Dark Moon
].Curtain Raiser



「さんぞ……?」
 そっと起こさないように起き上がったつもりだったが、傍らで眠っていた悟空がうっすらと目を開けて呟いた。
「まだ早い。寝てろ」
 そうとだけ告げて、三蔵はベッドから降りようとしたが、腕を掴まれた。
「出かけるの? 外に行くなら俺も行く」
 いきなり覚醒したかのようにぱっと悟空は起き上がった。その金色の目には真剣な光が宿っている。
「連れて行って」
 三蔵が少し躊躇いの色を見せると、両手でぎゅっと腕に掴まってきた。
「わかった。来い」
 縋りつくような視線に負けて、三蔵は微かに苦笑を浮かべて言う。
 内心『甘いな』と思わなくもない。
 だが、あんな風に見つめられれば否とは言えない。とはいえ、それは目の前の存在だからこそだ。この甘やかな香の――。
 三蔵は掴まれていない手を悟空の頬に添えると、唇にキスを落とした。軽く触れるだけのつもりだったが、柔らかな唇に誘われるように深いキスになる。
 肌を重ね合わせた夜は片手でさえ余るのに、もう既に溺れている。そう意識はしたが、どうすることもできない。別にそれでもいいのかもしれない。そんな風にさえ思える。
「支度して来い。別に急がなくてもいいぞ」
 ようやく唇を離すと三蔵はそう告げた。

 そして、三蔵が向かった先は空に向かって聳え立つ双子の塔の一つ――太陽の塔。
 一般の人間は立ち入るどころか、建物の間近に行くことすらできない場所。
 その塔の一室で、悟空は三蔵を待っていた。
 ここから先は、『三蔵法師』以外は行けない。
 そう言われて、この部屋にと通された。中にあるものは好きに使えと言われたが、悟空はただじっとソファーに座ったまま、三蔵が現れるのを待っていた。
 立ち去る三蔵を不安気に見つめると、置いていったりしないから大丈夫だと微かに笑って、安心させるかのように額にキスを残していった。
 優しいキス。
 だけど、苦しい。
 その顔を見つめていると、悲しくなる。泣きたくなる。泣いて縋って、自分だけを見てと請いたくなる。
 だが、それはできない。
 束縛されることを嫌う。そう言われていたから。
 嫌われたくはない。そばにいられなくなるようなことにはなりたくない。
 悟空は苦しげにため息をついて、組み合わせた両手に顔を埋めた。
 三蔵――。
 そのとき、扉の開く音がした。悟空は弾かれたかのように顔をあげた。
「あぁ、失礼しました。誰もいないと思っていたもので……」
 だが、扉のところに現れたのは見知らぬ青年。
「すみません、探し物をしているんです。少しだけ中に入って探してもいいですか?」
 にこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 笑顔を浮かべたまま部屋に入ってきた青年は、悟空の顔を見ると少し物問いたげな表情を浮かべた。
 なんだろう。
 と、悟空が視線で返したとき
「八戒、見つかったか?」
 戸口で別の声がした。反射的に戸口にと向けた悟空の目に、鮮やかな赤い髪が飛び込んできた。
「あれ? この間の子じゃないか」
 悟浄が立っていた。
「ここにいるってことは、三蔵サマにうまく気に入られたってことだな」
 ずかずかと遠慮もなしに悟浄は部屋の中にと入ってくると、悟空のそばに立ち、座っている悟空を見下ろした。と、その目が何かに気付いたかのように少し細められる。ひょいと手を伸ばして悟空の服の襟を引っ張った。
「何?!」
 突然のことに悟空はパッと身を引いて逃れると、睨みつけるかのように悟浄を見上げた。
「あー、悪い」
 少しも悪いと思っていないような笑いを含んだ口調で悟浄が答える。
「気に入られた、どころか、かなりご執心のようだな、三蔵は。派手につけられてる」
 そう言って笑う悟浄を悟空は訝しげな表情でみつめる。
「アト、だよ。アト」
 言われた台詞の意味がようやくわかって、悟空は瞬時に耳まで赤くなった。
「悟浄、いきなり失礼ですよ」
 先ほどの青年がやんわりと、だが反論は許さないような口調で間に入ってきた。
「あなた、孫悟空君ですね」
 にっこりと笑う青年を赤い頬のまま悟空は不思議そうに見つめた。
「朱泱に聞きました。僕は猪八戒と言います」
「俺は沙悟浄。よろしく」
「って、あなた、自己紹介もしてなかったんですか?」
 呆れたかのような視線を向けられて、悟浄は軽く肩を竦めて見せた。
「この間は三蔵サマのところに送ってただけだからな。この子、相当思いつめていたみたいで、一言も口をきかなかったもんで」
 ちょっと咎めるような顔をしたが、八戒はふっとため息をつくと、悟浄から悟空にと視線を移して言葉を続けた。
「金蝉の――三蔵のお兄さんのところにいたんですってね。僕たちは会ったことがないんですよ。三蔵に会ったときには三蔵はもう『三蔵法師』で、お兄さんとは別れていましたからね。双子だと聞いたのですが、似てますか?」
 悟空は考えるかのように少し眉根を寄せた。
「似てない、と俺は思うけど、朱泱と言う人はそっくりだと言ってた」
「って何だ、それ?」
 悟浄が合いの手を入れるように口を挟んだ。
「顔の造りとかは似てるんだろうけど、性格は違う。金蝉は――金蝉は優しかった、よ」
 悟空の脳裏に金蝉の顔が浮かぶ。
 笑えるようになるまで、泣けるようになるまで、辛抱強く教えてくれた。
「それって、三蔵サマは優しくないってことか?」
「違う」
 即座に悟空は否定の言葉を返す。が、その後に説明をする言葉は出てこない。
「悟空?」
 少し訝しげに八戒が声をかける。
「比べなくちゃいけない?」
 まっすぐに八戒と視線を合わせて、悟空は問いかけた。
 その目は強く、澄みきっている。
「いえ、そんなことは……」
「お前、面白いな」
 クスリと笑って悟浄が言う。
「八戒が言い淀むの、初めて見た。しかも、前に三蔵を動揺させてるんだよな」
 悟浄はくしゃりと悟空の髪の毛を掻き回した。
「八戒さんはちょっと心配しているわけ。三蔵があんまりよく調べないでお前をそばに置いているから。肉親に近づいて、それを足がかりにして警戒を薄くさせといて三蔵に危害を加えようとしているんじゃないかってね」
 悟空の目が大きく見開かれた。
「悟浄」
 非難するかのような声を八戒があげる。
「こういうお子様にははっきり聞いてあげた方がいいと思うけど。到底危害なんか加えそうにないし」
「そんなこと、しない。三蔵は、俺が守るから。傷一つ、つけさせない」
 きっぱりと言い切った悟空の言葉に、暫し沈黙が降りた。
 眼差しの強さに、普段ならばからかいの言葉のひとつも口にするだろう悟浄も一瞬言葉を失う。そんな自分が可笑しくて、悟浄は口元を緩めた。
「じゃ、ひとつ質問。金蝉と会ったのは偶然か」
 たぶん、八戒が気にしているのはその点だ。
「そうだと思うけど、そうじゃないと言われても否定できない」
 悟空は揺るぎない瞳のまま、そう答えた。
 それは予想通りの答え。
 三蔵が悟空をそのそばに近づけたとき、朱泱の指示で悟空の経歴は全て調べあげた。特に怪しいところは見つからなかったが、ただ気にかかる点がひとつだけあった。
 そのひとつとは、悟空が記憶を失っているということ。
「気がついたら、金蝉が目の前にいた。ふらふらと道を歩いているところを金蝉に拾われた。どうして道を歩いていたのか、全然わからない。だけど、あとで金蝉が調べてくれた。その近くで事故があって、どうやら俺はそれに巻き込まれたらしいってこと。両親がそのときに亡くなったこと。でも、金蝉と会う以前のことはまるっきり覚えていない」
 淡々と感情を交えずに悟空は話す。
「金蝉は『拾った者の義務』とか言って、そばに置いてくれた」
「記憶がない、ということですよね?」
 八戒が念押しするかのように尋ねる。悟空はこっくりと頷いた。
「不安ではありませんか? 小さいときのこととか、両親のことを思い出したいと思ったことは?」
「どっちもあまり。今のままで満足してるし、両親の写真とかは見せられたけど、他人みたいだった」
「そうですか……」
 そしてまた沈黙が降りる。
「これで質問は終わり?」
 小首をかしげるようにして、悟空が口を開いた。
「俺のことを調べて、どんなことが見つかるのかわかんないけど、これだけは本当だよ。俺は三蔵を傷つけることは絶対にしない」
 真摯なその言葉からは嘘は全く感じられない。
 再び八戒が口を開こうとしたとき
「何をしている」
 戸口で低い声が響いた。
「三蔵」
 悟空が顔を輝かせた。



【蛇足】
 ようやく登場の八戒さん。おかげで、ちょっと悟空と金蝉の出会いが説明できてますね。あと悟空のこともちょっと。そうか、そうだったのか。と書きながら思ったことは内緒……ってここで言ったら意味ないですね(笑)
 ま、そんな感じで、細かいところは書いていくうちにできていくんじゃないかな、たぶん。1万超えても相変わらず……ですね。

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宝厨まりえ 拝