まだまだこれからが
風呂から出るとすでに部屋の明かりは消えていた。
……相変わらず、自分勝手だな、と思う。
自分が眠いからって、人が風呂に入っている間に部屋の電気、全部消すなよな。真っ暗で危ないじゃないか。
それでも少しすると、目が暗さに慣れてくる。
思っていたほど真っ暗、というわけではない。
窓から微かに月の明かりが差し込んできている。
そのぼんやりとした明かりを頼りに、頭にタオルを被ったまま足音を忍ばせて、寝台にと近寄る。
覗きこむと、目を閉じた秀麗な顔が目に入った。
陶器のような白く滑らかな肌。月明かりに淡く輝く金色の髪。
綺麗。
思わずため息をつきそうになって、慌てて押しとどめる。起こしちゃうかもしれないと思って。
でも、すごく綺麗で、目が離せなくてそのまま見つめ続ける。
どうしてこんなに綺麗なんだろう。こんな人がこの世に存在してるなんて、もしかして奇跡なんじゃないだろうか。
そういえば、昔読んだお伽噺のなかに眠り続けるお姫さまの話があったけど、そのお姫さまよりも、絶対、三蔵の方が綺麗だと思う。
そんなことを考えていたら、いきなり三蔵の眉間に皺が寄った。
って、俺、なんか声に出してしゃべってたりしてた?
わたわたと慌てて離れようとするが、続いて開いた瞳に射すくめられてしまった。
深い紫の瞳。
輝く一対の宝石のようで、これも綺麗。
というか。
やっぱり、ちゃんと起きているほうが綺麗。
例え、不機嫌なオーラを身に纏って、こちらを睨みつけていようと。
その瞳に俺が映っている今のほうが、何倍も、何十倍も綺麗。
「……冷てぇ」
三蔵が呟いて、起き上がってくる。
冷たい……?
「そこ、座れ」
そして、近くにある椅子を指し示す。
意味がわかんなくて、ぼーっと突っ立ってたら、寝台から降りてきた三蔵に無理やり椅子に座らされた。
それから、タオルを取り上げられ。
「髪、ちゃんと乾かせ」
ガシガシと頭を拭かれる。
あぁ。さっき、髪から雫が落ちてたんだ、ということに気づく。
「ったく、これくらい自分でできるようになれ」
呆れたような声が降ってくる。
って、いや、できるから。
いくらなんでも、それくらいは自分でできる。
そう答えようとして、でも、途中でやめる。
だって。
こうやって髪の毛を拭いてくれるのは嬉しい。
かまってもらえるのは、とても嬉しい。
「――もう1年、なんだね」
ちょっと乱暴だけど、でもどこか優しい手を、とても嬉しく感じながら呟く。
西への旅に出てから今日でちょうど1年、と八戒が言っていた。
長いような短いような。
「っていっても、まだ先は長い」
タオルをテーブルに置いて、手櫛でざっと髪を整えてくれながら三蔵が言う。
「そっか。じゃあ、まだまだこれから、だな」
言いながら、身を反らせるようにして三蔵を見上げる。
「髪、ありがと」
笑いかけると、三蔵の顔が近づいてきた。
触れるだけの柔らかなキスをくれる。
嬉しくて、ますます笑みが大きくなる。
離れていく三蔵の髪に手を伸ばした。
「ね、俺、風呂入ったばっかだから、綺麗だよ」
軽く、三蔵の表情が動く。
眉間に皺が寄っているが、さっきみたいな不機嫌な感じではない。
やがてため息が聞こえてきた。
「……もう一回、風呂入り直してぇのか」
「それもいいかな」
答えると、今度は深いキスが降ってきた。
少し苦い、と思うけど、それはすぐに甘さに変わる。
三蔵とのキスはすごく好きだけど、でも、上を向いてるこの体勢はちょっと辛いかも。
体から力が抜けていくにつれ、なんだかぐらぐらしてくる。
と、唇が離れていった。
ほっとするような、寂しいような。ふっと湧き上がった想いを、どっちだろうと考える間もなく、ふわりと体が浮いて、次の瞬間には寝台の上にと放り投げられていた。
そんなに痛くはないけれど、ちょっと乱暴。
文句を言おうとして、開いた唇を塞がれる。
さっきよりも深い――本気のキス。
波にさらわれるように、快楽の海の奥底へと沈まされる。
ちょっと、ヤバイかも。
キスだけで――。
「もう満足か?」
吐息がかかるほど近く、少しだけ唇を離した状態で、三蔵が低く囁く。
軽く笑いを含んで、意地悪気に。
「まだまだこれから」
さっきの台詞を繰り返す。
近すぎて、ちゃんと見えないけど、睨みつけて。
「上等」
クスリという笑い声とともに、もう一度、唇が重なってきた。
西への旅も。
そして、この夜も。
まだまだこれからが――。