Dark Moon
XI.Abyss of Mystery



「ちょうど良かった。お話があります、三蔵」
 三蔵の気勢を制して、八戒が口を開いた。三蔵は嫌な顔を隠そうともせずに、八戒の方に視線を送る。
「内密の話です」
 だが、まったく動ぜずににっこりと笑った八戒に、三蔵の眉間の皺が深くなった。
「俺、車のトコに戻ってる」
 すっと悟空が立ち上がった。
「会えて嬉しかったですよ、悟空」
 扉に向かう悟空に八戒が声をかけた。
「俺も」
 扉のところで振り返り、悟空は微かに笑みを浮かべると、廊下にと出ていった。
 パタンと扉が閉まるのを確認して、八戒が再び口を開いた。
「あの子、手放す気はありませんか、三蔵」
 八戒を改めて見返したが、三蔵からは何の言葉も出てこない。
「……無理なんじゃないか」
 なんだか火花が散っているような二人の様子を見兼ねて、悟浄が口を挟んできた。
「三蔵サマ、かなりご執心だという証拠が残ってるし」
 そしてにやにやと笑いながら付け足す。
「あんな風にアトをつけるの、初めて見た」
「そうですよね。僕も初めて見ました」
 わざとらしくため息をつきつつ、八戒が言う。
「別にいいんじゃないか、あの子。三蔵のそばに群がってくる性悪な連中と違うし」
「性悪って、悟浄」
「だって、あいつら、俺やお前のことも目の敵にしてるだろう。あわよくば三蔵の側近になろうとして。鬱陶しいったらありゃしない」
「ま、確かに鬱陶しいですよね。でも、彼らの後ろには厄介な人たちがいますからね」
 三蔵法師のもとに『夜の相手』を送ってくるのは、この桃源郷の有力者達。
「そいつらの機嫌を損ねないように、か? 別に三蔵、そんなの気にしてないだろ。ただ単に便利だし、断ると面倒だからってだけだろ? そんなのしか知らなかったところに、あんな可愛い子が現れてみろ」
「確かに、性格も見た目もいいですよね、悟空」
「執着するのも無理ないって」
「……何の漫才をしている、お前ら」
 低い声が響いた。
「漫才って、三蔵サマ。折角、お気持ちを代弁してあげてるっていうのに」
「いらんお世話だ」
「まぁ。このままだと、あの子、八戒にポイされちゃうかもよ」
「俺は俺のやりたいようにやる」
「うん、まぁ、それはそうだろうけどな」
 今までのふざけた態度から不意に悟浄は真面目な声音になり、八戒の方にと向き直った。
「だけど、あの子には何かあるんだろ、八戒。俺にはただの無害なガキにしかみえないけど」
「そうですね」
 同じようにふっと表情を硬くして、八戒はかけていた眼鏡を人差し指で押し上げた。
「確かに、あの子のココでの記録に疑わしいことはひとつもありません。気にかかるといえば『記憶喪失』という点ですけど、事故が起こったことも、病院での診察結果もきちんと残っています。そう、ココでのあの子に関するあらゆる記録はきちんと残っています。それなのに、唯一つ、残っていないものがあるんです」
 八戒はそこで一度、言葉を切った。
 三蔵の表情を見逃すことのないように。三蔵に向けた視線はそんな意味があるのか、鋭かった。
「それは、天界からの受け入れ記録です」
 その言葉に三蔵の目が微かに見開かれた。
「あなたが『生命を司る』と言われる所以。一般の人はおろか、受け入れ作業に関わっている僕達しか、知らないこと。全ての生命は天界からもたらされる」
 沈黙が降りた。
「ちょっと、待て。それってどういう……」 
 暫くして、混乱したかのように悟浄が呟いた。
「僕にもわかりません」
「って、だって、それなら、何でココに存在している? 受け入れ記録のミス?」
「ありえません。それは、あなたも知っているでしょう、悟浄」
「じゃあ、なんで。まさか『運命の子供』?」
「それはもっとありえません。もしそうならば、それこそ記録が残っているはずです」
「でも、天界でのことだったら――」
「そうなら、天界は放しはしないでしょう」
「じゃあ、天界人とか。天界人が降りてくることはありえないことではないだろ」
「えぇ。でも、それならば、ココでの記録が完璧に残っていることがおかしなことになります」
「じゃあ、一体――」
「だから、わからないと言っているんです」
 八戒の言葉には微かな苛立ちが込もっている。
「ココでの記録に改竄されたような形跡はありませんでした。とはいえ、できないことではありません。ココでの記録を改竄したけれど、天界の記録には手が出せなかったのか、その存在を知らなかったのか。どちらにしても、全てが管理され記録されているこの桃源郷において、あの子の存在は大いなる矛盾です」
 そこで八戒は深いため息をついた。
「ですが、これだけ言っても、あの子を手放す気にはなれないのですね、三蔵」
 三蔵は沈黙を守ったままだ。
「まぁ、あの子自体に害意は感じられないワケだし」
 悟浄が取り成すかのように言う。
「確かに。でも、あの子は嘘をつきますよ」
 八戒がサラリと言ったことに、三蔵と悟浄は目を剥いた。
「って、何、それ」
「わかりませんでしたか?」
 悟浄が反芻するかのように眉根を寄せて首をかしげた。
「さっぱりわかんねー。ってゆーか、『三蔵を守る』って言うのも嘘? 『傷一つ、つけさせない』って言ってたが」
 クスリと笑って悟浄は三蔵の方を見た。
「あれは本当でしょうね」
 ふっと八戒が笑顔を見せた。
「だから、もし三蔵があの子をそばに置いておきたいと言うなら、反対はしませんよ。ですが、覚えておいてください。あの子は必要とあれば、顔色ひとつ変えずに嘘をつきますよ。あなたを傷つけるような真似はしないでしょうがね」

 結局、何も言わぬまま三蔵が去っていた部屋で、八戒と悟浄は顔を見合わせた。
「まぁったく、可愛くなっちゃって、三蔵サマ」
 クスクスと笑いながら、悟浄が言った。
「やっぱり、春がくると変わるね、ヒトは」
「それ、三蔵の前で言ったら、即、消されますよ」
「言うわけねぇだろ」
 途端に悟浄は笑みを治めた。
「が、良かったんじゃねぇの? 自分で進んで引き受けたとはいえ、巨大な責任を背負ってるんだから、少しぐらい息がつける場所がねぇとな」
「そうですね。天界からの受け入れ人数は減るばかりですし」
 ふっと八戒がため息をついた。
「生命を司る『三蔵法師』が『鍵』を見つけない限り、終わりは確実に訪れる――ま、今すぐってわけではないし、僕にはあまり関係のないことですけどね」
「お前、時々、さらっとスゴイことをいうよな」
「そうですか?」
「ま、確かに、これから先がどうなろうが、関係ないっちゃ、関係ないけどな」
 そう言って、悟浄は微かな苦笑にも似た笑みを浮かべた。

「三蔵」
 三蔵が地下の駐車場に降りるとすぐに、悟空が声をかけてきた。顔を輝かせて、そばに駆け寄ってくる。
「良かった。このまま置いてけぼりかと思った」
「そんなに待たせたか?」
 三蔵は訝しげな表情を見せた。
「ううん、そうじゃない。ごめん、ヘンなこと言って」
 悟空は俯いた。
 訝しげな表情のまま悟空を見ていた三蔵は、突然、何か思いついたかのような表情を見せると、悟空の頤に指をかけて上を向かせた。
「さん……?」
 三蔵は、驚いたような表情を浮かべる悟空に口づけた。
 悟空は更に驚き、大きく目を見開いたが、与えられるキスを受け入れるかのように、やがてゆっくりとその目は閉じられていった。
 啄ばむように何度も繰り返されたキスがようやく終わると、悟空は三蔵の腕の中にと倒れこんでいった。
「三蔵……」
 腕につかまりながら、悟空が囁いた。
「俺のこと、信じなくてもいいから、これだけは信じて。三蔵を傷つけるようなことは絶対にしない」
 見上げる、濡れたように光る金色の瞳には、真剣な色が宿っている。
「もともと誰も、何も信じちゃいねぇよ」
 微かに笑みを浮かべて三蔵が言う。
 そばに置くのは信じているとか信じていないとかいうこととは別の次元のこと。
 その理由は、誰も――三蔵本人でさえわからないこと。
「それでも、それだけは本当だから」
 そう呟いて、悟空はまるでキスを強請るかのように目を閉じた。
 頬に三蔵の手が触れるのを感じ、やがて唇にキスが降ってくる。
 大好き。
 言葉にはできない想いが胸に広がった。
 どうしてこんなに「好きだ」と思うのだろうか。
 論理的ではない思考。
 思考というより、これはたぶん感情。感情は論理では測れない。
 でも。
 ――キミにはわからない。
 頭の中に蘇ってくる声。
 まるですがるかのように、悟空は三蔵の腕を強く握り締めた。



【蛇足】
 いろいろと説明してくれる、どころか却って謎を投げかけただけのような気がします、八戒さん。でも、ま、いろいろと伏線が出せたんで、まりえさんとしてはほっとしてますけどね。

12000打のお礼に
宝厨まりえ 拝