お祝い
なんだかひそめた声が部屋の向こうから聞こえてくる。
潜り込んだ布団から手だけだして枕元を探り、時計を引き当てて、ぼぉっと時間を確認すると、朝の八時だった。
夜明け前に家に帰ってきて、それからすぐにベッドに入ったから――それでも三時間くらいの睡眠だろうか。
顔を顰めつつ、落ちかかる赤い髪をかきあげて、悟浄はベッドのうえに起き上がった。
起き上がると声は、さっきよりももう少しよく聞こえる。
が、なにを言っているのかまではわからない。
この声は――八戒と悟空だろうか。
いつもであれば、なんのかんのと騒がしくも(騒いでいるのは主に悟空だが)仲の良い会話が聞こえてくるはずなのだが、こう静かだと却って気になってしまう。
声のする方――キッチンにと向かうと。
「あ、悟空。ダメですよ。分量はちゃんと量ってくださいね」
いつになく真剣な雰囲気で、計量カップを手にしている悟空と、それから冷蔵庫を開けてなかを覗いている八戒が目に入った。
八戒が冷蔵庫から卵とバターを取り出す。
パタン、と閉めたところで八戒と目が合い、少し不思議そうな顔をされた。
「おや、悟浄」
それもそのはず。
明け方近くに帰ってくれば、たいてい昼近くまで寝ているのだ。
「え? 悟浄?」
悟空も顔をあげる。
長い髪を後ろでくくり、いつもよりも気合いが入っているのか、頭に三角巾を被っている。
「なんで起きてくんだよ」
大きな金色の目をさらに大きくさせて、悟空が驚いたように言ってくる。
「あ? 別にいいじゃねぇか。それにしても、ウチに来て騒がないとは……さては、小猿ちゃん、秘密の特訓中?」
「なに、言ってんだよ」
「だって、それケーキだろ?」
「う……っ。ちがっ」
「隠さない、隠さない」
図星されて一瞬絶句し、それでも否定しようとする悟空の台詞を遮るように、悟浄は言う。
だいたい材料もさることながら、わかりやすくテーブルのうえにケーキの型が乗っている。
そういえば今月末に生臭坊主の誕生日があるな、とそれを見て思い出した。
「三蔵さまのために練習? 健気だね、小猿ちゃんは」
泣かせるねー、と泣き真似までする。
「なに言ってんだよ、バ河童っ」
と、悟空は拗ねたようにそっぽを向いてしまう。
「まぁまぁ。バレちゃったものは、仕方ないですよ」
にこにこと宥めるように言う八戒に、悟空は不満そうな顔を見せた。
「とりあえずお手伝いは無用ですからね、悟浄。そこで見てるのは良いですけど」
「へぇへぇ」
悟浄は、ガタンと椅子を引くとそこに座りこむ。
料理をするところなど、別に見てて面白いというわけではない。
が。
本と睨めっこし、わからないところを八戒に聞きつつ、たどたどしく作り進めていく様を見ているのは、微笑ましくて案外楽しい。
それにふたりで仲良くキッチンに立っている光景というのは――。
なんだか仲睦まじい母娘を見ているようで――この場合どちらも男なのだからその言い方はそぐわないはずのだが、どうしてもそう見えてしまう――なんだか『絵に描いたような幸せ』というのはこういうのをいうのではないかと思ってしまう。
見ていてこそばゆくて、その甘さに胸やけがしそうだと思いつつも――目が離せない。
遠い――憧れ、と呼ぶのは面映ゆいような、そんな感じ。
飽きもせずにぼーっと結構長い時間見ているうちに、ケーキが焼き上がったようだ。
ちゃんと膨らんだー、と嬉しそうに言う悟空に、思わず笑みが漏れる。
「おい」
と、いきなり頭のうえから声がした。
「うぉ、三蔵っ」
びっくりして、悟浄は椅子から落ちそうになる。
「なにやってんだ」
呆れたような感じで、上から目線で(物理的にも)三蔵が言う。
「なにやってんだ、は俺の台詞だっつーの。イキナリ、人ん家に入ってくんなよ」
「いまさらだろうが」
フン、と鼻を鳴らし、三蔵が答える。
それから、キッチンを見回す視線に。
「あ、これは、なんだ――えっと……」
ケーキ作りの練習をしていたというのは、知られたくないはずだ。
誤魔化さねば、悟浄がぐるぐると必死で言い訳を考えていたところ――。
「三蔵っ」
焼き上がったケーキをそのままにして、パタパタと悟空が駆け寄ってきた。
「仕事、終わったのか?」
にこにこと嬉しそうに笑って言う。
「あぁ」
答える方は仏頂面だが、雰囲気は柔らかい。
まったくラブラブですこと。
と、悟浄がこっそりと呟いたとき。
「おい」
三蔵がなにか放って寄こした。
受け止めると。
「煙草?」
見たこともない銘柄だった。
「新しいヤツだと。煙草屋のオヤジがくれた」
三蔵は基本マルボロしか吸わないので、やるということなのだろう。
「あぁ。サンキュ」
一応、礼を言う。
「あー、ダメだぞ、もう」
と、プンプンと怒ったように悟空が会話に入ってくる。
「あ?」
煙草を受け取ってはダメだということだろうか?
悟浄はてっきり怒られているのは自分だと思い、訝しげな目を悟空に向けるが、悟空は三蔵の方を向いていた。
「ちゃんと『誕生日、おめでとう』って言って渡さねぇと。悟浄、わかってねぇみてぇだし」
誕生日?
俺の?
思ってもみなかった言葉に、悟浄は一瞬、思考停止に陥る。
「やっぱりわかってませんでしたか」
いつの間にか横にいた八戒が微かに笑いを含んだ声で言う。
「えと……誕生日?」
「えぇ。今日は11月9日ですよ」
「あ――……」
悟浄はなんと言ったら良いのだろう、という顔をする。
ケーキも、そして料理も――ケーキの合間に作っている料理がなんだか豪勢だなとは思っていたのだが――全部、自分のためだったとは。
改めて三人を見回し、そして。
「……サンキュ」
少し照れくさそうに悟浄は呟いた。