無垢な心の色は、白だと思っていた。
そして、白は何色にも染まるのだと思っていた。
だが、それは、染まる前の色ではなく――
それは染まる前の色でなく
空が白む頃に目が覚めた。
辺りは静まり返り、鳥の声さえしない。何もかもが動きを止めてしまったのでは、と錯覚しそうな静寂のなか、隣で眠る子供の寝息だけが聞こえていた。
思い出そうとするまでもなく、すぐに昨日の行為のことがよみがえる。同時に胸に浮かんだのは、充足感でも後悔でもなく、強いて言うならば重いわだかまり。
満ち足りた気分になるとか、深い安らぎを覚えるとか、そんなことは端から思っていなかった。
といって、後悔などしないと思った。
だが、このわだかまりは――。
朝日が差し込んできた。生まれたての朝の光。何もかもが、明るい光の中にさらされる。
己の暗い欲望も。
たぶん、この胸の重さは、何も知らない子供を汚してしまったことによるものだろう。
無邪気で純粋な子供。
だが、強大な力を秘めた子供。
嫌ならば、抵抗すれば良かったのだ。本気で抵抗すれば、戒めた手など簡単に振り解けた筈なのだから。
「俺も、たいがい涌いているな」
自分の考えとはいえ、あまりに勝手な言い分に自嘲的な呟きが漏れた。
「ん……」
呟きが聞こえたのか、朝の光が眩しかったのか、隣で微かな声がした。
反射的にそちらを見て、驚いた。
あどけない顔で眠っている。
半身を起こして、もう一度見直した。
安心しきったような、穏やかな寝顔。いつもと何も変わっていない。
そっと、頬にかかっていた長い髪の一房を払う。そして、そのまま飽かずにその寝顔を見つめていた。
と、不意に、意外にも長い睫毛が揺れ、その下からゆっくりと柔らかな色あいの金の瞳が現れた。
まだ少し寝ぼけているかのように焦点があっていない。それが、ふっとこちらを向いた。
「さんぞー」
寝起きの舌足らずな口調でそう言い、そして、花がほころぶような笑顔を見せた。
輝くような笑顔に目を見張る。
何で、こんな笑顔ができるのか。
「…って!」
身を起こそうとして、顔をしかめ、そのまま崩れ落ちるのに思わず手を差し出す。
「へへ。目が覚めたときに三蔵がいるのって久し振り」
腕になかで嬉しそうに笑い、猫がじゃれてくるように頬を胸に擦りつけてきた。
「お前……何で……」
問いかける声が掠れる。
「平気、なのか?」
見上げる金晴眼に浮かぶのは、心底不思議そうな色。
その目を見ているうちに、突然、わかった。
何事もこの子供を汚すことはできないのだと。その心を歪めることはできないのだと。
ふっと肩から力が抜けた。
「まだ早い。もう少し寝てろ」
「大丈夫だもん」
むぅっとした表情が浮かぶ。あまりのわかり易さに苦笑が漏れる。
少しでもそばにいたいのだと。
「今日はここにいてやるよ。――仕方ねぇから」
その言葉を聞いて、また笑顔を見せる。そして、安心したかのようにそのまま腕のなかで目を閉じた。
すぐに聞こえてくる規則正しい寝息。あどけない寝顔。
少しだけ、腕に力をこめた。
無邪気で純粋な子供。
何も知らないから、まっ白なのだと思っていた。
だが、それは違っていた。
天界で犯したと言う大罪も。
五百年の孤独も。
内に秘めた強大な力も。
そして、その身に強いた激情の果ての行為すら。
この子供を、染めることができなかっただけ。
それは、白。
何にも染まらない、揺ぎない白。
それは、染まる前の色ではなく、それ自体が『色』なのだ。