Dark Moon
X. Descent from the Heavens to Earth



 明かりを落とした部屋のなか、眠れずに悟空はベッドの上で膝を抱えていた。
 悟空が自分の部屋と定めたのは、入口の近くの部屋だった。
 桃源郷にある『双子の塔』のうちの一つ――『月の塔』の最上階を全て占める三蔵法師の私室は、私室というよりも『私邸』と言った方が良かった。
 登録された者しか乗れない専用のエレベータを降り、やはり登録した者しか通れない三重のチェックを潜りぬけてようやく入口――表玄関に行き着く。
 広い玄関ホールの正面は、ガラス張りになっており、その向こうには本物の緑が植えられている。植物が植えられている場所は天井もガラス張りになっており、部屋のなかに温室があるような感じだ。かなり大きく、また植物の配置もあって、玄関ホールからはその先の様子はまるでわからない。
 玄関ホールの左右には廊下があり、それぞれ様々な部屋があるが、この部分は訪ねてくる客などのために使われるもので、プライベートな部分はやはり登録した者しか通れない専用の通路を通っていく温室の向こう側にあった。
 実は、この表の部分とプライベートな部分は完全に分断されており、プライベートな部分に行くには、またそこから三重のチェックを受けなくてはならない。
 これはセキュリティ上そうなっているのだが、三蔵法師がただ単に自分が使っている部屋に戻るだけの場合、かなり煩雑である。
 なので、プライベートな部分に入る手前のところに通じるエレベータもあり、このことは三蔵法師に近い位置にいるごく一部の人間しか知らなかった。当たり前だが、普段、三蔵が使うのはこちらの方が多かった。
 チェックを抜けるともう一つの玄関――内玄関に行き着く。
 そこに近い部屋は左右に一つずつあったが、入ってきて右側は道雁が使っており、悟空が選んだのは左側の部屋だった。三蔵が使っている部屋は更に奥にある。
 昨日動けるようになると、この私邸のある最上階から地下の駐車場まで、悟空は一通り『月の塔』の内部を三蔵の指示を受けた道雁に案内してもらっていた。
 だが、とにかく広い。どこに何があるのかがわかるまでには時間がかかりそうだった。
 そして、なんだかあまりの環境の変化についていけそうもなかった。
 それでなくても、この三日の間に色々なことが起こりすぎているというのに。
 悟空はため息をついて、立てた膝の上に頭を落とした。
 眠れなかった。
 頭の中にさまざまな事柄が浮かんでは消え、どうしたら安らかな眠りが訪れるか、忘れてしまったようだ。
 考えてみれば、昨日も一昨日も三蔵がいた。いつの間にかその腕の中で眠っていた。そして、その前はどうやったら眠れるかなど考えたこともなかった。
「三蔵……」
 そっとその名を呼んでみる。
 昨日の夜、三蔵が帰ってきたのはかなり遅くなってからだった。出迎えて、『おかえりなさい』と言うと驚いた顔をした。軽く頭を叩かれて『起きて待っている必要はない』と言われた。その後をついて行こうしたら『今日はシねぇよ。昨日の今日じゃ、お前も無理だろう』と少し笑った。
 かなり疲れているように見えた。
 だから、邪魔にならないようにその後姿を見送った。
 だが。
 もう一度ため息をついたとき、内玄関の辺りで人の気配がした。
 三蔵?
 まだやっと夜が明けたばかりの時間のはずだ。
 昨日遅く帰ってきたのに、また朝早く出て行くなんて。
 悟空は、自分の部屋から内玄関へと向かった。

「三蔵」
 三蔵が道雁の見送りを受けていると、突然、声がした。悟空の声だった。少し驚いて振り返る。昨日、遅くまで起きていたはずなのに。
「起きたのか? 見送りもいいから、まだ寝ておけ」
 そう三蔵は声をかけたが、悟空はさらに近づいてきた。
「出掛けるの? なら、俺も連れて行って」
「駄目だ」
 間髪も入れずに返した言葉に、悟空が眉根を寄せた。
「なんで? どうせ西地区に行くんでしょ? 途中で俺たちの――俺と金蝉が住んでたところに寄って」
「何故、俺がそんなことをしなくちゃいけない?」
「いろいろ荷物を取ってきたいし。着替えすらないんだよ、俺」
 悟空は昨日放り投げてやった三蔵の服を着ていた。
「それなら、悟浄あたりを差し向けるから、好きなように使え」
 三蔵の答えに悟空はしばし沈黙し、それからまた口を開いた。
「三蔵は、金蝉と別れてから一度も会ってないんだよね? 金蝉がどんな暮らしをしていたのか、気にならない?」
 今度は三蔵が沈黙する番だった。
 正直、気にならないわけではなかったが、あまり見たくはなかった。
 悟空と暮らしていたところなど。
「それに、三蔵に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?」
「うん。金蝉が遺していったもの」
「それなら勝手に持ってくればいいだろう」
「駄目」
 悟空が首を横に振った。
「俺と三蔵が揃わなくちゃ開かない金庫の中だから」
「何だ、それは」
 三蔵が不審そうな表情をみせた。
「俺もよくわかんない。でも、金蝉がそう言ってた。自分に何かあったら、三蔵のところに行けって。それで、二人でその金庫を開けろって」
 ということは、金蝉は自分の死期を悟っていたということだろうか。
 三蔵はそのことに何かひっかかりを感じた。
「だが、俺にはそれを受け取らなきゃならない理由はない」
 とはいえ、三蔵が口にした言葉はそれで、その言葉に悟空の目が大きく見開かれた。それから視線が下に落ちる。
 どうやら、三蔵から拒否されることは考えていなかったらしい。
「でも、俺は知りたい」
 だが悟空は顔を上げ、三蔵と視線を合わせてきた。
「金蝉が何を遺したのか。それを知りたい」
 強い光の浮かぶ金色の瞳。
 まっすぐに見つめてくるその瞳は、あまりにも澄んでいて綺麗で。
 ふっと三蔵はため息をついた。
「まぁ、いい。ついでだ。来い。すぐに出るぞ」
「三蔵さまっ!」
 驚いたような声が傍らにいた道雁の口から漏れた。三蔵は、今初めてそこに道雁がいたことに気付いたかのように視線を向けた。
 一瞬、道雁はひるんだような表情を見せたが、言い募った。
「危険ではないですか? いつもどなたも同乗させないのに」
「何、それ?」
 悟空が不思議そうな声をあげた。
「お出かけになるときは、いつも三蔵さまはお一人だ。車に誰も同乗させない。『三蔵法師』の名を狙った不逞の輩に襲われることがあるからだ。そういう奴らに襲われた時に、巻き添えになったりすることのないように……」
「それって、ただ、足手まといだから三蔵がいらないって言ってるだけじゃないの?」
 道雁の言葉を途中で遮って、あっさりと悟空が言った。
「三蔵さまのご配慮をそんな風に言うとは」
 道雁の頬に赤みがさした。
「まぁ、どっちでもいいけど、俺は。足手まといにはならないし」
 悟空は、たいして興味がなさそうにそう言うと、道雁の側を通り過ぎて三蔵の横に並ぼうとした。
「!」
 が、その体が一瞬消えたかと思うほど素早く下に沈みこんだ。そして、押し殺した悲鳴をあげたのは道雁の方だった。
 道雁は、手を後ろにと捻りあげられていた。
 絶妙のタイミングだった筈だ。抜く手も見せず、悟空の喉元にはナイフが突きつけられる筈だった。
 だが、それは躱され、後ろ手に掴まれた腕も外せないでいた。
 道雁は格闘技全般についてもかなり腕前だった。それなのに、その道雁を苦もなく悟空は押さえ込んでいた。そのうえ、まるで力を入れているようには見えない。
「そろそろ離してやれ」
 三蔵が声をかけた。
 たぶん、道雁は見かけはただの少年の悟空に、『足手まといにならない』と言っても口ほどにもないのだと証明したかったのだろうが。
「こいつはいいんだよ」
 悟空に掴まれていたところを無意識のうちにさすっている道雁に三蔵は声をかけた。
 最初から、わかっていたことだ。
 この少年は強い。
「行くぞ」
 三蔵はそう言うと、扉を開けた。
「待てよ」
 その後を悟空が追いかけてきた。

 車は、開発途中のままうち捨てられた地区を通りすぎていた。
 桃源郷では珍しい光景ではなかった。昔、天界がこの桃源郷を作った頃は、もっとたくさんの人がここで暮らしていた。
 だが、今では人口は減るばかり。このままでは遠からず滅びの道を辿ることになるだろう。
 三蔵は片手で自分の額にあるチャクラに触れた。
「あいつのナイフ、持ってきちゃった」
 そんなもの思いを、悟空の言葉が遮った。目をやると、ナイフを弄んでいる。
「これ、軽いけど、切れ味良さそう」
「強化セラミック。気をつけろ、鉄でも切れるぞ」
「へぇ」
 一応注意はしたが、悟空はさほど感銘を受けたようには見えなかった。ナイフをひっくり返しては眺めている。
「こういうの、いいな。ね、三蔵のボディガードをするから、こういうの、支給してくれない?」
「何を……」
 馬鹿なことを言っている。
 そう続くはずだった言葉は、突然、視界に入ってきたコンクリートの塊に遮られた。
「出ろっ!」
 急ブレーキをかけるが、間に合わない。
 そう悟ると、三蔵は、まだ走っている車から飛び降りた。
 地面を転がって反動を殺し、跳ね起きた。
 と、突然、目の前に銀色の輝きが迫ってきた。体を後ろにそらせて避ける。
「紅孩児、じゃないな。誰だ、てめぇ」
 体勢を立て直し、三蔵は目の前の人物を睨みつけた。
 長剣を肩に担ぎ、こちらを見つめてくる不敵な顔には見覚えがなかった。
「お初にお目にかかる、三蔵法師どの。だが、自己紹介はいいだろう」
 すっと、その男が動いた。
「すぐに必要なくなるからな」
 予想外の速さだった。
 間合いを詰められたのも、振り下ろされた長剣も。
 三蔵も、長剣を振り下ろした男も、予想した結果は同じだったろう。
 だが。
 鋭い音がして、男の長剣は、三蔵の目の前で受け止められた。
「三蔵には、指一本、触れさせないよ」
 悟空だった。



【蛇足】
 少しはカッコ良い悟空で終わっているでしょうか?
 でも、目指しているのはこういうカッコ良さではないのですけどね。
 本当は紅孩児の方を先に出すつもりだったんですが、イロイロあって、この方にご登場いただきました。この方はあの方です。
 でも、そしたら、八戒さんを出すタイミングがなくなってですね、登場までしばらくお待ちいただくことになってしまいました。それと悟浄の再登場も。あと、この話の世界観の説明も全然してませんね。もう全部、後です。とりあえず話、進めます。(なんて強引な)

6000打のお礼に
宝厨まりえ 拝