大好き、という言葉。
よく言っていた。
三蔵、大好き。
言うたびに暖かな気持ちが涌いてきて、とても嬉しくて、何度も何度も繰り返していた。
だけど。
好きの意味が変わったときから、もう口にすることはできなくなった。
でも、その好きはどんどん大きくなって、心の内に留めておけなくなって、想いを告げるためにその言葉を使った。
好き、なんだ。
想いが届くと最初から期待していたわけでない。
けれど、やっぱり悲しくて。
好き、という言葉は痛みをともなうものになった。
暁闇
「三蔵、何してるの?」
暗い納屋の中でなんか物音がした。何だろうと思って覗いてみたら、三蔵がいた。
この時間は執務室で書類の処理をしているはずなのに。
「サボリ?」
たまに三蔵は仕事を放って姿をくらますことがあった。
困ったことに、仕事が立て込んでいる時の方がいなくなる確率が高い。
というのも、くだらない仕事を回してくるから、だそうだ。
本人曰く、便利に使われるのは御免だ、ということみたい。
回ってくる仕事を全部こなしていたら、仕事の量が増えるだけ。三蔵でなくても良いものまで回ってくる。そんなことしてられるか、というのが理由らしい。
「違う、捜し物だ。ちょうどいい、お前、手伝え」
「ほえ?」
「そこの棚の上の箱」
天井近くを指差す。
「三蔵が届かないのに、俺が届くわけないじゃん」
「抱き上げてやる」
「ちょっと、待ったっ!」
伸びてくる手を避けた。
この人は本当にわかっているんだろうか。
俺は、あなたが好きなんだよ。
いつも通りそばにいろ、と言われたけど。触れられれば心が騒ぐ。平気ではいられない。なのに。
この人にとってはどうでもいいことなんだ。
心が痛んだ。
「平気。なんとかなりそう」
棚の段に手足がかかる。これなら上まで登れる。
「はい」
棚の上の箱を取って、飛び降り、三蔵に手渡す。
「お前、ホントに猿」
「む。そんな言い方ないだろう。取ってやったんだから、感謝ぐらいしろよ」
ふくれて見せるが、箱の中を確かめていて三蔵はこっちをみようともしない。
「これでもないか」
舌打ちして、さっきの箱をうっちゃる。
「何、捜してるのさ。それに捜し物なら、小坊主とかに頼めば? 三蔵が自分から捜すなんてめずらしー」
「俺もはっきり覚えちゃいねぇんだよ」
三蔵は棚から書類を引き出しつつ答える。
「だが、絶対にある筈なんだ。アレに関する記述がどこかに――」
何だかよくわかんないけど、どうやら気になることがあるらしい。
でもって、もやもやした気分でいるのが嫌なんだろう。
なんだかそういうところ、子供みたいなんだよな。自分が納得しなきゃ気がすまない。
「ちょっと、三蔵、それはアブない」
棚の横の積み重なった箱の真ん中辺りから、三蔵は小さな箱を引き抜こうとしていた。上の方がぐらついている。
「三蔵っ!」
崩れてきた。咄嗟に手を伸ばして、三蔵を引っ張る。
凄い音がした。
思わず閉じてしまった目を開けると、周囲にもうもうと埃が舞っていた。
「三蔵、大丈……夫……」
聞こうとして、いつのまにか自分が三蔵の腕の中にいて、まるで庇われているみたいにして床に座り込んでいるのに気がついた。
「さん……ぞ……」
突然、口の中がカラカラに乾いて、声が出なくなった。
すぐ近くに深い紫の瞳。それがいつになく優しい色を湛えているような気がした。
すごく綺麗で、目が離せなくなる。
見つめあったまま、時が止まってしまったかのよう。
が、三蔵を見上げる視線の先で、何かがぐらりと動いた。
あっと思った時はもう既に遅く、それは三蔵めがけて一直線に落ちてきた。
ゴツン、とちょっといい音がした。
「〜〜〜っ!」
三蔵が声にならない声をあげて、頭を押さえた。
「ぷっ!」
思わず、噴き出す。
「何、笑ってやがる」
三蔵が不機嫌そうに言う。
「だって、凄い音。よりにもよって、三蔵の頭の上にちょうど落ちてくるなんて」
クスクス笑いながら、膝立ちになって、三蔵が押さえている辺りの頭を確かめる。
「コブ、できてる」
でも血が出ているとかはなくて、たいしたことはなさそう。
「天下の三蔵法師さまが頭にコブをつくるなんて」
駄目だ。
笑いの衝動を抑えられない。笑えば三蔵の機嫌が悪くなるのはわかっているのに。でも。
ひとしきり笑うと、そっぽを向いている三蔵を改めて見直した。
不機嫌そうな横顔。いつも通りの。
なんだか、久しぶりにちゃんと三蔵の顔を見た気がした。
「三蔵、大好き」
突然の言葉に驚いたのか、見上げてくる顔に笑いかける。
三蔵が座っていて俺が膝立ちだから、なんだかいつもとは違う感じがする。違う感じついでに手を伸ばして三蔵を抱きしめた。
三蔵の匂い。やっぱり一番好き。一番、安心できる。
「大好きだよ」
囁いて、手を離す。まっすぐに三蔵を見る。
好きだと言ってもわかってくれなかったから、俺のことなどどうでもいいのかと思っていた。結局のところ、この寺院にいる僧達と一緒。いてもいなくても三蔵にとってはたいした違いはない存在。全然、関心がないからわかろうともしないのだと。
でも、そうではないらしい。
だって、偶然かもしれないけど、さっき庇ってくれようとした。
たぶんそれは、拾ったことに対する責任。
俺のこの感情を、三蔵は雛が最初に見たものを親だと思って無条件に慕うようなものだと言った。
でも、それは逆なんじゃないだろうか。
俺を拾ったことで、三蔵は親としてしか――保護者としてしか俺のことを見れないんじゃないだろうか。
だから、本当にわからないんだ。
俺が本気で好きなのだということを。
三蔵の頭の中には、俺が本気だ、という考えがそもそもないんだ。
思い違いだと言われた。
それはつまりはそういうこと。
だったら、この先、証明していけばいい。
俺が本気だということを。
まずは、そこから。
「お前のそれは、聞き飽きた」
微かに苦笑を浮かべて三蔵が言った。
ほら、やっぱりわかっていない。
「俺は言い飽きてないもん。だから覚悟、しておいてね」
大好き。
受け入れてもらえなかったと嘆くのはもう止め。
だいたい、その前の段階じゃないか。
まずは、認めてもらわなくては。
そしてそれでも駄目な場合は。
そのときに考えよう。
「大好き」
挑むように三蔵をみつめた。
まだ始まったばかり。
すべてはこれから――。