Dark Moon
U. Eyes of Decision



 夕闇迫る墓地。ぺったりと地面に座り込んでいる少年の背中を、三蔵は何も言わずに見つめていた。
「江流」
 携帯電話を手にした朱泱が三蔵に近づいてきた。
「悪いが、西地区でゴタゴタだ。俺が行かなきゃならん。悟浄を呼んでおいた」
「あぁ」
 三蔵は朱泱の方を見もせずに頷いた。
「大丈夫か、江流?」
 問われて三蔵は少年から視線を外すと朱泱の方を見た。
「今日はもうこのまま休んだらどうだ?」
 心配そうな様子を見せる朱泱に、三蔵は苦笑を浮かべた。
「過保護だな。俺は大丈夫だ」
 三蔵はそう言って、また少年に視線を戻した。その頼りなげな背中に、少し早すぎたかもしれない、という思いが浮かんできた。
 もう少し、別れを惜しませてやるべきだったか、と。
 暗い地面の下に葬るということは、もう二度と会えないと思い知らされること。
 少年は何も言わず、ただ黙って作業を見守っていた。そして全てが終わると、力が抜けたかのように地面に座り込んだ。
「ったく、何なんだよ、朱泱、こんなトコに呼び出して……」
 突然、墓地の静寂とは合わない、ぼやくような声が聞こえてきた。三蔵と朱泱は、声のした方に顔を向ける。これもまた墓地にはまったく不釣合いな派手な格好をした、鮮やかな赤い髪の青年がこちらに向かってきていた。
「おや、三蔵サマ」
 赤い髪の青年――悟浄は、三蔵を認めると軽く片方の眉をあげた。
 と、少年がびっくりしたかのように、ぱっと振り返った。
「えっと、新しい子?」
 その動きが目に留まり、悟浄は少年の方を見て言った。
「何を言ってる、バ河童」
 三蔵が眉根を寄せた。
「休みの人間を呼びつけておいて、いきなりそれかい」
「まぁまぁ、悟浄」
 その場で口喧嘩を始めそうな二人の間に朱泱が入る。
「早かったな」
「ちょうど、この近くにいたんでね。で、何、用事ってのは?」
「悪いが、そこの坊主を好きなところまで送ってやってくれ。西地区でゴタゴタがあってな、俺はそっちに行かなくちゃならん」
「綺麗なお姉さんとのデートをお預けにされたってーのに、タクシー代わりかよ。あー、せめて可愛い子だったら良かったのに。いくら可愛くても男の子は守備範囲外なんだよな、俺。三蔵サマとは違って」
 にやにやと笑いながら悟浄が言う。三蔵は無視することに決めたらしく、悟浄を一瞥しただけで何も言わない。
「江流、とりあえず、俺は行く。後で連絡を入れる。悟浄、よろしくな」
 慣れているのか、そんな二人の様子を特にフォローするでもなく、朱泱はそう言うと片手をあげて、その場を去っていった。
「さて、どちらまでお送りしましょうかね」
 朱泱を見送ってから、悟浄が少年に声をかけた。だが、少年の瞳は驚いたように見開かれたまま、三蔵を凝視している。
「三蔵……三蔵って……」
 そして、今日初めて少年が言葉を発した。
「あなたの名前、三蔵……?」
 混乱したかのように少年が呟く。
「何、三蔵サマ、名前も教えてなかったの?」
「だって、さっきの人、江流って……」
「あぁ。朱泱は三蔵と付き合いが長いからな。どうしても元の名前が出ちまうんだろ」
「元の名前?」
 少年が悟浄の方を向いた。その金色の瞳はあまりにも澄んでいて、何だか悟浄は気圧された気分になった。なんとなく咳払いなどして答える。
「『三蔵法師』ってのは、この桃源郷を統べる人間の称号だろう? 世襲制じゃなくて指名制なんだから、指名されたやつには元々の名前があるだろうが」
 悟浄の説明を聞いて、少年がまた視線を三蔵の方に戻した。
「さん……ぞう……?」
「何だ?」
 問いかけるような少年の呼び声に三蔵が答えた。少年は驚いたような表情を浮かべて、三蔵をみつめた。
 まるで、驚きのあまり言葉を失ってしまったかのようだ。少年は、三蔵をみつめたままで何も言わない。
 三蔵はしばらく少年の言葉を待っていたようだったが、やがて短く息を吐き出すと口を開いた。
「俺はもう行く。そいつに、どこへなりとも好きなところに送ってもらえ」
 三蔵は少年に向かってそう言うと、くるりと向きを変え、その場を立ち去ろうとした。
「待って!」
 少年が弾かれたかのように立ち上がった。三蔵を追いかけ、その腕を両手で捕まえる。
 訝しげな視線と、何かを訴えかけるような視線が交差した。
「俺……。俺、あなたと一緒にいたい」
 少年は三蔵の腕に両手を絡ませたまま、必死な様子で言った。
「いきなり、何を」
「金蝉が言ってた。金蝉に何かあったら、三蔵のところに行けって。だから――」
 その言葉に、三蔵の表情がそれとわからないくらいに険しくなった。
 金蝉の言葉。だから、一緒にいたいと――?
「それはお前の都合だろう」
「でも、金蝉の意思だから。金蝉にしてあげられることはもうないんだから」
「だからと言って、俺がそれに従わなくちゃいけない義理はない」
 ――遺言なんて、生きている人間の都合も考えずに勝手に遺すもんだろう。そんなものに縛られる必要はない。
 そう言ったのは金蝉だ。
 三蔵は少年の手をほとんど強引に振り払った。
「三蔵っ!」
 少年の声が背中越しに聞こえたが、振り向きもせずに三蔵は歩を進めた。

 部屋の中で、三蔵は溜息をついた。
 ――あなたと一緒にいたい。
 そう言った時の少年の金色の瞳がどうしても頭から離れなかった。
 もう二度と会うこともないだろうに、なぜこんなにも執着するのか。
 今までの己の在り様とまったく違う心の動きに戸惑う。
 と、ノックの音が響いた。三蔵は面倒臭げに答えた。
 朱泱が言っていた西地区の件かと思った。だが、扉が開いて姿を現したのは――。
「よっ、三蔵サマ」
「悟浄、お前、何しに……」
 三蔵が思い切り不機嫌そうな顔を向けたとき、その長身の陰から少年が現れた。三蔵の目が驚きに見開かれた。
「どこでも好きなところに送るようにって、おっしゃったのは三蔵サマでしょ? この子のご要望が『三蔵のところ』だったから、お送りいたしました」
 悟浄は楽しげな笑みを浮かべながら言った。
 三蔵が驚きの表情を浮かべるなんて滅多にない。そんな表情が見れるとは。
 一瞬で立ち直って、三蔵はその笑顔に冷たい視線を投げた。
「俺はご命令通りにしただけ。とにかく、こっから先はお二人でどうぞ。綺麗なおねーさんを待たしてるから、行くわ」
 悟浄はひらひらと手を振って、部屋から出て行った。
「あの……怒って……る?」
 二人きりで残された部屋で、最初におずおずと口を開いたのは少年だった。三蔵は完全に表情を消して少年を見る。
「突然、こんなこと、言われても困るのはわかるんだけど、でも、今を逃したらきっともう二度と会えない気がするから」
 少年はまっすぐに三蔵をみつめた。
「俺、あなたと一緒にいたい」
 三蔵は溜息をついた。
「金蝉の言葉だからか? 金蝉が言えば、まったくの他人のところにでも行くのか?」
「金蝉に言われたっていうのもあるけど、でも、あなたと一緒にいたいと思わなければ、ここにはこない」
「なんで……」
 無意識のうちに三蔵の口から問いかけの言葉が漏れた。
「なんで、一緒にいたいなどと思う? 会ったばかりでほとんど話もしていないだろうが」
「どうしてだか、俺も考えたけど……。でも、わからない……」
 少年は小さく呟くように言った。
 三蔵は立ち上がり、机を回って、少年の前に立った。少年は三蔵を見上げた。
「俺は金蝉の代わりにはなれない」
 三蔵の言葉に、少年はふっと寂しげな笑いを浮かべた。
「金蝉の代わりは誰もなれないよ」
 その言葉に何故か、三蔵の胸が波立った。だが、そんな騒きは無視して話を続ける。
「ここの人手は足りているし、第一、お前にできる仕事があるとは思えん。俺は役に立たない人間をそばに置いておけるほど、心が広くない」
 少年は悲しげな顔をして、俯いた。
「だが、ペットとしてなら置いてやってもいい」
「ペット……?」
 少年は顔をあげた。きょとんとした表情で、意味がよくわからない、というように二、三度瞬きをした。三蔵は手を伸ばして少年の頤にかけると、軽く唇を触れ合わせた。少年の目が大きく見開かれた。
「つまり、こういうことだ。それでもいいと言うなら、な」
 少年は、三蔵を見つめたまま微動だにしない。
 その様子に三蔵は自嘲めいた笑みを浮かべた。
 どうかしている、と思った。
「もう、帰れ。誰かに送らせる」
 三蔵はそう言って、少年の髪をくしゃりとかき回すと、机に戻ろうとした。
「待って」
 少年が呼び止めた。
「いいよ。それでも、いい……」
 まっすぐに見つめてくる、揺るがない決意を浮かべた金色の瞳。
 三蔵はじっとその瞳を見つめ、そして、少年を引き寄せた。
「後から文句は聞かないぞ」
 ゆっくりと顔を近づけていく。
 触れるくらいまで近づいても、少年は目を閉じずにじっと三蔵を見つめていた。
「キスするときは、目くらい閉じろ。金蝉に教わらなかったか」
 金蝉、という言葉に少年の瞳が微かに揺らいだが、従順に瞳は閉じられた。
「いい子だ」
 三蔵はそう囁くと、貪るように深く少年に口づけた。



【蛇足】
 お待たせしてすみません。
 もしも待っていた方がいらしたら、の話ですが。GW明けからもの凄く忙しくて。
 それから、もし気付いていた方がいらしたら、の話ですが、タイトルが当初の予告と違っています。ごめんなさい。
 ……アレはですね、そのものずばりの題名だったんで、差し替えました。
 そうなるかな、とは思っていたのですが、ちょっとこの話、大人な要素が多く入ってきそうです。お嫌いな方はこの辺で引き返した方がよろしいかと思います。もうおわかりでしょうが、この後の展開は「裏」ですので。ただ、ですね。当サイトには「裏」はないのですよ。なので、そのものについての描写はありません。予告。「飛ばします」
 書くことについては、まぁ良いのですよ。ただ、サイトアップするには、それなりの準備が必要なので。カウンターが1万くらいまで行ったら考えます。(遠いなぁ)そのときに気が向いたらとか、リクエストがあるようだったらとか。って、リクエスト、あるんかい? はっきり言って下手、ですよ? いや、普通の文章も下手だけど、それに輪をかけて。
 ちなみに予告題名は「Between the Sheets」でした。飲んだことないけど、この名前のカクテルがありますね。

3000打のお礼に
宝厨まりえ 拝