Dark Moon
[.The Onset of Pain



「お前、何でここに?!」
 悟空は鋭く叫び、焔に掴みかかろうとした。
「!」
 が、なんなくその手はかわされ、逆に腕を捕られて引き寄せられ、腕の中に閉じ込められてしまった。
「離……せっ!」
 力強い抱擁に、息苦しささえ感じる。悟空は逃れようともがいた。
「早速、泣かされたのか」
 だが、耳元で囁かれ、動きが止まる。
「だから、言っただろうが。お前をわかろうとしない男のそばにいても無駄だと」
 抱きしめられていた腕が外された。頬を両手で包み込まれて、顔を上にあげさせられた。
 見つめてくる目。左右で色が違う不思議な目。
 もう逃げることもできるのに、その目に捕らわれたかのように悟空は動けないでいた。
「俺ならば、こんな風に泣かせない。大切にするのに」
 ふっと優しい笑みが焔の顔に浮かんだ。
「お前はこの世で唯一無二の存在。ようやく見出した希望という名の宝石なのだから」
 焔の顔が近づいてくる。
「やめろっ!」
 唇が触れる瞬間、悟空は焔を突き飛ばした。
「言っていることの意味がわからないっ!」
 焔は突き飛ばされたことに対して特に怒った素振りは見せずに、仕方のない奴だとでもいうような表情をした。
「お前は自分のことをわかっていないのだな」
 キミにはわからない。
 悟空の頭の中に嫌な記憶がふっと浮かび上がる。
「俺は……俺は、モノじゃないっ!」
 まるで叫ぶかのように、悟空は否定の言葉を投げつける。
「そう。自分の意志がある。だからこそ稀有な存在」
 焔の言葉を理解できず、悟空の額に皺が寄った。
「金蝉は、お前には何も話していなかったのだな」
 悟空の目が見開かれた。
「金蝉って……。お前、金蝉を知っているの?」
「焔、だ」
 焔は短く告げると、まっすぐに悟空を見つめる。
「焔、は金蝉を知っているの?」
 悟空は額の皺を深くしつつも言い直した。
「あぁ」
「でも、俺は会ったことがない。金蝉の知り合いならば、この家に来てもいいはずなのに」
「それは無理だ。俺は天界人だからな」
「何?」
「天界人。知らないわけではないだろう」
 焔が繰り返す。
 知らないわけではなかった。
 天界人。空の上に住むという人々。この桃源郷の真の支配者。だが、滅多に地上のことには干渉せず、代理人の三蔵法師に全てを任している。
 だから地上の人間にとって天界人は伝説のようなものだ。
 どんな姿をしているのか。どんなことをしているのか。そもそも本当にいるのか。
 というよりも、普段は忘れ去れている存在。
「嘘だ」
「嘘をつく理由がないと思うが」
「だって、天界人と金蝉がどうして知り合いなのさ。それに天界人は地上には降りてこない」
「別に三蔵法師でなくても天界と連絡を取ることはできる。一般の人間が知らないだけだ。もともと金蝉は三蔵法師に近いところにいたからな、その方法も容易くわかったのだろう。悟空、俺がお前の名を聞いたのは、金蝉からだ。俺と金蝉が知り合いでなければ、お前のことを俺が知っているわけがないだろう」
 悟空は驚いたような顔になった。
 そう言えば、そうなのだ。最初から焔は悟空の名を呼んだ。
「地上に降りてきたのにはいくつか理由がある」
 焔はそういうと、金蝉の机の方を振り返った。
「一つは、金蝉が死んだから」
 机の上には、杯が二つと酒の壜が置いてあった。
 ここで、焔は今はもう亡い金蝉を偲んでいたというのだろうか。
 それを見て悟空は、焔が金蝉と知り合いだと言った言葉を信じても良い気になった。
「そして、ここにお前がいるから」
 俺?
 悟空は怪訝そうな表情を浮かべた。
「最後の一つは、三蔵法師の首を貰い受けるため」
 怪訝そうな表情は、この言葉で一気に緊張したものに変わった。
 悟空はすっと動いて、焔との間合いをとった。
「お前、泣かされたくせにまだ三蔵法師の味方をするのか?」
 焔の言葉に、悟空は一瞬顔を歪めたが、きっと睨み返した。
「関係ない。三蔵には指一本触れさせない」
「まぁいい」
 焔はふっと笑うと、悟空の方にとゆっくり歩み寄ってきた。悟空は全身を緊張させた。
「そうピリピリするな。お前とはやり合う気はない。それにここではやる気にもならない」
 焔はそう言うと悟空の横を通り抜け、扉へと向かう。
「よく考えてみるのだな、悟空。どうしてそんな風に泣かされるのか。あの男ではお前を理解することはできない」
 扉のところで振り返って焔が言う。
「気が変わったらいつでも俺のもとに来い。俺たちはまた会うことになるだろうから」
 階段を下りていく足音がし、ついで、玄関の扉がしまった。
 悟空は書斎に一人残され、しばし呆然と宙を見つめた。
 どうしてそんな風に泣かされるか。
 執務室での光景が蘇ってきた。
 そして、ここには誰もいない。
 すがるべき相手は、どこにもいなかった。
 悟空の目から涙が零れ落ち、静かにすすり泣きが辺りに響いた。

 結局、真夜中も過ぎた頃、悟空は『月の塔』に戻ってきた。
 三蔵のもとに戻ることで、自分の心がもっと傷つくことはわかっていた。
 だが。
 側にいたかった。
 悟空は足音を立てぬよう静かに自分の部屋にと忍び込んだ。それから、明かりもつけずに寝室に向かい――。
「どこに行っていた」
 暗闇の中、いきなり予想外の声がした。
「三蔵……?」
 だんだんと暗闇に慣れていく目に、ベッドに腰掛けている三蔵の輪郭がおぼろげに映った。
 どうして、ここに……?
 できれば、今は会いたくなかった。
 まだ心の整理ができていない。
「服を取りに……」
 悟空は手にした荷物を三蔵の方に差し出すかのようにして見せた。その手を三蔵に掴まれた。手を引かれて、三蔵の方に倒れかかる。
 前に抱きしめられた時はとても嬉しかった。
 だけど。
「やっ!」
 悟空は反射的に三蔵を押しのけた。離れようとするが、掴まれた手を外すことはできない。
 といっても無理矢理、外そうと思えばできないこともないはずだ。だが、そうすれば三蔵を傷つけることになる。それはどうしてもできなかった。
 ずっと暗闇の中にいた三蔵は、暗くても悟空が泣きそうな顔をして自分を押し返したのがわかった。
 何故なのかはわからない。
 今まで、悟空はこんな反応を返したことはない。ほとんど無理矢理に抱いた昨日の朝でさえ。
 三蔵は依怙地になって、もう一度、悟空を引き寄せた。
 抱きしめて、その髪に顔を埋めて――。
 ふわっと、香りが漂った。
「お前、あの男に会っていたのか?」
 突然の三蔵の言葉に、悟空は不思議そうな顔で見上げてきた。
「あの男。今朝の、焔、とかいう」
 悟空の目が驚きに見開かれた。
 返事は、それだけで十分だった。
 三蔵はギリッと歯を噛みしめると、悟空に口づけた。
 はっと悟空が身を固くし、そして次の瞬間。
「やだっ!」
 はっきりと拒否の言葉を口にし、悟空は三蔵を突き飛ばした。
 悟空の目には涙が溜まっている。
 何故?
 三蔵の胸のうちに怒りにも似た感情が渦巻いた。
 今朝、あの焔とかいう男には、従順にキスされていたというのに。
 三蔵は悟空の手首を捕まえると、その体をベッドに投げ込むように押し倒した。
「三蔵、やだ」
 のしかかると、悟空は手を突っ張ってそれ以上、近づけさせないようにする。
 その両手首を片手で掴むと、まとめて頭の上にと縫いとめた。
「お前に拒否権はない。それでもいいとお前が言ったのだから」
 三蔵の言葉に、悟空は息を飲んで動きを止めた。
 唇が震え、目から涙が溢れ出してきた。
 ――ペットとしてなら置いてやってもいい。
 あの時の言葉の意味がようやくわかった気がした。
 悟空は天井を見上げた。
 目を開けているはずなのに、真っ暗な中にいるようだった。
 鋭い痛みが胸に突き刺さった。



【蛇足】
 なんか、ですね。ずっとコレを書いている気がするんですけど、気のせいかなぁ。連載? 隔週連載(笑)?
 いつもでしたら、今回みたいにカウンターが次の数字を刻むまでは〜でアップするんですけど、次は1万なんで、ちゃんと1万になってすぐを予定しております。いろいろ都合が、ごにょごにょごにょ……。
 しかし、相変わらず崖っぷちだなぁ。1万の後の展開、どうしよう……。つーか、1万、どうしよう……。

9000打のお礼に
宝厨まりえ 拝