ロミジュリ


「もういい加減、帰るぞ」
華やかに着飾った人々が笑いさざめくなか、ひとりだけ不機嫌な顔をした悟空は、前を歩く悟浄の袖を引いていった。
「まぁ、待てって。パーティはこれからだろ」
振り返った悟浄が宥めるようにいう。
「待てもなにも。これ以上はまずいだろ。お前、目立ちすぎ」
「あ? んなことねぇよ。ま、女の子が放っておかないから、多少は目立ってるかもしんねぇけど」
「……アホ。逆だろうが。手当たり次第、声をかけやがって。だいたいなぁ、俺の嫁探しとかいってたんじゃなかったっけ?」
「おぉ。悪ぃ、悪ぃ。それで拗ねてたのか。大丈夫、大丈夫。さっき知り合ったとびきりの美人さんを紹介してやっから」
「別にいいよ。そっちは最初っから期待してねぇし。だから、もういい加減帰るぞ」
「お前、なぁ」
くるりと振り返り、悟浄は悟空に正面から向き合った。
「それって『姉ちゃんより綺麗な人はいないから、もういい』ってことなんじゃねぇだろうな」
その問いかけに、悟空は押し黙る。ふぅ、と悟浄は溜息をついた。
「あのなぁ。いい加減、そのシスコン、どうにかしろよ。ってか、どうにかしようという努力をしてみろよ」
その言葉に、悟空はますますむっとした表情で口を固く閉ざした。
こんな風なことは、散々、いわれてきた。
だが。
「しょーがねぇだろ。実際、姉ちゃんより綺麗な人っているか? いねぇだろうが」
わざわざ危険を冒してまで、町中の美人が勢ぞろいするというこのパーティに出向いてみたが、悟空には姉よりも綺麗な女性を見つけることはできなかった。
確かに綺麗な女性は多い。
だが、姉はただ綺麗だけではない。
そこに、強い強い魂が宿っているから。
外見上の綺麗さだけでは太刀打ちなどできない。
「もういい」
悟空はこれ以上お説教される前にと、悟浄に背を向けた。
「俺、帰るから。まだいるっていうんなら、騒ぎ起こして捕まんなよ」
「おい」
悟浄は追ってこようとしているらしかったが、その声は人波に消えていく。
もう後ろを振り返ることなく、悟空は出口を目指してずんずんと歩いていった。



悟空がいる場所から少し離れた、広間を一堂に見渡せる貴賓席では、さんざめく人々の楽しそうな様子を、パーティの主催者である光明が穏やかな笑顔で見守っていた。
「光明さま」
と、突然、背後から低く声をかけられて、光明は軽く斜め後ろを振り返った。
「どうしました?」
「孫家の若者が紛れてこんでいます」
「おやおや」
呟きつつ、光明は広間を見渡す。
すぐに目立つ紅い髪と、それからなんだか怒った様子で立ち去ろうとしている小さな影が見つかった。
孫家の若者たちだとすぐにわかった。
現在、ここ桃源郷には、二大勢力というようなものがあった。
それはこのパーティを主催している光明の玄奘家と、悟空の属する孫家であった。
もともと玄奘家はこの桃源郷を拠点とする旧家で、政治・経済・文化などに多くの係累を輩出しており、桃源郷に関してはあらゆる分野で影響力を誇っていた。
そこに、外から孫家が入ってきた。
孫家は数々の国で手広く商売をしているからか、瞬く間に桃源郷にも溶け込んで力を伸ばし、桃源郷に新風をもたらした。
そして、どうやら当主がこの桃源郷を気に入ったらしく、先ごろこちらに館を構えるようになった。
桃源郷を新たな拠点としようとしているらしい。
そんな噂が流れると、玄奘家に属しておらず、旧態依然とした制度のなかでは先の見込みのない者たちがこぞって孫家を支持しだした。
その結果、桃源郷は伝統ある旧家と若々しい新興勢力との間で二分されてしまった。
最初のうちはなんとなく険悪な雰囲気ですんでいたのだが、最近では路上での小競り合いをしばしば引き起こすほどになっている。
「……それは良いことではないですよね」
「そうです」
光明の呟きに、声をかけてきた青年が意を得たように力強くいう。
光明の言葉は、いまの桃源郷の状態を憂いてのことだったが、青年は違う意味に捉えたらしい。
「いえいえ、違いますよ。いまのは違うことをいったんです」
「は?」
訝しげな顔をする青年を放っておいて、光明はもう一度広間に目をやった。
「放っておきなさい」
それから穏やかにいう。
「ですが」
「大丈夫ですよ。あのふたりは桃源郷でも評判は良いようではないですか。無体なことはしないでしょう」
「ですが、敵である玄奘家のパーティに堂々と乗り込んでくるなど、我らを馬鹿にしています」
「そんなつもりで来たわけではないと思いますよ。今日は江流のために、ありとあらゆる女性を招待しましたからね。それに惹かれたんじゃないでしょうか」
「いいえ。我らを愚弄する行為です。私が追い出してきます」
光明はまったくの真実を言い当てるが、背後に立つ青年は納得せずに今にも飛び出していこうとする。
が。
「道雁」
柔らかく、だがきっぱりとした声に呼び止められた。
「ここで騒ぎを起こすことは許しません。放っておくように。いいですね」
「……わかりました」
優しげだが有無を言わせぬ言葉をかけられて、不満そうな表情を露わにしつつも青年は了承した。



まるで目的があるかのように広間をずんずんと横切りつつも、悟空の頭の中はぐるぐると回っていた。
それは、自分だってこのままでいい、と思っているわけではない、とか。
姉ちゃん離れはしないといけないと思っている、とか。
そんなことばかりが頭をよぎって、むかむかとしてくる。嫌そうに顔をしかめたとき。
「わっ」
肩が人にぶつかってバランスを崩しかけた。
自分の考えに頭がいっていて、周囲をよく見ていなかったせいだ。
倒れそうになったところで腕を掴まれて、体勢を立て直した。
「すみません。ありが――」
礼を言おうとして、悟空は固まる。
「前見て歩け」
ぶつかった相手は素っ気なくいうと、手を離してその場を立ち去る。
――綺麗。
その後ろ姿を見送りながら、悟空はぼんやりと考えた。
綺麗。
一般的な基準で、ではなく、心からそう思えるのは姉だけだった。
だけど。
悟空ははっとしたように辺りを見回し、先ほどの人物の後ろ姿を見つけると、そのあとを追い出した。



パーティの喧噪をさけて広間からバルコニーに出た三蔵は、懐から煙草を取り出すと火をつけた。
大きく吸って吐きだす。
ついでに感じている煩わしさも一緒に出て行ってくれれば良いのだが。
三蔵は眉間の皺を深くした。
そうしてゆっくりと一本、煙草を吸い終わったところで。
「……おい、いい加減、鬱陶しいんだよ。いいたいことがあるならいえ。いえねぇんなら、どっか行け」
三蔵は突然、不機嫌さを隠そうともせずに声を出した。
と、背後で動きがあった。
バルコニーと広間を分けるカーテンの影から、おずおずと小さな影が出てきた。
「あの……。ごめん……なさい……。俺、あなたの名前、教えてほしくて」
三蔵はちらりと振り返り、さきほど広間でぶつかった少年だということを確認した。
いちいち他人など意識しないのだが。
この少年の気配はなぜかはっきりと感じられ、後をついてくるのがわかった。
他人など煩わしいだけの三蔵にとってみれば、意識させられるというだけで苛立つことだ。
それに。
「名前を聞くなら、まずはそのふざけた仮面を外して自分から名乗れ」
その少年は、目のところだけ仮面をつけていて、顔がはっきりとわからなかった。
どんなやつか見てみたい。
なぜかそんなことを思い、そう思ってしまったことに余計に三蔵は苛立つ。
どうしてこんなにも気になるのだろう。
「ご、ごめんなさい」
慌てたようにいって、少年が仮面に手をやるのを、三蔵は横目で見ていた。
そして。
現れたのは――。
「俺、悟空といいます。あなたは?」
まっすぐに三蔵を見る瞳。
夜の暗闇でも、はっきりとわかる一対の黄金。
その澄んだ金色に。
一瞬で。
――囚われた。
「あの……?」
小首を傾げて少年が問いかけてきて、三蔵ははっと我に返った。
と。
「三蔵」
突然、カーテンが開いて均整のとれた体格の男性が現れた。
「主役がこんなとこでなにをしてる……っと、取り込み中だったか?」
「……朱泱」
「悪い。だが、お前がいねぇと始まらん」
ガシッと朱泱は三蔵の腕を掴む。それから少年の方を見た。
「坊主、悪いな。こいつ、連れてくわ。話があるんならパーティが終ったあとにしてくれや」
「おい……」
抵抗する間もなく、三蔵は朱泱に引きずられて広間にと戻された。
最後に見たのは、呆然としたような表情を浮かべ、それでも三蔵だけを見ている少年の顔だった。



この出会いがふたりに。
そして両家に与える影響を、いまのふたりには知る由もなかった。



いただいたお題から素直に「ロミオとジュリエット」のダブルパロにしてみました。
が、両家の当主が光明と観音(名前出てきてませんが)で、この配役で行くと神父が八戒さんになりそうなので(今回まったく出番ありませんが)…素直に原作通りには行かないのでは、と。
それにしても最大の突っ込みどころは「三蔵がジュリエット?」なところかと思います。
触りの部分だけですみません&だいぶイメージと違ってしまっているのでは…と思います。
ご、ご、ごめんなさーい(脱兎)