光――言葉の意味


この時期、夜が明ける直前の空気は、澄んで冷たい。
あんな酒場の連なる通りでも、人っ子ひとりいない朝の時間は空気が綺麗だと感じるのだからおかしなことだ。
そんなことを思いながら、散らかった部屋に帰ってきて隅にあるベッドに潜り込む。

さきほどまでの喧騒が耳に残っている。
楽しそうな嬌声に笑い声。

――なのに。

どこか、みんな醒めている。
こうして目を閉じると、取り繕っているものがすべて剥がれていくようだ。
なにも残りはしない。
からっぽ。

いや、残るのは――。

目蓋の裏を染める――赤。

だが。
あぁ、そういえばこの髪が熱いのかと思った、と言ったガキがいたな。
突然、前触れもなく思い出した。

それは―――――光……。

目を閉じたまま、笑いが浮かんできた。
ヘンな話だが――眠れそうな気がした。


そして。
それから、どのくらいの時間がたったのだろう。
突然。

「おーきーろーっ」

大音量が響いた。

「起きろ、起きろ、起きろってばっ」

声だけでなく、バタバタと布団を叩かれる。

布団で威力が半減されるとはいえ、声といい、寝ていられる状況ではない。
というか、覚醒しきれない頭ではなにがなんだかついていけない。

これはあのガキの――小猿の声だが、なんだってココにいるんだ?

「もう、お日さまはとっくに昇ってるぞっ」

カンベンしてくれ。いまが何時だか知らねぇが、明け方に布団に潜り込んだんだからまだ三、四時間ってとこだろ。

「……る、せぇ」

どうにか片手を布団から出して、バタバタと布団を叩いている小猿の方に、見当をつけて伸ばす。
と。
案外、簡単に捕獲できるものだ。
一発で腕を捕まえられた。
そのまま腕を引く。

「へ?」

まぬけた声の後に、隣にドンという衝撃音。

「おいっ、ごじょ……っ」
「……良いコはおやすみの時間」

有無も言わせぬよう布団のなかに引っ張り込んで抱き込む。

ほわほわと子供体温があったかい。
柔らくもないし、甘い匂いもしないが。
これはこれで良いかもしれない。

そんなことを思って、また意識がブラックアウトした。







ガチッ。

微かな音とともに、背中に冷水を――しかも特大氷入りのを、浴びせられたかのように一気に意識が覚醒する。
バッと起き上がると、身構える間もなく――。

「……あ〜、三蔵、ここではやめていただけます? 片付けるの、たいへんですから」

こめかみに冷たさを感じたそのとき、のほほんとした声が響いた。
一瞬、マジに感じた殺気が霧散する。
戸口に目をやるとにこにこと笑みを浮かべる八戒がいた。

っつうか。
この状況で、その笑顔とあの台詞か。
ホントに撃ち殺されたとしても、そんな風に笑っているかもしれない。
そう考えて、またうすら寒くなった。
だがまぁ、助けてくれたってのも事実だけど、な。

「坊さんの間では、そういうのが流行りの挨拶?」

こめかみにあたったままの銃口を軽く払い、そばに立つ金髪美人を見上げる。
殺気はもう消えていて、無表情――なのだが、背後で収まらぬ怒りのオーラが立ち上っているのが目に見えるようだ。
案外わかりやすくて、こんな状況だというのに笑いたくなった。
と。

「ぅ…みゅ……」

なにやら動物の鳴き声みたいのが響き、横でもぞもぞと動く気配がした。
視線を転じると、こしこしと目を擦りながら小猿が起き上がってくるところだった。
その仕草は小動物めいて、たいそう可愛らしい。

と思ったところ、周囲の温度が二、三度ほどさがり、銃口がふたたびあがるのが視界の端に映った。
なんだってこうもわかりやすいのだろう。

「あのな、このくらい他のヤツに見せたって――」

いくらなんでも独占欲強すぎじゃねぇの?

「さんぞっ」

言おうとした台詞は小猿ちゃんの言葉に遮られる。
寝起きのほわほわした顔のまま、小猿ちゃんは最高僧さまにぎゅっと抱きついた。

「仕事、終わったのか?」

キラキラとした笑顔が、向けられる。
それは小猿ちゃんが見せる笑顔のなかで、間違いなく極上のもの。

「……あぁ」

内心嬉しいはずなのに、最高僧さまは無表情のまま。
これがいわゆるツンデレというやつかもしれない……。

アホじゃないか、と思うがこれで通じてるのだから、悟空の方がオトナということか。
と、戸口にいる八戒に気付いたのか悟空はそちらに視線を向けた。

「ごめん、八戒。悟浄起こして手伝うつもりだったんだけど」

そこでこちらを振り返る。

「悟浄、すごく気持ち良くて、一緒に寝ちゃった」

……と、おい。

「待て、待て、待てって!」

慌てて、銃を持つ手を押さえつける。

「寝てるとこ、煩かったから黙らせただけだ。だいたいな、なんだって小猿ちゃんがココにいるんだ?」

早々に話題をかえよう、そう思って言ってみると。

「だって、悟浄の誕生日じゃん」

という答えが返ってきた。

「へ?」
「だから今日、悟浄の誕生日。八戒とご馳走作ってて、もういい時間だからって起こしにきたのに。そういえば八戒、ご馳走は?」
「もうだいたいできてますよ。三蔵がケーキを持ってきてくれましたから、あとは盛りつけて。あ、飾りつけ、お願いできます?」
「はーい」

パタパタと小猿ちゃんは八戒の元に駆けていく。
その後をゆっくりと、金髪の最高僧が追う。

「さっさと着替えてきてくださいね」

八戒の言葉を最後に三人は部屋から出ていく。

「誕生日……?」

なこと、いきなり言われても実感が湧かず声に出して呟いてみる。どこか呆然とした響きで自分の耳に返ってきた。

と、パタパタと足音がして、小猿ちゃんが戻ってきた。
まだどことなく呆然としているのをよそに、ドンと音を立てるようにしてベッドに乗ってきた。
手が伸びてきて、髪が引っ張られる。

「なに、すんだよ、このチビ猿!」

意外と痛くて反射的に頭を叩く。

「ってぇ。なんだよ。やっぱり冷たいかどうか確かめただけじゃんっ」
「あ?」
「だって、悟浄、あったかかったから。それ、やっぱりあったかいのかと思ったんだけど」
「あのな、人が冷たかったら、そいつは死んでる」
「あ、そうか」

物騒な物言いにも動じず、小猿はポンっと手を打って納得したような顔をした。
それからベッドから飛び降りる。
またパタパタと戸口に向かい。

「良かったな、生きてて」

こちらを振り向いて笑顔で言うと扉の向こうに消えていった。

生きてて――。

なぜだか無性に笑いたくなった。

「さて、と」

その辺に転がっている煙草と上着をひっつかむと、賑やかな声のする方にと向かった。

生きてて良かった、か――。

その言葉の意味を考えながら。



2009年悟浄誕生日記念SS。