春、うらら


「うっわあ」
 目の前に広がる風景に思わず感嘆の声をあげた。
 桜。桜。桜。
 谷中を桜が埋め尽くしていた。まるで薄紅色の靄がかかっているよう。それは、夢のように美しい風景だった。
「すっげー」
 谷底に下って行く道を辿りながら、それしか言葉は出てこない。目の前にも、上にも下にも桜、桜、桜。
「三蔵、こんなところがあるって知ってたの?」
 前を歩く三蔵に声をかける。
 三蔵からの答えはない。だけど、知っていたのかな、と思う。だって、なんか目的でもあるみたいに足取りが確かだ。
 やがて、三蔵が足を止めた。
「何? 三蔵、何かあったの?」
 肩越しにひょいと覗く。桜の木々の向こう、谷底から白い煙があがっていた。
 煙? いや、違う。あれは……。
「温泉だっ!」
 三蔵を追い越して走り寄る。しゃがみこんで、お湯に手をつけてみた。ちょーどいい湯加減。
「なぁ、三蔵。せっかくだから、入っていこーよ、温泉」
 ゆっくりと歩み寄ってくる三蔵を振り返って言う。
「もうアイツらは追ってこないだろ?」
「……好きにしろ」
「わーい」
 パッパと服を脱いで、温泉に入る。
「気持ちいー。きれー」
 ハラハラと微かな風に桜が舞い落ちてくる。凄い綺麗だ。
 今日は散々な日だと思ってたけど。
 でも、悪くないかもしれない。

 昨日のこと。
「明日は悟空の誕生日ですよね」
 宿屋の一室。にっこりと笑って八戒が言い出した。
「旅の最中だからって、お祝いをしないってわけにはいきません。特別な日なんですから」
 そこで八戒は三蔵の方を向いた。三蔵は何だか嫌そうな顔をした。
 む。なんか最近、俺の誕生日に三蔵の機嫌が悪いんだよな。何もこんな日に機嫌が悪くなることないのに。前は年に一度のことだからって、優しくしてくれたんだけど。
「このところずっと強行軍でしたし、もう一泊してゆっくり誕生パーティをするっていうのはどうですか?」
「おぉ。それ、いーねぇ。さっき宿のおやじがいい地酒があるって言ってたぜ」
 ……ちょっと、待て。
「悟浄のは、ただ飲みたいだけだろう」
「何、言ってるの、小猿ちゃん。お祝いに酒はつきものなの。飲めない小猿ちゃんに代わって飲んであげるんだから、感謝してもらわなくちゃ」
「どういう理屈だよ、それ」
「まぁ、それはともかく。ご馳走も用意しますから」
 八戒がにこにこと笑いながら仲裁に入ってきた。
「ご馳走?」
「えぇ。食べたいでしょ?」
「もちろんっ!」
 即答する。知らず知らず笑みが浮かんでくる。ご馳走。うわぁ、楽しみだ。
「いいですよね、三蔵」
 笑顔を浮かべたまま八戒がまた三蔵の方を向いた。
「……好きにしろ」
 苦虫を噛み潰したように三蔵が答えた。
 そして、一夜明けて、今日。
 どうやら貸し切ったらしい『誕生パーティ会場』である宿屋の離れに行くと、どこから調達したのか、本当にすっごいご馳走が並んでいた。
「ウマそー!」
 が、感嘆の声をあげた途端、いきなり窓ガラスが割れた。
「へ?」
 と思った瞬間、目の前のご馳走は吹き飛んでいた。
 妖怪ご一行さま。
 ……ブチ切れた。久々に。
「てめぇら、やっちゃいけないことをしたなーっ!」
 で、あとは乱闘。
 妖怪達は後から後から湧いてくる。誕生日の特別サービスかってくらいに。つーか、そんなサービス、いらねぇっ!
「悟空、こっちだ!」
 乱闘の最中、三蔵の声がした。どうやら、狭い離れから出ようというらしい。声のした方に駆け出した。
 追いすがる妖怪達をぶちのめしつつ、いつしか町から離れ、山奥に入り込み――。
 そして、この谷に出くわした。

 ハラハラと落ちてくる花びらを手を差し出して受け止める。本当に綺麗。飽きることなく桜を眺めていたら、パシャンという水音がした。
 音のした方を見ると、三蔵が温泉に入ってくるところだった。
 うわっ!
 思わず体を反転させる。
 だって、当たり前だけど、裸だ。でもって、今、自分も裸でいることを思い出し――。
「何してるんだ、お前」
 背後から三蔵の声がした。あわあわと移動しようとしてたところ、腕を掴まれた。
 駄目だ。まともに顔を見れない。
「照れてるのか? いまさらだろうが」
 呆れたような声がして、腕を引かれた。
「さ、さんぞっ!」
 声がうわずる。
「暴れると溺れるぞ」
 そのまま、ストンと座らされた。
 三蔵の手が腕から離れ、背後から抱きすくめる形で腹の前で組まれた。肩に三蔵の頭がのっかる。柔らかな金の髪が頬に触れる。
 なんか、抱っこされているみたいだ。
 そう思った途端、ふっと力が抜けた。
 三蔵の腕の中。一番、安心できる。
「さんぞ……」
「ん?」
「桜、綺麗だね」
「あぁ」
 しばらく何も言わず、その姿勢のまま桜を眺めていた。
 三蔵の腕の中。綺麗な桜。なんかこれは最高の誕生日ではないだろうか。
 そう考えていたら、微かに声が聞こえてきた。
「八戒と悟浄だ」
 まだ全然遠いが、間違いなく二人の声だ。立とうとしたが、三蔵の手が邪魔で立ち上がれない。
「三蔵、手、離して」
 こんなところ見つかったら何を言われるか。そう思ってあせるが、三蔵は一向に手を離してくれない。
「さんぞ……」
「黙ってろ」
 ますますキツく抱きしめられた。
「そんなことしてる場合じゃないって。みつかったらどうするんだよ」
「みつかりっこないさ」
 確かに上から見ただけじゃ、桜の木々に邪魔されて見えないだろうけど。でも、降りてきたらどうするんだよ。
「三蔵ってば」
 じたばたともがく。だが、三蔵の手は外れない。
「おーい、生臭坊主に猿ー」
 遠くから悟浄の声が聞こえてきた。だんだん近付いてくる。
 うわっ、ホント、やばいって。
「悟空ー。ご馳走、まだ残ってますよー。どこにいるんですかー」
 八戒の声もした。……って、ご馳走?
 思わず動きをとめた。
「ったく、誰にでもすぐ餌付けされやがって」
 と、背後から不機嫌そうな声が聞こえた。
 組んでいた手が外された。離してくれる気になったのかと、ほっと一息つくが、すぐにそれが間違いだったことに気付かされた。
「さ、さんぞっ!」
 片手で改めて抱きすくめられ、もう片手はあらぬところに伸びてきた。
「何して……っ!」
 首筋を唇が這う。思わず、身をすくめた。
「や……」
 唇を噛みしめて声を殺す。
「いないですね」
「ったく、どこに行ったんだか」
 上から、八戒と悟浄の声が降ってきた。
「さ、さんぞ……。やだ、やめて……」
 囁くように懇願する。が、三蔵の手と唇の動きは止まらない。止まらないどころか確実に熱を煽ってくる。
「ふ……」
 駄目だ。声。抑えられない。
「や……さんぞ……声……声、出ちゃ……あ……」
 もう駄目だと思ったところ、唇を塞がれた。
 あがるはずだった声は、絡みとられ、吐息に変わる。
 そのまま、何度も口づけされる。優しく、激しく。
 もう、何がなんだかよくわからなくなる。頭の中が白くなって――。
「んっ、ふ、うぅ――!」
 体が硬直して、ビクビクと震えた。
 嵐のような感覚が通り過ぎると、もう力が入らない。そのまま崩れ落ちてしまう。
 気がついたら、辺りは静まりかえり、三蔵に支えられ肩で荒い息をしていた。
「三蔵」
 振り返って、睨みつける。が、三蔵はしれっとした顔をしている。
「お前が悪い」
 で、あろうことかそんなことまで言い出す。
「何でだよ」
「ご馳走くらいで釣られるな」
 ……へ?
「仕方ねぇから、くれてやるよ」
 三蔵の手がこちらに伸びてきた。頬に触れ、親指の腹が唇の輪郭をなぞるように滑っていく。それだけで、直後の体は震え出す。
 三蔵が意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「俺を、な。ゆっくり味わえ」
 三蔵の顔が近付いてきて、唇を塞がれた。遠慮なく舌が入り込んでくる。
 キスだけで溶けてしまいそうだ。
 でも。
 何か違う。なんだって、こんなことになったんだろう。
 かろうじて残っていた理性がそう告げるが、すぐに何もわからなくなった。

 ふと意識が浮上する。
 あれ、さんぞ、いない……。
 のろのろと重い体を動かして辺りを見回す。と、三蔵が小さな祠みたいなところにいるのが見えた。
「気がついたか」
 三蔵が戻ってきた。抱き上げられ、柔らかく抱きしめられる。
「さんぞ……」
 唇が降りてくる。触れるだけのキス。先程までと違って、羽根のように軽く、優しいキス。
 とても嬉しくて胸の中に顔を埋めた。三蔵の手が髪の毛を弄ぶ。
「三蔵、何してたの?」
「札の交換」
「は?」
「宿屋の主人に頼まれてな。そこの祠の札を年に一度換えなきゃならんそうだが、誰も換えられないからと」
「何で?」
 呪いでもかかっているんだろうか。恐々と祠の方に視線を向けた。
「聖域だから」
 耳慣れない言葉が飛び込んできて、顔をあげた。
「一般の人は立ち入れないんだと」
 ……聖域? 聖域って。
「さんぞっ!」
 思わず大声をあげて、体を離す。途端に三蔵の眉間に皺が寄るが、そんなこと、気にしてる場合じゃない。
「聖域って、聖域って――! 何で?! そんなとこで――!」
「別にバチなど当たらなかったろうが」
 三蔵の手に頭の後ろを掴まれる。それから、ほとんど乱暴に唇を奪われた。逃げようとしても、三蔵の手に動きを封じ込まれてしまう。
「他のことなど、気にするな」
 キスの合間に囁かれる。
「お前は俺だけ見ていればいいんだ」

 結局、宿屋に帰れたのは、誕生日も終わった真夜中すぎ。
 そういえば、久々に二人きりの誕生日だったといまさらながらに気付いた。
 三蔵ってば、まさか――。
 なんだか機嫌の良い三蔵を横目で見て、溜息をつきそうになった。
 大人気ないよな、まったく……。



 三空妄想中毒さまへ寄贈させていただいたお話ですが、現在名簿だけになっていますので、引き取らせていただきました。
 サイトマスターの雪桜さまとのメールから浮かんだお話。…ってどんなメールのやりとりをしているのでしょう、まりえさん。(…そんなにヘンぢゃなかった、です。ホントですよ?)
 あんまり文章の進歩もないですし、相変わらずのバカップルだなぁ。(←素直な感想)
2006.04(再アップ)