Crossroads
「うぉっ、絶景っ!」
木によじ登り、天辺に近いところまで行って辺りを見回した悟空は、思わず声をあげた。
すぐ近くに見える街は、さきほどまで悟空がいたところだ。
西へ向かう旅の途中。
本当はそこで宿を取ろうとしたのだが、なにかの祭があるとかでどこもかしこも人でごった返していて、宿ももういっぱいだった。それで少し先の街まで行くことになった。
この辺はいろいろな道がいろいろなところで交差していて、街と街の間隔が短い。遥か遠くの方だが、目の良い悟空にはこの先に街が二つあるのが見えた。まっすぐ行った先と、右の方にと。
どこか先で道が分かれているのだろう。
どっちに行くのかな、とぼんやりと思う。それから悟空はストンと枝に腰をおろして、他の三人を待つことにした。
さきほどの街でのこと。
これから次の街を目指すと着くのが夜になってしまうから、必要なものをここで手に入れたいと八戒が言い出した。
いつも荷物持ちをしているので買い物なら手伝うと悟空は申し出たが、爽やかな笑顔で大丈夫、と言われた。
――なにを買うつもりだろう。
ちょっと気になったが、聞かないでおいた。
悟浄はヤボ用があるといい、人混みの嫌いな三蔵は一刻も早くここを立ち去りたいという顔をしており、悟空は悟空でさっきから露店に目を奪われていて。
そこで4人はバラバラになることし、待ち合わせは人で溢れる街中ではなく、街から少し離れた小高い丘のうえに見える大きな木の下、ということになった。
いま、悟空がいるこの木の下だ。
てっきり三蔵が先に来てると思っていたが、一番乗りは悟空だった。
悟空は目の前にある枝に目をやった。
この木。
遠くからはわからなかったが。
「……桜」
小さく呟く。
まだ早春の頃だから、花が咲くまでにはいましばらくの間がある。
が、ここまで近づいて見てみれば、固くて茶色いけれどもう蕾は形作られていて、着々と春の準備をしているのがわかる。
こんな風に着実に季節は巡っていく。
あの岩牢にいるときも、季節の移ろいは目にしていたけれど。
どこか遠くて、まるで絵を見ているようだった。
本当には触れられない。
でも、いまは――。
ほぅ、と大きく息を吐き出し、悟空は目の前の固い蕾にそっと手をやる。
そのときが来たら、きっと綺麗な花が咲くだろう。
淡い、薄紅色の花が。
――桜。
咲いていると、どうしてもちゃんと見ておかねばと思う。
柔らかく綻ぶさまも、美しく咲き誇るさまも、潔く散るさまも。
なにもかもちゃんと目に焼きつけておかなくては、と思う。
季節は毎年巡り。
花は毎年咲くのに。
いまは間近に、季節を、花を、感じられるのに。
いや、間近に感じられるからこそ――。
ツキン、と胸が痛む。
だけど。
悟空は心臓に手をあてる。
桜を見ると、昔はもっと胸がざわついて、わけもなく泣き出したくなったけど、いまは大丈夫。
たぶんそれは岩牢から出て、再び進み出した時間のなかで積み重ねていったものがあるから。
大丈夫。
そう思えるものが、胸のなかにあるから。
悟空はもう一度大きく息を吐き出した。
そして現実に返って、三人ともちょっと遅いな、と思う。と同時に、こんな風に一人で待っているのも珍しいな、とも思う。
旅に出たばかりの頃はまだまだ子供で、ひとりでは放っておけないと思われていたのか、傍らにいつも悟浄か八戒がいた。
が、この頃ではそれもあまりなくなった。
こんな風に別行動をとっても大丈夫って思われる程度には成長したってことだよな、と少しだけ誇らしく思う。
ほら、こんな風に。
積み重ねられた時間がある。
悟空は、また遥か遠くにある街を見つめた。
西へ行くのに、どの道をとってどの方向に進むかわからないけど。
そしてこれから自分が行く道にも、こんな風にいくつか道があって、そのときにどの道を選ぶのかはわからないけれど。
でも。
――自分に恥じない生き方で。
改めて思う。
と。
金色の気配がした。
見回すと、町の方から歩いてくる人影が見えた。まだ遠いけど、三蔵だとすぐにわかる。
眩い金色の光。
「三蔵!」
悟空は叫んで、手を振った。
すると、見えるわけはないのに、三蔵の唇の端がほんの少しだけあがったような、そんな気がした。
「三蔵っ!」
悟空は満面に笑みを浮かべて、手を振り続けた。