――寄せては返す波の音がしていた。


sky blue, marine blue


 意識が覚醒するよりも前に、煙草の香に気づいた。
 あぁ、三蔵だ、と思う。
 三蔵がそばにいる。
 だから大丈夫。
 そんなことを思う。
 なにが大丈夫なのか、と問われると、答えようがないのだけど。
 危険なときでも、なにもないときでも。
 三蔵がいれば大丈夫なのだと思う。
 三蔵がいてくれさえすれば。

 深く息をはいて、ゆっくりと目を開けた。
 隣には、予想にたがわず三蔵の姿があった。
 もう起きていて、でもぼーっとした表情で、煙草をふかしている。

「さ……ぞ……」

 呼びかけようとして、顔をしかめる。
 声、でない。
 これは、ぜったい……。

「起きたか」

 こちらを向いた三蔵が、俺の表情に気づいて軽く笑みを浮かべる。
 睨みつけてやっているというのに。

「いっておくが、自業自得だぞ。離さなかったのは、お前の方だからな」

 いわれて余計にむっとする。

「……なこと、ないっ!」

 反論しようとして、掠れた声と喉の痛みにますますむっとする。
 こんなんじゃ、言いたいことの十分の一もいえない。

「う、み」

 だから睨みつけたまま、一語一語区切るようにいった。
 と、面白がっていた三蔵の表情が訝しむようなものになる。

「うみ。海が見たい」

 そういって手を差し伸べる。

「めんどくせー」

 意図は理解してくれたようだが、三蔵はそんなことをいってふいっと横をむいてしまう。

「う、みっ!」

 ので、差し伸べた手でバシバシと布団をたたく。
 もう一度、こちらを向いた三蔵としばし睨み合う。

 眉間に皺を浮かべた不機嫌そのもの表情。
 が。
 やがて、軽く溜息をひとつついて、三蔵がベッドから降りた。
 シーツでくるむようにされてから、抱きあげられる。

 えへへ、と笑って。
 首に手をまわして、三蔵にと身を預けた。




 旅をしていた。

 ボロボロになりながらも、牛魔王の蘇生実験をなんとか止めたそのあとのこと。
 一度寺院に帰って、しばらくしてからまた旅に出た。
 今度は三蔵と二人で。
 三蔵は、『三蔵』であることをやめたわけではないけれど、でも、三蔵法師の正装はしていない。
 ただ気ままに、あてもなく、いつ終えるとも決めずに旅をしていた。




「すっげぇ」

 目の前に広がる光景に感嘆の声をあげた。
 宿屋のすぐ前が浜辺で、海はすぐ近くに見えた。
 広い。
 大きい。
 雄大なその姿に目が惹きつけられる。

 昨日、夜遅くにこの宿についてここから眺めたときには、あまりわからなかった。
 暗く沈んでいたから。
 だけど、月明かりを映す水面がきらきらとゆらめいて綺麗だと思って見つめていたら、もっと綺麗な人に攫われた。

 青い、青い海。
 寄せて返す波の先端だけが白く見えた。

「綺麗な青、だね」

 海から渡ってくる風は、少しの湿気と独特の香を含んでいる。
 でも、気持ちがいい。

「空の色が映っているだけだがな」

 相変わらず三蔵はそっけない。

「うん。聞いたことがある」

 八戒に、だったろうか。
 水が青く見えるのは、空の色を映しているからだと。

「でも、同じ青のはずなのに違うね」

 囁いて、三蔵の肩に頭を預けた。




 牛魔王の蘇生実験を阻止した後で。
 派手なオバ……おねえさんが現れた。

 このことによって、天界で犯した罪は清められ、三蔵たちは天界に還れるのだと、その人はどこか面白そうに告げた。

 三蔵たちは――三蔵と八戒と悟浄は、もとは神さまなんだそうだ。
 罪が赦されたということは、この生が終わってもう一度転生するときに、天に戻るという選択肢を与えられるということ。

 そう。
 選択肢。

 このまま『人間』として転生することもできる。


 その言葉を聞いて、気づいてしまったことがある。

 ――三蔵はいつか死ぬのだ、ということ。


 死、ということを考えたことがなかったわけではない。
 あの西への旅で、常に意識していたわけではなかったけれど、死はいつも身近にあった。

 だけど。

 今はもう身近ではなくなったはずの死が、あのときに感じていたよりも恐ろしい気がする。




 そっと、三蔵の顔を窺った。

 同じく俺も天界で犯した罪が赦された、からだろうか。

 時折、三蔵の姿に誰かの影が重なる。
 もっと髪が長くて、もっと線の細そうな。
 大好きだった人の姿が。
 神さまだっという、三蔵の前世の姿が。


 その人のことが大好きだった。
 その気持ちは確かなもので。

 だから。

 三蔵が『神』に生まれ変わろうが、『人間』に生まれ変わろうが、好きなままだと思う。

 だけど。

 その『好き』は今とまったく同じ『好き』かどうかまではわからない。

 同じ『青』でも違う、海と空の青のように。

 そしてなによりも。


 ここにいる『三蔵』はいつか消えてなくなるのだ。


 いつか。
 それはすぐではないかもしれないけれど。
 でも。
 決まっていること。


「どうした?」

 泣きそうな顔をして見つめていたからだろうか。
 声とともに、優しいキスが降ってきた。

 このごろの三蔵はとても優しい。
 だから。
 余計に悲しくなる。

「なんでもない」

 いいつつ、しっかりと三蔵にしがみつく。

「ずっと一緒にいようね。できるだけたくさん。できるだけでいいから」
「あぁ」

 囁き声とともに三蔵がしっかりと抱きしめてくれた。





 海の青に、空の青。

 閉じた瞳にもう見えなくなってしまったけど、繰り返す波の音だけがあたりに響いていた。



『似て非なるもの』
いただいたイメージから連想してみました。
三蔵と金蝉、というよりは、三蔵と三蔵以外という感じですが。
この二人。同一人物という意識はあるのですが、でもまったくの別人という意識もありまして。
死んじゃったらそれで終わりかな、と。
たとえ転生しても、それはまた別個の人であって、三蔵じゃないんじゃないかなという意識が常にありまして。(だから金蝉と三蔵も別の人)
…相変わらず、うまく書けてませんが、そんなことを考えながら書いたものです。