夜のコエ


 ……どうしよう。
 夜中に突然目が覚めてしまった。
 何か夢を見ていた気がする。覚えていない。良い夢だったのか、悪い夢だったのかも。ただ、漠然とした不安が胸に渦巻く。思い出そうとしても逃げていく夢は、封印されている記憶のようで。
 悟空は、ぱっと起き上がった。
 どうしよう。ロクでもないことを考えてしまいそうだ。というより、そんなことを思う時点でもう駄目だ。
 本当にこれは現実なの?
 あの岩牢で見ている夢ではないの?
 時々、思い出したようにふと訪れるその感覚。日の光のあるうちはいいが、こんな静かな一人きりの部屋で、しかも夜にそんなことを考えるのはよくない。
 思考が音をたてて暗い方に流れていってしまう。それは駄目だ。それは心を弱くする。
「…さんぞ」
 小さく小さく囁いてみる。おまじないのように。
 そう、一人じゃない。ここはあの岩牢じゃない。朝がくれば、三蔵の顔が見られる。だから大丈夫。大丈夫。
 カチャリ。
 微かな音がしてドアが開いた。
 無意識のうちにベッドの上で膝をかかえて丸くなっていた悟空は、音につられて顔をあげた。
 入ってきたのは三蔵。ツカツカと悟空のベッドまで歩いてくる。
 やっぱり夢なのかな。
 三蔵を見つめ、悟空はぼんやりと考えた。夢でもなければ、こんなに都合良く三蔵が現れるはずがない。一番そばにいて欲しいときに、来てくれるなんて。
 スパーン。
 小気味の良い音が部屋に響いた。
「〜〜いってぇ。イキナリ、何すんだよ」
 頭を押さえてちょっと涙目でうらめしそうに、悟空はハリセンを手にした三蔵を見上げた。
「良かったじゃねぇか。夢じゃなくて」
「へ?」
「痛いっていうのは、夢じゃない証拠だろ」
 悟空は目をぱちくりとさせた。一瞬、思考が空白になった。
「……バカ面」
 そんな悟空の様子を見て、三蔵の口から思わずといった感じで呟き声が漏れた。
「なんだよ、それ」
 言われた言葉に反射的にムッとして悟空が言う。
「煩いんだよ」
 煩いって俺、呼んでないぞ。いや、呼んだかもしれないけど、隣の部屋に聞こえるほど大きな声じゃないぞ。
 そう言おうとして悟空は気付いた。『煩い』という台詞。それは即ち……。
「『声』、聞こえたの?」
「だから煩いって言っただろう」
 夢じゃない。これは現実だ。
 そう呪文のように唱えていた言葉も聞こえたのだろうか。だからこうやって、夢じゃなくて現実だとわからせるために来てくれたのだろうか。
「へへへ」
 思わず笑みがこぼれた。
「ったく。くだらないこと、考えてねぇでさっさと寝ろ」
 三蔵はそう言うとくるりと向きを変えた。悟空は慌ててその腕に手をのばした。
「一緒に寝て」
「はぁ?」
「このまま寝たらきっと怖い夢を見るから、一緒に寝て」
 部屋の中は暗かったから、三蔵の表情はわからない。困っているのか、怒っているのか、笑っているのか。雰囲気からすると、それが全部ごちゃまぜになった感じがした。
 やがて盛大なため息とともに三蔵が言った。
「……今日だけだぞ」
「うん!」
 悟空は満面の笑みを浮かべた。
「オラ、詰めろ」
 三蔵の言葉に、悟空はもぞもぞと動く。
 本当は三蔵の顔を見た途端、不安は消えうせたのだけど。
 三蔵がするりとベッドに入ってきた。
 その温もりはとても安心できるものだから。今だけは甘えさせて欲しい。
 こんな『声』も聞こえているかもしれない。それでも側にいてくれるのは、とても幸せなことだ。
 だけどそれを言葉にせずに、悟空はさまざま思いを込めて言った。
「オヤスミナサイ」
「……あぁ」

 夜を越えて響く声。
 答えてくれる人がいるから今はもう一人じゃない。