誕生日という日常 (2)
抜けるような青空のもと、時折、道に転がる岩に車輪を取られてガクンと揺れながら、ジープが疾走していく。
この季節にしては暖かで――というか、だいぶ走ってきたから気候も変わっているのかもしれなが――のどかな午前中。
のどか過ぎて、まだ一日は始まったばかりだというのに、なんだか緩みきった空気が一行の間に漂っていた。
このところ妖怪の襲撃もない。
見渡す限り茶色の岩という単調な景色。
暇つぶしにやっていたしりとりやらなにやらもネタがつきた。
となれば、無理もない話だ。
後部座席でだらんとシートに寄りかかり、空を仰ぎ見ていた悟浄が上着のポケットから煙草を取り出した。咥えて、ライターに手をかける。
が。
「……ん?」
カチカチという音はするが、一向に火はつかない。なんだ?というように起き上がってライターを確かめる。
「なに? つかねぇの?」
隣で同じようにだらだらしていた悟空の手が伸びてくる。
「こら、子供はダメだぞ」
悟浄は体の向きを変えて、肩で悟空の手をブロックする。
「子供じゃねぇっ」
「いやいや、立派なお子ちゃまです」
「なんだよ、それっ」
いつもよりも少しテンションが高いのは、お互い退屈だからだろう。
ライターを巡り、手を出し合っての攻防を繰り広げていると。
「……おい」
前の座席から不機嫌な声がかかった。
ふたりの動きが、ピタッと止まる。こういう声のときはハリセンか、悪くすると鉛の玉が飛んでくるので、ふたりの行動は条件反射のようなものだろう。
だがこのとき、飛んできたのはそのどちらでもなかった。
「……?」
悟浄は訝しげな顔で、飛んできたきらりと光るものを思わず掴んだ自分の手を見る。
そこにあるのはライターだった。
どうやら最高僧さまが自分のライターを放って寄こしたらしい。自分が望むこと以外は言われても動かないところがあるのに、珍しいことだ。
「サンキュ」
素直に礼を言い、火をつけて返そうとすると。
「持っとけ」
前を向いたままでそんなことを言われた。
ますます意外で、一瞬、悟浄は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる。
「んでも、これ、プレミアムつきよ?」
そんなものをなんで持っているのかも不思議だが、最高僧さまともなればいろいろあるのだろう。
「似たようなのがまだいくつかる。その辺にあったのを持ってきたもんだ。火がつきゃなんでもいいしな」
と、三蔵が答えたとき。
「あっ」
なぜか、悟空と八戒の声が重なった。
「なんだ?」
突然のことに少し驚き、悟浄が問いかける。
「……あ、えっと」
悟空はきょろきょろと視線を走らせ。
「あっ、ほら! 街が見えたからっ」
取っ手をつけたように言う。
「どこだよ」
悟空の見ている方に視線をやるが――相変わらずの茶色の風景だ。
「そのうち見えてくると思いますよ。悟空は目がいいですからね」
柔らかくとりなすように八戒が言葉を挟む。
「そういえば僕、買いたいものがあるんですよ。ちょっと手間がかかるもので……。今日はもう少し先まで行く予定でしたけど、今度の街に滞在でもいいですかね?」
質問の形をとっているが、なんだか圧力がある――のはいつものことだ。
フン、と鼻を鳴らすようにして三蔵が了承し、一行はようやく微かに見えてきた街に滞在することになった。
■ □ ■ ■ ■
街に着いたのは昼前のことだったが、煩く騒ぐ小猿がいるので、少し早めの昼食となった。
ちょうど目について決めた宿屋の1階が食堂で、探しまわるのも面倒だからとそこに入る。小猿ちゃんは相変わらずの食欲で――なぜか張り合う悟浄もいて、『ご馳走さま』と言ったときには卓に沢山の皿が並んでいた。
すっかり満足した悟空が、意気揚々と足取りも軽く店を出たところで。
「あ。肉まんっ」
タタタ、と見つけた露店に走り寄る。
「まだ食うのかよ」
「肉まんは別腹っ」
眉を顰める悟浄に悟空はきっぱりと言い返す。
――いや、それは言わないだろ。
だれもがそう思うが敢えて口には出さない。
「なぁ、三蔵っ」
くいくいと悟空は三蔵の法衣の袖を引く。
「食ったばかりだろうが」
「だから肉まんは別腹だって!」
そして同じようなやりとりになる。
「三蔵」
ほんの少し小首を傾げるようにして、悟空が三蔵を見上げる。
と、微かに三蔵が溜息をついた。
「やりっ」
それだけで了承の雰囲気を感じとり、悟空は嬉しそうに笑うと露店のおじさんに向き直る。
「おっちゃん、3つね!」
「毎度」
手早く袋に入れてくれるのを受け取って、また足取りも軽く歩き出す。
ガサゴソと袋に手をつっこんでひとつ掴み出し、あーんと大きく開けた口に入れようとしたとき。
「いただきっ」
悟空の手から悟浄が肉まんを掠め取った。
「なにすんだよっ」
ぷんぷんと怒って悟空が言う。
「油断してるからだろ」
ヘヘン、という感じで悟浄が言う。
「悟浄はもう食えないだろっ」
「ご心配なく。ちゃんと食えるぜ」
にやにや笑う悟浄に、ぷくっと悟空は頬を膨らませた。小動物めいて――なんだかとても可愛らしい。
「ま、いっか。やるっ!」
だが、突然、拗ねたような表情が輝くような笑みにと変わった。
「……あ、あぁ」
なんだか毒気を抜かれて悟浄は悟空を見ると、にこにこと嬉しそうな顔が返ってきた。
なんとなく腑に落ちないような気分でいると八戒の声が聞こえてきた。
「さて、じゃあこの辺で、各自自由行動にしますか」
歩いているうちにいつの間にか広場に出ていた。そこが街の中心部らしかった。
「出発は明日の朝で――それまで自由に、でいいですか?」
「あぁ」
三蔵が短く答え、その運びになる。
「なんか久し振りだな、こういうの」
肉まんを片手に持ったまま、悟浄は伸びをする。
まだ陽は中天にかかったばかり。こんな風にのんびりと、街で過ごすのは確かに久し振りのことだった。
「んじゃ、俺はあちらの方に」
悟浄が賑やかな通りに足を向けようとすると。
「あ、悟浄、これ」
ポケットから八戒が何かを取り出した。
「この間寄った街で貰ったものなんですが、すっかり忘れてまして。僕らには必要ないですが、あなたなら渡す人もいるんじゃないですか?」
悟浄の掌に可愛らしい花のモチーフのブローチが転がる。
「八戒さん、なんでこんなもの……」
「それがですね、薬を買ったらくれたんです」
「へ?」
「あ、アヤシイものじゃないですよ。土台に香木が使われていて良い香りがするとか。試しで作ってみたけど、薬屋さんですからね、あんまり売れなかったみたいで、たくさん買ったオマケにどうぞってくれたものです」
にこにこと八戒が笑う。なんだかどこまでが本当で嘘かわからないと思うのはその笑顔のせいだろうか。
それはさておき、試しに鼻に近づけてみると、確かに良い香りがした。可愛らしい花のモチーフといい、若い女性には受けそうだ。
「とりあえず貰っとくわ。サンキュ」
「明日、遅れないでくださいね」
「あぁ」
なんだか見送られるようにして、悟浄は賑やかな通りにと足を向けた。
すでに腹はいっぱいだが、肉まんを齧りつつ歩く。
そして、ふと――。
「あっ」
小さく言って、足を止めた。
手にしている肉まんと、それからポケットにしまったブローチ、ライターを出して見比べる。
それからクスリ、と笑みを浮かべた。
「なんだか安上がりだなぁ」
呟きつつ、また歩き始める。
呆れたような言葉とは裏腹に、悟浄の口元には笑みが浮かんでいた。
■ □ ■ ■ ■
(おまけ)
八戒と別れ、適当にその辺の店を冷やかしつつ歩いていた悟空は隣にいる三蔵に声をかけた。
「そういえばさ、三蔵、よく気付いたね」
「あ?」
三蔵は悟空の言葉に眉間に皺を寄せた。悟空の話は、目的語だったり主語だったりがしょっちゅう抜けるので、意味が通じないことが多い。それで苛立つような表情になるのだが、まぁ、それでも他の人間なら無視してしまうところ、とりあえず聞き返すだけ破格の扱いだ。
……なのだが。
「お、三蔵、これうまそう」
突然、さっきまでの話から逸れ、悟空は店先の食べ物に目を奪われる。
スパーンとハリセンが振り下ろされた。
「なにすんだよ、三蔵っ」
叩かれたところを押さえて悟空が仔犬のように吠える。
「人に話を振っておいて、いい度胸だ」
「話……? って、あ、さっきのか」
一瞬、きょとんとした表情をし、それからぽんと手を打つ悟空に、三蔵はいまにも溜息をつきそうな表情を浮かべる。
まったく目先のことにすぐに目を奪われてしまうのだ、この小猿は。
「だからさ、よく気付いたなって思って」
「……だからなんの話だ?」
「悟浄の誕生日」
悟空の言葉に三蔵の足が止まる。
「え? あれ? 気付いてたわけじゃねぇのか? だってライター、やってたじゃん」
三蔵の眉間の皺が深くなる。
「えぇ?」
わけがわからない――とでもいうように悟空の眉間にも皺が寄る。
のを、三蔵が手首を掴んで引っ張り、ずんずんともと来た道を引き返していく。
「え? ちょっと、三蔵」
「もう見て回るのは気がすんだだろ」
「は?」
「思い出させたお前が悪い」
「へ?」
「朝まではまだ時間はたっぷりあるからな」
「え? え? なに? って、ちょ―――っ」
よくわからないまま、悟空は宿に引きずられていき、そして―――――。
どうなったのかは、まぁ、予想通りかと思われる。