光――導くもの


凍てつく夜の中を歩く。
街から離れると明かりなどなくなる。今夜は月も出ていないから、本当に一寸先が闇だ。動くものの気配もない、静かななかを歩いていく。

思えば、ずっとこんな闇を歩いてきた。
あの方を失ったときから。

光明三蔵。

俺の師。俺の養父――。
己の命と引き換えにするにはあまりに大きな存在。

救われた命を無駄にすることはできず、苦しくともただ生きること、それだけがすべてだった日々。
ずっとこんな暗闇のなかにいた。

――だが。

ふわり、と温かな気配に包まれた気がした。
やがて見えてくるのは――光。

パタパタと軽い足音とともに。

「さんぞっ」

ドン、と抱きつかれた。
すかさずハリセンを振り下ろす。

「みっ」

小動物の鳴き声のようなものが響いて、目の前で小猿が頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「いきなり抱きついてくんじゃねぇよ。こっちはお前とは違ってこんな暗闇のなかじゃ、だれだかわかんねぇんだから」

そう言ってやると、ぷくっと不満そうに頬を膨らませて小猿が顔をあげた。
寺院からはまだ距離があるはずだが、目の良い小猿ことだ。向こうからは姿が見えたのだろう。
姿が見えて、駆けてきた。
こちらに向けられた意識が温かなものとして感じられた。

見下ろすと、悟空はまだ拗ねたような表情をしていて、苦笑を誘われた。
腕を掴んで立ち上がらせてやると構われたことが嬉しかったのか、その表情はぱっと光が差すように笑顔となり、改めて抱きついてきた。すりすりと頬を寄せてくるところは仔猫のようだ。

「……さんぞ、なんか、あったかいよ?」
「あ?」

しばらくして、小首を傾げるようにして悟空が問いかけてきた。
少し考え込むような顔をし、それからその視線は地面にとさがる。

「ごめん。無理して急いで帰ってきた?」

問いかけにはなっているが、それが答えだと思っているのだろう。なかなか顔があがらない。

二、三日前に突然、三仏神からの依頼が入った。
出かけなければならなくなり、すぐには帰れないことを知ると、小猿はひどくがっかりとした。そんな風情を表に出さないように、本人はしていたのだが。

「アホ。お前がこんな寒いなか、ずっと外にいたからだろう」
「ずっとじゃねぇよ。出てきたの、さっきだもん」
「お前の『さっき』は1時間以上も前の話か?」

聞くと、うっと言葉につまった。
ようやく顔があがるが、またもや不満そうな表情をなっている。

なんでわかるんだよ。

声なき聲がする。
それには答えずに、小さな体を懐のなかに招き入れた。
ちょうどよく腕のなかに収まる。

「……あったかい」

呟き声がして、それから含み笑いが聞こえてきた。

「なんだ?」
「なんでもない」

そう言いつつもクスクスという笑い声は響く。

「ただね、すごい幸せだな、って思って。あの岩牢にいたとき、外の光に触れたいってずっと願ってた。それが今、叶ってるから」

言葉とともに、ふわりと身を委ねられた。ひどく幸せそうな顔で笑っている。

そんな様子に溜息が出そうになった。
――まったく、と思う。

「……俺は、光じゃねぇよ」

むしろ逆のものの方が似合う。そう思うのに、きっぱりとした答えが返ってくる。

「光、だよ。どんなに綺麗か、自分じゃ見えないんだろうけど」

見えていないのは、きっとこの子供の方だ。
温かいのも、光なのも――。
抱きしめる手に力を込めた。

「……行くぞ」

どのくらいそうやって抱きしめていただろう。
名残惜しいような気がしつつ、声をかけ促して歩き出した。

「行くって……そっちは、違うよ」

袖が引かれる。悟空が自分が駆けてきた方を――寺院の方を指し示す。

「別に戻るのは今日でなくてもいい」

予定では、寺院に戻るのはまだ何日か先のことになっていた。
もともと寺院に戻るために急いでいたわけではないのだ。
ここで会えたのならば――。

「少しくらいゆっくりしてもバチはあたらないだろう」

悟空は驚いたような表情を浮かべ、それから少し頬を染めて問いかけてきた。

「ふたり、だけ……?」
「そうだな」

答えると、笑みが浮かんだ。
ほかのだれにも見せたことのない、綺麗な笑みが。

腕を絡めて、そっと頬が押し当てられた。
そうしていると、包み込む空気も――夜の闇さえも、温かく感じられる。

「三蔵」

腕を組んで歩きながら、悟空が見上げてきた。

「まだいってなかった。誕生日、おめでと」
「……別にめでたくはないが、な」
「そんなことないっ。俺にとっては大切な日だもん。……大切な人の、大切な日だ……もん」

照れているのか、声が小さくなっていく。
夜道でも、耳まで真っ赤になっているのがわかった。
くしゃり、と髪をかきまわす。
と、頬を染めたままの顔があがった。嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

それを見ながら、ここに来るまでに通ってきた同じ道を逆に辿っているだけなのに、どうしてこうも違うのだろう、と思う。
同じように暗いのに、先程までとはまったく違う。
たとえ一寸先も見えない闇のなかにあっても、傍らにこの光があれば絶望に沈むことはないだろう。

手を伸ばして抱き寄せ、光の欠片を掠め取るように唇に触れた。



2009年三蔵誕生日記念SS。