誕生日という日常 (1)


「うわ」

疾走するジープの後部座席で、突然、悟浄が声をあげた。
空は高く青く、辺りはどこまでも草原がなだらかに続いていて、吹きつけてくる風は乾いて心地良い。
気持ちの良い午後で、気持ち良すぎてほとんど寝かけていた悟空は、悟浄の声に顔をあげた。

「なに?」
「あー……、なんでもねぇ」

なんだか驚いたかのような表情は、悟空の問いかけで少し困ったかのような表情になる。
それを見て、悟空は小首を傾げた。


「なんでもねぇって……また腹でも痛ぇのか?」
「痛くねぇよ。ってか、またってなんだよ」
「またはまた、だろ。我慢しねぇで、漏らす前に言えよな」
「俺がいつ漏らした!」
「この間、風邪ひいたとき!」
「あれは未遂だろっ。つうか、そん時ゃ、お前も……!」


だんだんとふたりの声は大きくなり、それにともない手が出てくる。
舌戦が取っ組み合いに変わろうかというころ。
ガチッという鈍い音がした。

「煩ぇんだよ」

機嫌の悪さをそのまま表しているかのような地を這う低い声。
鋭い眼光と、鈍く光る銃口を向けられたふたりは思わず手に手を取り合う。
こういう目をしているときの最高僧さまは本気だ。
本気で銃をぶっ放してくるから始末に悪い。

「ちょっと待てって、三蔵!」
「そうだ、落ち着け」

慌ててふたりはそれぞれに声をかけるが、最高僧さまの眼光は鋭いままだ。
それが眇められ、指に力が入ったとき。
ガクン、とジープが揺れ、銃声が鳴り響いた。

「うわっ」

思わずふたりは後部座席に伏せる。頭のすぐ上を銃弾が走っていったのが感じられた。

「あぶねぇじゃねぇか、この生臭坊主!」
「チッ」

悟浄の抗議に舌打ちで返し、三蔵は前に向き直った。

「おい、ホントに当たったらどうすんだ!」
「そん時は経のひとつでもあげてやる」
「んだと……」

悟浄が前に乗り出そうとしたとき、ガクンとまたジープが揺れた。

「ジープのうえで暴れないでくださいね」

バックミラー越しににっこりと八戒が笑う。

「振り落とされちゃっても知りませんよ」

続く台詞の後ろにはハートマークがついているのではないかというくらいに優しい声だが――目は笑っていない。

「き、気をつけマス」

悟浄は後部座席にと座り直した。

「怒られてやんの」

からかうように悟空が声をかける。
それにむっとした悟浄が言い返そうとするが。

「ふたりとも」

もう一回、バックミラー越しに八戒に微笑みかけられ、ふたりして思わず縮こまった。
だが、しばらくして。

「なぁ、さっきの。ホントのとこ、なに?」

縮こまった姿勢のまま、こそこそと悟空が悟浄に囁きかける。

「んー、ちょっと、な……」

悟浄はやはりこそこそと返し。

「な、八戒。今日中には町には着けねぇんだっけ?」

それから八戒に問いかける。

「そうですね。たぶん明日のお昼くらいになっちゃうかと思うんですけど。どうかしました?」
「いや、なんでもねぇ」

ふぅ、と悟浄が溜息をつく。
難しい顔をした悟浄と、なんだろうというような顔をした悟空を後部座席に乗せて、ジープは疾走を続けた。




■ □ ■ ■ ■



やがて森が見えてきたところで、休憩となった。
いつもであれば、煙草を吸う者、なにか書きつけている者、その辺を駆け回る者、とそれぞれいろいろに過ごすのだが。

「なんだよ」

悟浄に大きな木の影に引きずって来られた悟空が顔を顰めた。

「しぃっ。大きな声を出すなって」

悟浄は辺りを窺うようにして、それから改めて悟空に向き直った。

「お前さ、今日が何の日か、覚えてるか?」
「何の日って?」

悟空は少し考え込む。
西への旅に出てからだいぶたっていた。もう日にちの感覚などない。

「だよな。わかんねぇよな」

ふぅ、と悟浄が溜息をつく。

「今日は、八戒の誕生日だ」
「え?……えぇ――っ」

一瞬、ぽかんとした顔をし、次の瞬間、叫び出そうとした悟空の口を悟浄は慌てて押さえた。

「む〜っ!」

それから、息が苦しかったのか、バタバタと手を動かす悟空から手を離す。

「だから静かにしろって」

ぜはぜは言ってる悟空に声をかける。

「んなこと言ったって、さ。ってか、誕生日?」
「そ」
「うわ。まじぃ。プレゼント、用意してねぇよ」
「だよな」

別にこの歳になって、誕生日のお祝いとかプレゼントとかもないのかもしれないが、旅に出る前は――正確に言えば、悟空と知り合ってからは、毎年誕生祝いをしていた。

「町に着くの、明日だって言ってたよな。どーしよ」

真剣に、本当に困ったような顔で悟空が言う。

「で、だ」

悟浄は悟空の肩を抱くようにして引き寄せた。こそこそと耳打ちをする。

「とりあえず、できることをしようぜ。俺らでメシの支度をするってのはどうよ? あっちに魚がいそうな川が流れてるし、お前の鼻なら森んなかでなにか食べれるモンを探すこともできるんじゃね? ここんとこ野宿続きで缶詰かレトルトだったから、そういうの、嬉しいんじゃねぇか?」
「おぉ。それはいっかも」
「だからな、準備に時間がかかるから、今日はこのままここで野宿っていうことにするよう、お前、三蔵に頼め」
「へ? 三蔵?」
「お前の頼みなら聞いてくれるんじゃないか」

にやにやと悟浄は笑う。

「どうだろ」
「どうだろ、じゃなくて聞いてもらえ。じゃねぇと、すぐにでもまた出発しちまうだろうが」

まだ夕方までには時間がある。普通だったら、もうひと走りするところだ。

「だったら、三蔵に頼むよりさ」

よいしょ、と悟空は背中に張りついていたジープを持ち上げる。

「きゅ?」

小首を傾げるようにしてジープが悟空を見上げる。

「ジープが疲れてるってことにしたら? 実際さ、ずーっと走りづめなわけだし、そっちのが八戒は納得すると思うし、八戒が納得したら三蔵だって文句は言わない」

ぽん、と悟浄は手を打つ。
たまにこういうことがある。悟空は無邪気なだけの子供ではない――と思わせるようなことが。

「いいか。疲れたって顔するんだぞ」
「きゅう」

打ち合わせをしているかのような悟空とジープに、悟浄は少し複雑な視線を送った。




■ □ ■ ■ ■



そうして、今夜はここで野宿、ということが決まった。
夕飯の支度まで各自自由に過ごす――ことになり、こっそりと悟浄は川へ、悟空は森にと向かった。

悟空はもちろんこの森のことは知らないから、目指すものがあるわけでもないし、その辺を適当に行きあたりばったりに歩いていた。
が、それほどの時間もたたないうちに、きのこや木の実や果物などで、持ってきた袋がいっぱいになった。

「なんか食いモンがいっぱいだな、この森」

つまみ食いをしながら、幸せそうに言ったところで。

「おぉ」

今度は栗の毬がたくさん落ちているところに出くわした。歓声をあげて駆け寄る。
袋は既にいっぱいだが、これを採ったら戻ろう――そう思って毬に手をかける。

「……って!」

と、やり方がまずかったのか、毬が手に刺さる。

「むぅ」

唇を尖らせて、再度挑戦する。

「いてっ! う〜、このっ! って!」

ぶつぶつと呟きながらも格闘していると。

「――なにをやってんだ、お前は」

上から声が降ってきた。

「三蔵」

振り仰ぐと、呆れたような顔をした三蔵がそこにいた。

「なんでここにいんの?」
「お前の『聲』がうっせぇからだろうが」

そういえばさっきまで『痛い、痛い』と言っていた。
それが『聲』として聞こえてしまったのだろうか。
それまでもいろいろ頭のなかで思っていたのだが――それも聞こえているのではと思うのだが――『痛い』という言葉に反応してくれたらしい。
悟空は笑みを浮かべた。

「だって、痛ぇんだもん」

そういって血が滲む指を舐める。
そんな悟空に、三蔵はさらに呆れたような溜息をついた。
馬鹿にしているようだが――でも、違う。ちゃんと心配してくれてる。
そんなことを思い、悟空の笑みが深くなったところ。

「……?」

手首をとられた。舐めていた口から手が離される。引っ張り上げられ、立ち上がらされる。
そして。

「な――っ」

舐めていたところを、口に含まれた――のは、まだいいのだが。
その舌の動き、が――。
舐めて、消毒している――とは到底思えない――……。

「さ……ん、ぞ」

悟空の息があがってくる。目が潤みだす。
強く指を吸われて、ピクンと肩を跳ね上げる。
そんな悟空の様子に――三蔵は微かに唇の端をあげた。




■ □ ■ ■ ■



川辺で火の用意をしていた悟浄は、木々の間から姿を現した悟空に気がついて声をかけた。

「ったく、いつまでかかってんだよ。そろそろ用意しねぇと間に合わねぇぞ」
「……ごめん」

小さな声が返ってくる。
いつもの元気がない。いつもならもっとくってかかってくるはずだ。
そして動きにキレがない――というか、鈍いというか。
なんだ? と悟浄は思うが。
木々の間から、今度は三蔵が姿を現した。それを見た悟浄の眉根が少し寄る。
が、口に出してはなにも言わない――ことにする。

「で、収穫は?」

悟浄は悟空から袋を受け取った。

「うぉっ。すげぇ、大量だな。これだけあればいろいろできる」

袋をチェックし、それから三蔵に視線を向ける。

「三蔵サマは八戒を見張っててくんない?」
「あ?」

最高僧さまの顔には思いっきり面倒臭そうな表情が浮かぶ。

「どうせこっちの手伝いをする気はねぇんだろ? だったらそれくらいしてもいいんじゃね?」
「……八戒なら寝てた」
「あ?」
「俺が最後に見たときには、な」

そう言うと、三蔵はその場を離れて行く。

「……八戒、疲れてるのかな」

ぽつりと悟空が呟く。
このところずっとジープで走りづめだった。ただ座っているだけの自分達でも疲れるのに――。

「じゃ、精がつくものでも作りますか」

くしゃりと悟空の髪をかきまわして悟浄が言った。




■ □ ■ ■ ■



それから小1時間ほどして。
八戒の手を引くようにして、悟空が川辺にと引っ張ってきた。
魚を焼いたものや、きのこと一緒に蒸したもの、さまざまな木の実に果物――。
素朴だがたくさんの食べ物が、俄かに作られた流木のテーブルに乗っていた。

「これは……」

八戒の目が大きく見開かれる。

「八戒に。みんなで用意した」

にこにこと笑って悟空が言う。

「みんな……つうても、な」

小声で悟浄が付け加える。

「三蔵も栗拾うの、手伝ってくれたんだぞ」

ぷくっと悟空が頬を膨らませ、だが、また笑顔になる。

「八戒、今日、誕生日だろ? たいしたもんじゃないけど……」

パチパチと八戒は瞬きをし、それから三人を見回す。
驚いたような表情は、やがてふわりと優しい笑顔にと変わった。

「ありがとうございます」

穏やかな口調でそう言ったとき。

「三蔵一行、覚悟!」

場違いな声が響いた。
ザッと森のなかから妖怪の一団が飛び出してくる。
一瞬、辺りに沈黙が降りた。

「……ったく、感動的な場面だってぇのによ。空気読めや」

赤い髪をかきあげて悟浄が言う。

「せっかく作ったのに、冷めちまうっ」

掲げた手で召喚した如意棒を掴み、悟空が唇を尖らせる。

「んなことにならんようにすればいいだろ」

ガチッと撃鉄をさげ、三蔵が銃を構える。
そして。

「でも、なんか――僕ららしいですね。こういうところで、こういう邪魔が入るのも」

手で球を作り、そこに気を溜めながら八戒がにっこりと笑った。

「とりあえず」

錫杖の鎖が唸りをあげる。

「瞬殺っ!」

くるりと頭の上で如意棒が回り、あとは―――――。





誕生日。
特別な日。
だが。
繰り返されるいつもの日常のひとつ。



2012年八戒誕生日記念SS。