あなたの海になりたい


銃声が辺りに響き渡った。
結構、遠い。
乱戦のなか、思っていたよりも引き離されてしまったようだ。
「っ!」
襲いかかってくる最後の一人を如意棒でなぎ倒し、悟空は大きく息をついた。
西へ向かう旅の途中、こんな風に妖怪たちが襲ってくるのは日常茶飯事と化していた。が、今回は、数が多すぎた。技量がそれほどでもなかったのは、不幸中の幸いというところであったが、四人がばらばらに引き離されてしまった。
他の三人の心配など無用とはわかっているけれど――。
そう考えたとき、もう一度、銃声が響いた。
悟空は頭をあげると、音というよりは気配を辿って走り出した。



そこは人家から離れた未開の地だった。
午後も遅くなり、ジープで疾走しつつ野宿をする場所を探していたところ、川をみつけた。
今夜はあのあたりで、と話をしていると、突然、妖怪の大群が現れた。
この辺を一行が通ると最初から予想をつけていたのだろう。
人里近くに現れるよりは、余計な心配をしなくても良い分マシといえばマシなのだが、見えぬところに石や岩が転がっていたり、地面に穴が開いていたりで、戦うには不向きな場所だった。
が、銃を使う三蔵に限っていえばそうでもない。
銃声はちょっとした森のようになっている、木々が生い茂ったところから聞こえていた。
身を隠すことができ、なおかつ開けた空間があまりないことで敵が集団で押し寄せてきにくい場所を選んだのだろう。
木々のなかに入ると銃声は反響し、どこからしているのか定かではなくなってしまった。
が、もとから音を頼りにしているわけではない。
悟空は変わらぬ速度で、木々の間を走り抜けていった。
そこに一歩足を踏み入れたときからしていた血の匂いが濃くなる。
やがて、地面に倒れている妖怪の姿が現れだした。
特にいちいちそれを確かめることなく、悟空は目的の場所へと急ぐ。
しばらくすると、木々の間を通じて遠くに白い法衣姿が見えてきた。
周囲には妖怪の姿はなく、三蔵も銃を降ろしているから、もうすべて片づいたのだろうと思う。
名を呼ぼうとして、悟空は息を詰めた。
のろのろと、徐々に銃を持つ三蔵の手があがるのが、近づくたびに次々に現れる木の枝に邪魔されてコマ送りのように見えた。
手は三蔵自身のこめかみに近づき、握られた銃が押しあてられ――。
すぐ近くまで来た悟空は無言のまま、足を止めた。
三蔵の目は無機質なガラスのようで、なにも映してはいない。
声に出しているわけではないのに、煩いといってときどき殴られる悟空の声なき聲も、いまは聞こえてはいないだろう。
ただ虚ろで。
ただそこにあった。
が、それは一時のことで。
すぐに三蔵の目は生気を取り戻す。
ほっとしたように息を吐き出して、悟空は三蔵のもとにと走り寄った。
「三蔵っ」
叫んで飛びつく。
いつもよりも強く、ぎゅっとしがみつくように抱きついてしまうのは、きっと先程見た表情のせい。
だが。
「いきなり懐いてるんじゃねぇ」
スパーン、とハリセンをかまされた。
「いきなりは三蔵の方じゃんっ」
痛む頭を抱えて、悟空は三蔵を見上げる。
すると。
「わっ、ごめんっ」
白い法衣が血に染まっているのが目に入り、悟空は慌てて法衣を掴む。
と、さらに血がついて、ぱっと手を離した。
今回、三蔵は接近戦にはなっていなかったので、悟空が来るまで白い法衣は白いままだった。
血の染みは悟空のもの。
悟空についていたもの。
「……ごめん」
俯く悟空の頭に三蔵の手が置かれる。
「なに、らしくない顔をしてる。こんなの、日常茶飯事だろうが」
ペシッと軽くはたかれる。
「川があったな。洗い流しに行くぞ」
「うん」
三蔵の言葉に頷いて、悟空はあとを追った。



川に着くころには傾きかけていた日はすっかりと落ち、代わりに月が明るさを増していた。
パシャパシャと悟空は水を跳ね飛ばして、岸にと上がってきた。
三蔵は法衣だけだったが、敵の数が多かったせいもあって悟空は頭から血まみれで、服だけでなく丸洗いしろ、と川に放り込まれた。
本当にいきなり突き落されて、悟空はぶぅぶぅ文句をいっていたが、川の水はさほど冷たくなくむしろ気持ちの良いほどで、洗う、というよりは遊ぶといった感じだった。
「三蔵も川に入ってきたら? 気持ちいいぞ?」
固く絞った服を岩に広げて干しながら、悟空はいう。
「こんとこ野宿続きだったし。さっぱりするぞ」
重ねていわれ、アンダーシャツ姿で煙草をふかしていた三蔵は少し考え込む風情をすると、煙草を投げ捨て、アームカバーを外し出した。
無造作に服を脱ぎ捨てていくさまに、悟空は息を呑む。
旅をしている最中も寺院にいたころも、しょっちゅう一緒に風呂に入っていたから、裸なんて見慣れているというのに。
でも、今宵は月明かりの下、妙に――なんというか、艶めかしく見える。
「っ!」
そんなことを考えていたら不意に三蔵と目があって、悟空はあたふたとまた服を干す作業に戻った。
背後で、パシャンと水が跳ねる音がした。
なんだか振り向けない。
だが、振り向いてみたいという矛盾した思いも強くなり。
悟空は、そっと背後を窺った。
月明かりの下で、川に半身を浸している三蔵は、とても綺麗で。
金色の髪から落ちる滴も、キラキラと光っているようで。
悟空は、周囲の状況もなにもかも忘れ、ポカンと見とれる。
綺麗、だとは常日頃思っていた。
だが、いま目の前にいる三蔵は、特別に綺麗――。
ふと三蔵の視線が動いた。
目と目が合う。
先程のようにあたふたと悟空が向きを変えようとしたとき。
三蔵の顔に鮮やかな笑みが浮かんだ。
「来い」
短く、力強い声がした。
一瞬、頭の中が白くなる。なにも考えられなくなる。
「悟空」
名を呼ばれ、手を差し出されて。
悟空はふらふらと三蔵の方に足を踏み出した。



「あ……っ」
なにをしているのだろう。
これは、なんなのだろう。
深く考えることもできず、ただ圧倒的な感覚に押し流される。
「三蔵、三蔵っ」
わけがわからなくて、ただ名前を呼ぶしかなくて。
それなのに、名前を呼ぶ唇を塞がれる。
唇で。
「……う、んっ」
息苦しくて、このままだと死んでしまうのではないかと思うのに。
――このまま死んでしまってもいいかも、と思う。
それはかつて味わったことのないほどの甘美な感覚から考えたことではなく。
「さ……んぞ」
わずかに離れる唇に囁いて、背中に回した手に力をこめる。
近く、近く、もっと近く――。
「ん、ああぁぁっ!」
突然、体を引き裂かれるほどの痛みが襲ってきて、悟空は悲鳴をあげる。
「……辛い、か?」
だけど珍しくも心配そうに囁かれた言葉に、悟空は首を横に振った。
どうか、もっと近くに。
もっと近くに――。
戦慄く唇に、言葉にはできなかったが。
零れ落ちる涙を、そっと唇でぬぐってくれる三蔵に、悟空はふんわりとした笑みを見せた。



ふと気がつくと、辺りがもう明るくなり始めていた。といってもまだ陽は昇っていないようで朝にしては薄暗く、起きるには早い時刻のようだった。
もう一度寝直そうとして、でも、なにかがいつもと違うのに気づき、悟空はぼーっと視線を彷徨わせた。
「……っ?!」
と、すぐ近くに三蔵がいるのに気づき、一瞬、息をつめた。一気に覚醒する。
すぐ近く、どころか、抱きかかえられるようにして眠っていた。
どうして、と考えて、すぐさま、昨日のことが蘇り、悟空は慌てふためいて飛び起きようとした。
が。
三蔵の腕に邪魔される。
微かなうめき声とともに、三蔵が身動ぎをする。
起こしてしまったかと、もう一度体を固くするが、一度、眉間に刻まれた皺はすぐにとれ、また眠りに落ちたのがわかった。
こんな風に眠る三蔵を見るのは初めてかもしれない。
息をつめたまま、薄暗がりのなか、悟空はそっと三蔵の顔を窺った。
鳥たちが起き出すにはまだ間があるらしく、辺りはしんと静まり返っていた。
ただ川のせせらぎだけが聞こえる。
そんなひっそりとしたなか、眠る三蔵を見ていられるのは――なんという幸福だろう。
この人はなかなかに自分のすべてをさらけだしてはくれないけど。
でも、どうか。
どうか、なにもかもを受け止められるような存在にならせてください。
祈るように思う。
弱いところも、カッコ悪いところも、醜いところも、なにもかも。
すべて受け止められるような。
江流。
三蔵になる前はそういう名前だったと聞いた。
それは川の流れを意味するもの。
ならば。
やがて川が流れつく先のものになりたい。
なにもかもを受け止めるものになりたい。
強く思う。

――あなたの海になりたい。



書きたいシーンを書いていったらムダに長くなったかも。
にも関わらず、あまりうまく表現できず…む、むじゅい(>_<)