Dark Moon
Y.Elixir Vitae



 悟空が、男と三蔵の間に入り込み、手にしたナイフで長剣を受け止めていた。
 そして、軽くナイフを押しやった。
 大して力を込めているようには見えなかったが、男の体が宙に浮いた。バサッと音を立てて、男が肩に羽織っている着物のようなものが風になびいて広がった。
 一瞬、男は驚いたような顔をしたが、空中で体勢を立て直し、ストン、とほとんど優雅にも見える動きで地面に降り立った。
 着地する地点を予測していたのだろう。男を押しやると同時に走り出した悟空の振りかざしたナイフが、男の足が地面につくと同時に顔面に叩き込まれた。
 だが、今度は逆に、ナイフは長剣に受け止められた。
 悟空は金色の目を眇めた。
 三蔵を殺そうとした相手だ。手加減したつもりはない。それなのに、こうも簡単に受け止められるとは。
 悟空の顔に、どこか楽しげな表情が浮かんだ。
「その金色の目。お前、『孫悟空』だな」
 ナイフを受け止めたまま、男が、こちらも楽しげな表情を浮かべて言った。
 その言葉に、悟空は改めて、目の前の男の顔をまじまじと見つめた。
 会ったこともない男のはずだ。
 悟空は記憶を辿ろうとした。そこに少し隙ができた。
 その隙を見逃さず男は長剣をずらしてナイフを滑らせると、体勢を崩した悟空の手首をとった。
 そのまま、引き寄せ、抱きしめて。
 唇を塞いだ。
「何をするっ!」
 突き飛ばすように悟空は男を押しのけて、自身も後ろに下がった。唇を手の甲で押さえ、金色の目で睨むように男を見すえた。
「俺の名は焔だ」
 微かに笑って男が名乗る。
「お前、俺のところに来い」
 そして、当然といった口調で告げた。
「そこは、お前にはふさわしくない。お前のことをわかろうともしない人間のそばにいても、泣かされるだけだぞ」
「何を言って――!」
 悟空の顔が険しくなった。
「俺ならば、決して泣かしたりしないし、大切に扱う」
 間近で声がしたと思ったら、再び悟空は男の腕の中に閉じ込められていた。状況の変化に対応できずにいたところ、またもや唇を塞がれた。
 逃れようと身を捩るが、男の腕の力は強くて身動きがとれない。
 それどころか口内に侵入してきた舌の感触に、悟空の目が大きく見開かれた。
 イヤダ――。
 せめても反撃、と噛みついてやろうとしたとき、すっと男が身を引いた。
 悟空は微かに頬を紅潮させて、男を睨みつけた。
 その速さについていけなかったことも、抱きしめられて振り解けなかったことも、二度までもキスされたことも。
 悔しくて、涙がにじんできた。
「今は何を言っても無駄なようだな」
 そんな悟空の様子に、男は仕方のないやつだとでもいうような微笑みを浮かべた。
「だが、そのうちにきっとわかる」
 男はそう言うと、ふわっとまるで重力を無視したかのように、飛び上がった。二、三度壁を蹴って、近くの建物の屋上にと降り立つ。
「今日のところは退いておく。だが、忘れるな、悟空。そこはお前の場所ではない」
 その台詞とともに、ふっと男は消えた。
 何で――。
 悟空は唇を噛みしめた。
 そこに残る感触。
 突然、目の前が真っ暗になった。そして。
 悟空は地面にと倒れこんだ。

 目を覚ますと、悟空は『月の塔』の自分の部屋のベッドの上にいた。
「気がついたか」
 すぐ傍で声がした。
「三蔵――」
 なんで三蔵がここにいるのだろう、と考え、瞬時に記憶が蘇ってきた。
 あの男――。
 悟空は唇を噛みしめた。そこに残る感触を、痛みで消すかのように強く。
「唇、切れるぞ」
 インターフォンでどこかに電話をしていたらしい三蔵が、受話器を置くと悟空の傍に戻ってきた。そして、悟空の下あごに手をかけた。
 少し上を向かせ、軽くキスを落とす。
 悟空が驚いたような顔をした。それにまたキスを落とす。今度は深く。
 悟空の手が、もっとと、もとめるかのように三蔵の背中に回った。
 角度を変えて、深く浅く、何度も繰り返されるキスの最中に、扉がノックされる音がした。
 甘く溶けた頭の中で、その音を聞いた悟空がふと目を開けると、戸口に雁道が立っていた。びっくりして、三蔵から身を引き離す。
 いきなり離れていった悟空に、三蔵は不満気な顔をしたが、悟空の視線を辿り、そこに雁道がいることに気がつき、ぱっと真っ赤になって顔を伏せた悟空を見て微かに笑みを浮かべた。
 悪怯れた様子もなく、三蔵は雁道の持ってきた皿を受け取った。雁道は完璧に表情を消したまま、何も言わずに部屋を出て行く。
 パタンと扉の閉まる音がした。
「食え」
 三蔵が受け取った皿を悟空の方へと差し出した。
 赤い顔のまま、悟空が視線をあげると、目の前に湯気のたつスープがあった。
 悟空はスープを、次いで三蔵を見た。
「寝不足と栄養失調。お前、ほとんど何も食ってないだろう。そんなんじゃ倒れるのも当たり前だ」
 三蔵はそう言うと、更にスープ皿を悟空の方に近づけた。だが、悟空は受け取ろうとしない。
「食わねぇなら、鼻を摘んで流し込むぞ」
 そう言っても、困ったかのようにスープを見ているだけだ。
 三蔵は、一瞬考え込むような表情を浮かべた。それから、添えられたスプーンでスープをすくうと悟空の目の前に差し出した。
「口、開けろ」
 悟空の目が見開かれた。
「人がここまでしてやってるんだ。口、開けろ」
 ほとんど脅しとも取れる口調で三蔵は言い、悟空を睨みつけた。
 悟空は一瞬泣きそうな顔をしたが、三蔵が本気で怒り出すのを恐れたのか、観念したかのようにおずおずと口を開いた。
 そこに流し込まれる、暖かいスープ。
 ゆっくりと喉を通りすぎていく。
「ほら、次」
 またスプーンが悟空の目の前に差し出された。
「な……んで……」
 信じられないとでも言うような呟きが悟空の口から漏れた。
「どうした?」
 三蔵が軽くスプーンを持ち上げて、早くしろ、と催促する。悟空は口をあけた。ゴクンと喉がなって、またスープが通りすぎていく。
 なんともない。
 悟空は口元を押さえた。
「なんだ? 不味かったか?」
 三蔵は悟空の奇妙な仕草に怪訝そうな顔を浮かべ、自分で一口スープを飲んでみた。
 特に不味くはないが。
 そう言おうとして、目の前の顔を見て驚いた。
「おい」
 大きな金色の目から涙が溢れ出していた。
「ごめ……」
 悟空は涙を拭った。が、涙はあとからあとから溢れ出してくる。
「金蝉が死んでから、食べようと思っても食べれなかった。口に入れても気持ち悪くなって吐いちゃって……。でも……」
 今はなんともない。
 それは三蔵だから。
 たぶん、三蔵がいなかったら、眠ることも食べることもできない。
 三蔵はスープ皿を横のサイドテーブルに置くと、悟空をその胸に引き寄せた。
「さんぞ……」
 泣きじゃくる悟空の頭をゆっくりと撫でてやる。
 やがて泣き声はだんだんと小さくなり、泣き止んだと思われる頃、悟空が呟いた。
「それ、金蝉と同じ。泣いているときに、頭、撫でてくれるの」 
 三蔵の手が止まった。
「三蔵?」
 涙に濡れた目のまま、悟空が三蔵を見上げた。
「お師匠さまの……俺たちの育ての親のクセだったからな」
 どこか憮然とした様子で三蔵が言った。
「そうか」
 悟空は三蔵から離れると、涙を拭った。
「もう、自分で食べれるな」
 三蔵がスープ皿を悟空に差し出した。悟空は頷いて、受け取った。
 ゆっくりと自分でスプーンを口に運ぶ。
 スープが体に染み透るようだった。
 しばらくすると、スープ皿が空になった。三蔵は手を出して、悟空の手から皿を取り上げると、サイドテーブルの上に置いた。そして、肩に手をかけ悟空をベッドにと押し倒した。
「三蔵?」
 驚いたような顔をする悟空に、微かに三蔵は笑いかけた。
「別に何もしねぇよ。寝ろ」
 布団を引き上げて、肩までかけてやる。
 だが、悟空は不安そうな目で三蔵を見上げるばかりだ。
「大丈夫だ。眠るまで傍にいてやるから」
 ぽんぽんと安心させるかのように布団をたたいてやった。やっと、悟空が笑みを浮かべた。
「ありがとう、三蔵」
 そして、目を閉じる。
 寝息が聞こえてきても、しばらく三蔵はその寝顔をみつめていた。
 強いのか、弱いのか。
 わからなくなる。
 まっすぐ見つめてくる強い光を放つ金色の瞳と、まるですがりつくような色を浮かべる頼りなげな金色の瞳と。
 どちらも同じものなのに。
 そっと手を伸ばして、髪の毛に触れた。そのまま、額に軽くキスを落とす。
 微かに自分の吸っている煙草の香りがした。
 それに気付いて、三蔵は笑みを浮かべた。
 倒れた悟空を抱き上げたとき、あの男のつけていたオー・デ・コロンの香りがした。それにイラついてここに戻ってくる車中で吸っていた煙草。それが完全にあの男の香りを消したらしい。
 再び、自分のモノになったような気がして。
 三蔵は、悟空の唇に柔らかいキスを落とすと立ち上がった。



【蛇足】
 進めます。と言っておいて、話自体は全然進んでないような。まぁ、長い目で見てください。が、長い目で見た場合、この話ってどうよ? になる可能性もなきにしもあらずなのですが、それはそのときということで。(もう既に開き直っている……)
 とりあえず、1万のところで最初の山場がくるといいな、と。が、計算違いになったらごめんなさい。それよりも、1万、行くまでこのサイト、続いてますよね? いえ、私は続けるつもりですけど…。
 ご覧になっている方々、よろしくお願いいたします。ペコリ _(._.)_

7000打のお礼に
宝厨まりえ 拝