少しずつ、辺りが明るくなってきた。
 ――夜明けまで、もう少し。


世界に一つだけの花


 ずっと見つめていた。腕の中で眠る子供を。
 夜明け近く。徐々に明るくなる光に、すべてが暴かれていく。
 到るところに残る、所有の印。
 まだ幼さの残る体に刻まれた赤い痕は、艶かしさよりも痛々しさを感じさせる。
 そして、少し青ざめて、憔悴しきったかのような顔。
 そっと、頬を撫でて、髪に顔を埋めた。
 花の香がする。
 昨日、悟空が摘んできた白い花の香か。
 それとも――。

 気まぐれに手折ったわけではない。
 だが、きっかけは焦燥、嫉妬、独占欲。
 誰にも渡したくない一心で、無理やり手に入れた。
 無理やり。
 驚いて、泣いて、怯えているのを。
 あまりに普段とかけ離れている姿に、胸が痛んだが、それでも、どうしても手に入れずにはいられなかった。

 朝の光が差し込んできた。
 煌めく光がそこかしこに満ちる。
 頭に軽く口づけてから離れると、眠る子供を起こさないよう、静かに寝台を抜け出した。
 まだ起きるまでには間があるだろうが、このままでは、目覚めたときに居心地が悪いだろうと思った。
 昨日、散々、泣かした張本人の腕の中では。

 そのまま立ち去ろうかとも思ったが、それはできないと思い返した。
 手に入れたからには、うやむやにしてしまうつもりはなかった。
 もう、手放す気はないのだから。

 俺も、たいがい――。

 寝台の端に腰かけながら、自嘲じみた思いが湧き上がってくる。
 当人の意思を無視して手に入れ、そしてまた、当人の気持ちを顧みずに縛りつけようとするとは。
 だが、そうせずにはいられないほど……。

「ん……」

 微かな呻き声が聞こえてきた。
 見ると、眠ったまま、悟空がシーツの上を滑らすように手を何度か往復させていた。
 何だろう。
 不思議に思って見ていると、突然、悟空の顔が歪んだ。
 まるで、何かを探していたが、それが見つからなかった、そんな感じだ。
 夢でも見ているのだろうか。
 近くで顔を見ようと、屈み込むと、未だにシーツの上を彷徨っていた手が触れてきた。

「……ん……ぞ」

 安心したかのような、吐息まじりの囁き声。
 驚いて、動きを止めた。

 指を掴まれる。それから、ゆっくりとこちらに擦り寄ってきた。
 髪が触れる、柔らかな感触。
 くすーっと、もう一度、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 しばらく、凍りついたように動けなかった。
 思考が停止する。
 だが、不意に我に返り、とっさに身を引いた。
 と、その動きで目が覚めたのか、悟空が目をこすりながら起き上がってきた。
 ゆっくりと瞼があがる。太陽よりも眩しい金色の瞳と、目が合った。

「さん、ぞう」

 悟空は視線を逸らすことなく、起きぬけの、舌足らずな口調でそう言うと、手を伸ばしてきた。
 へにゃ、と笑みを見せて、腕の中におさまる。

「あったかい」

 そして、満足そうな吐息が口から零れ落ちた。

「――お前、どうして……」

 混乱して呟いた言葉に、悟空がこちらを振り仰いだ。
 大きな金色の目に不思議そうな色が浮かんでいる。

「何をされたか、もう忘れてしまったわけではないだろう」

 その言葉に、少し目が見開かれた。
 もちろん、忘れてはいないはずだ。

「散々泣いて、嫌がっていただろうが」
「嫌、じゃなかったよ。びっくりして、怖かったけど、でも、嫌じゃなかった」

 即座に否定の言葉が返ってきて、耳を疑った。
 そういえば、『どうして?』とか『何?』とは言っていたが、『嫌だ』という言葉は聞かなかったことに気がついた。

「嬉しい、って思った。だって、いつもは触れさせてくれないから。ずっと、ずっと寂しくて寒かったから、あっためてくれてるんだって思った」

 ふわりと笑みが浮かんだ。

「やっぱり、たいよう、だって思った」

 ――花、のようだ。

 その笑みに思わず昨日の言葉が思い出される。

 昨日、悟空が山から白い花を摘んできた。
 大輪のむせかえるような芳香を放つ花。
 それを見て、このところ毎日のように顔を出している八戒と悟浄が、悟空のようだと言った。
 白。
 無垢な色の花。

 二人がどう悟空を見ているかはわかっていた。
 妖怪。
 不浄のもの。
 そんな偏見に凝り固まって見るのでなければ、この子供がどれだけ人を魅了する存在かということは、身をもって知っていた。

 だから――。

 手を伸ばした。
 今のように。手を伸ばして、閉じ込めようとした。

 抱きしめた体は、まだ子供らしさが残っていて、細く、華奢だ。
 こんな風に逃げ出すことなく、そばにいることがわかっていたら、昨日、悟空にとっては辛いだけの行為を強いることもなかったのだろうか。
 だが。
 たぶん、遅かれ早かれ、そうなっていた、とも思う。
 柔らかな髪に口づける。

「花の香がする」
「昨日のが移っちゃったかな」

 怪訝そうな声。
 その言葉に、知らず知らず笑みが浮かんでくる。

 これは、昨日の花の香ではない。
 この香は、悟空自身のもの。
 なぜなら――。

「お前が花なんだろう」

 告げた言葉に、悟空は驚いた表情を見せ、それから一瞬の間をおいて、頬をみるみるうちに赤く染めあげた。

「どーしよ。凄い、嬉しい」

 赤い顔のまま、ぽふっと頭を胸に押しつけてくる。

「八戒たちに言われたときは、全然、思わなかったけど、でも、花ってことは、三蔵に少しは安らぎを与えられるってことだよね。だって、花って見てると和むから」
「お前なぁ、いつでも面倒ばかりかけてて、安らぐとか和むとか言うか」
「むぅ」

 悟空がむっとした表情をみせるが、からかわれていることがわかったのだろう。
 ふわり、と。
 本当に花が綻ぶような笑みが零れた。

 そう、花。
 この世で唯一の花。

 手に入れたからには枯らさぬよう。
 いつでも、こんな風に笑っていられるよう。
 他の誰にではなく、己に誓い、腕に力を込める。


 腕のなかで、もう一度、悟空が幸せそうに笑った。




む、むじゅい…。
いい歌ですよね、「世界に一つだけの花」 大好きです。あんまり歌は詳しくないんですが、これは知ってますね、さすがに。
しかし、それをお題で書くのは、冒頭にも言いましたが、たいへんに難しかったです。「花=悟空」とストレートに発想したんですが、その後が続かず。なんだか「それは染まる前の色でなく」と被ってしまいました。うーん。花とか、白とか、そういうの、私にとっての悟空の基本イメージでして…ごにょごにょごにょ。(言いながら、フェードアウト)