Dark Moon
\.The Wailing in Sorrow



 朝……?
 微かな光を感じて、悟空の意識がゆっくりと浮かび上がってきた。
 起きようとするが、倦怠感に包まれて目蓋を上げることすら億劫だった。
 体がだるい。
 昨日。
 昨日、何が――。
 そう考えた時、突然、脳裏に綺麗な顔が浮かんだ。
「――!」
 悟空は反射的に起き上がろうとした。だが体に力が入らず、そのままベッドに突っ伏してしまう。
 そのとき、自分の腕が目に入った。
 そこに残る赤いアト。
「あ……」
 震える腕を持ち上げる。
 たぶん、そこかしこについているはずのアト。
 昨日。
 あんなに、嫌だと思っていたのに。
 悟空は唇に拳を押し当てた。
 昨日の感覚が蘇ってくる。
 強烈な、何もかもが白く塗りつぶされていくような――
 快楽。
 肌を滑る指が。触れてくる唇が。そして、耳元で囁く低い声すら。
 すべて、今まで知らなかった感覚を引き出していった。
 あんなに嫌だったのに、そんなことはすっかり忘れて、腕の中、与えられる感覚に溺れていった。
 今でも、はっきりと思い出すことができる。
 身を焦がす、震えるような、熱い、圧倒的な感覚。
 快楽を得るための手段――。
 その言葉が正しいことが、わかった。
「三蔵……」
 悟空の口から無意識のうちに呟きが漏れた。
 胸が痛い。
 まるで鋭いナイフで抉られているかのようだった。
 静かに声をあげて、悟空は泣き出した。

 どのくらい泣いていたのかはわからない。
 ただもう涙も涸れ果て、疲れ果ててしまった。目も喉も痛くて、頭がぼぉっとしている。
 悟空はのろのろと身を起こすと、部屋を後にした。
 ふらふらと内玄関を出て、エレベータではない方向に向かう。
 壁に隠されているドアを開けた。その先にあるのは、階段。
 悟空は下ではなく、上へと階段を辿りだした。
 着いた場所は、月の塔の頂上部分。
 悟空は、外にと躊躇いもなく足を踏み出した。
 風が強い。
 油断をしていると体ごと持っていかれそうだ。
 悟空は風を受けるように手を広げた。風に逆らわず、器用にバランスをとって空を見上げる。
 中天に浮かぶ、昼の白い月。
 月のようだと思った。
 最初に見たときに。
 闇の中に浮かぶ、冷たい、鋭利な光を投げかける、美しい月。
 でも、あの人は昼の光のなかでも、その輝きを失わない。
 こんな風に白く、色褪せては見えない。
 だけど、太陽のように優しくはなく。その光は冷たいまま。
 離れてしまえばいい。
 このまま、この塔を降りて姿を消せばいい。
 きっと、追いかけてはこない。
 きっと――ではなく、絶対に。
 代わりなど、いくらでもいるのだから。
 ズキンと胸が痛んだ。
 人の感情は喜怒哀楽だけではない。
 そう、金蝉が言っていた。
 笑うことも、泣くことも、金蝉が教えてくれた。金蝉がいなかったら、それは頭の中にある知識だけで、本当には何も知らないままだった。
 感情など必要ない。
 そう言われたことがある。
 その時はそもそもその意味はわからなかったけど。
 今ならば、どうしてそんなことを言うのかわかる気がする。
 だけど、感情が必要ないとは思わない。
 止まらない胸の痛み。ずっと、血を流し続けているようだ。
 それでも、痛い想いをするのならば、何も知らない方が良かったとは思えない。
 何も知らなかったら、きっとあの人のそばにはいれないから。
 こんなに痛いのに。
 どうして、そばにいたいと思うのだろう。
 離れると考えるだけで、もっと胸が痛くなるのだろう。
「三蔵……」
 悟空の口から呟き声が漏れる。
 もう、その名前以外の言葉は忘れてしまったかのよう。
 その名前しか意味はない。
 だから――。
 悟空の胸が更に痛んだ。

 夜になって戻ってきた三蔵を、悟空は出迎えた。
「お帰りなさい……」
 そばにいる雁道を気にも留めていないように、悟空は両手を三蔵の背中に回して、その胸に顔を埋めた。
 少し驚いているような三蔵の気配が伝わってきた。だが、それは一瞬で、ぎゅっと抱きしめられ、顔を上げさせられた。
 綺麗な顔に見つめられ、悟空はひっそりとした笑顔を浮かべた。
 それに唇が降りてくる。
 目を閉じて、悟空は従順にキスを受けた。
 こうすることが三蔵のそばにいられることならば、それでもいいと思った。
 そして、こうすることで誰にも触れないでいてくれるのならば、何でもできると。
「三蔵……」
 抱き上げられた腕の中。
 悟空は目を閉じて身を委ねた。



【蛇足】
 1万です。もう何度も言っているんですけど、凄いなぁ。
 今回ちょっと短めですが、ご勘弁を。ちょうど話の切れ目でして。まぁ、この前の話も同時に書いてますので、書く分量としては多め、なんですけどね。
 ところで「前の話」とは「[.The Onset of Pain」ではありません。……え?
 いや、特にリクエストはなかったんですけどね(笑) 興味のある方は探してみてください。
 とりあえずこの話は続けられるところまで、1000刻みであげていきます。今後もよろしくお付き合いください。

10000打のお礼に
宝厨まりえ 拝