花に食いついた。
「バカッ」
「にがーっ」
三蔵が頭をはたくのと、悟空が花を吐き出すのは、ほぼ同時だった。
「花が食えるわきゃなねぇだろ」
「だって、うまそうな匂いがしてたから」
「うまそうな匂いがしてたら、何でも食ってみるのか、お前は」
「うん」
素直な答えに三蔵は脱力する。
「食ってみなきゃ食えるかどうかわかんねぇじゃん」
「お前は赤ん坊か」
何でも口に入れて確かめる赤ん坊みたいなものだ。
そして。
赤ん坊、というのは、あながち間違ってはいないのだろう、と思う。
たぶん、悟空はこの世界に生まれ出たばかりの赤ん坊と一緒だ。
この世界がどんなものか、身を持って確かめている。
「赤ん坊? 何、それ? 食いモンかどうかは重要だろ? だって、腹、減るから」
もう一度、悟空が抱きついてくる。
「全然、知らなかった。腹が減るとか、いい匂いとか、美味しいとか、不味いとか、柔らかいとか、硬いとか」
それから、すりっと頬をすりよせる。
「あったかいとか」
まるで子猫が懐いているようだ。
満足そうな表情で頬を押しつけている悟空を見下ろしながら、三蔵は思う。
「ずっと、岩牢から景色が移り変わるのを見てた。見てるだけでも、綺麗だと思ったけど、そのなかは、もっと、もっと綺麗で、不思議だった」
悟空が顔をあげる。
「ありがとう、三蔵」
そう告げて見せた笑顔は、極上のものだった。
廻る季節を肌で感じること。
それを、ともに感じることのできる人。
何よりも、何よりも、嬉しい贈り物。