手の中の小さな幸せ


「小猿ちゃん、着いたぜ」
 悟浄に声をかけられて、目が覚めた。ジープの上。いつの間にか、町に入っていて、えっとここは宿屋の前だろうか。
「よだれ」
 言われて慌てて口元を拭う。
「よく寝てましたね。昨日、野宿だったから眠れなかったんですか?」
 八戒がこちらを振り向いて言う。
「こいつにそんな神経があるかよ」
 悟浄の言葉にむっとした。言い返そうとしたら、八戒がまぁまぁとでもいうように手を振って言った。
「ちょっと早いですけど、先に進むと宿屋がある町まで行き着けるかわからないんで、今日はここに泊まることにしたんですよ。悟空、宿屋の手続きをしておきますから、先に悟浄と町を見物してていいですよ」
 周囲を見回すと、結構賑やかそうな町だった。
 美味しいモノもいっぱい売ってそう。
「おい、猿」
 喜び勇んで、ジープから飛び降りたところ、三蔵に声をかけられた。
「何、三蔵?」
 答えて、びっくりした。
 声。掠れてて、よく出ない。何?
「お前は宿屋で大人しくしてろ」
 三蔵がため息とともに言った。

 部屋に入るとすぐにベッドに押し込められた。
「大丈夫だって」
 言うそばから声が掠れる。
 う〜。
 これじゃあ、全然説得力がない。
 折角、美味しそうなモノがいっぱい食べれると思ったのに。なんで、寝てなきゃなんないんだよ。
「三蔵、俺、別にどこも悪くないよ。ただ、ちょっと声が掠れてるだけで」
 あと、ちょっと喉がイガイガしてるけど。
「ねぇ、だから、俺も外に……」
 八戒と悟浄は薄情にも俺をおいて街へと出て行ってしまった。
「いいから、寝てろ」
 起き上がろうとしたら、ポフッと枕に頭を沈められた。
「酷くなられたら、迷惑なんだよ。足手まといはいらねぇからな」
 その言葉に何も言い返せなくなる。
 俺が大人しくなったからか。三蔵はベッドから離れて、テーブルの方に向かう。テーブルから新聞を取り上げて、椅子に座って読み始める。
 それをじっと見ていた。
「ね、三蔵……」
 しばらくしてから、声をかけた。
 聞いているのかいないのか、三蔵は新聞から顔もあげない。
「俺、八戒や悟浄みたいだったら良かった……?」
 掠れているせいもあって、自分でもなんだか酷く頼りなげな声に聞こえた。
 だから、言ってから後悔した。
 こんなんだから、いつまでたっても子供扱いで、いつまでたってもちゃんと見てくれないんだ。
「別に」
 三蔵が素っ気なく答えを返してきた。相変わらず、新聞を読んだままでこちらを見ようともしない。
 でも、その言葉に少し驚いた。
「本当に? だって、俺が八戒や悟浄みたいだったら、三蔵、きっともっと――」
 三蔵が新聞から顔をあげた。
 なんだか呆れたような顔をしている。
 それから立ち上がると、新聞を片手に持ったまま近づいてきた。
「お前はお前だろうが。くだらないことを言ってないで、寝ろ」
 ベッドの端に腰かけながら、三蔵が言う。手が伸びてきて、髪の毛をくしゃりとかきまぜられた。
「どっちであろうとあんなのがもう一人増えてみろ。サルよりメンドくせぇことになる」
 いや。
 そういう意味じゃないんだけど。
 俺は、俺がもっと大人だったら、面倒をかけることもなくて三蔵もきっともっと楽だったろうって言いたかったんだけど。
 そしたら、きっと三蔵も今みたいに保護者としてでなくて、ちゃんと俺のことを見てくれるだろうし。
 でも。
 ぽんぽんと布団を叩いてくれる三蔵を見上げて思う。
 言いたかったことはわかっているのかも。
 それでも、俺は俺でいい、って言ってくれたような気がした。
 なんて。
 ホントはわかってないのかもしれないけどね。この人の場合。
「三蔵、大好き……」
 呟いて、目を瞑った。

 柔らかな小さな声が聞こえてきて、意識が覚醒していく。
「――病人の枕元で煙草を吸うのは感心しませんから」
 チッと舌打ちの音。
 ややあって、含み笑いが聞こえてきた。
「あぁ。そういうわけだったんですか。ちょうどいい機会です。少しは禁煙した方がいいですからね。それ、悟空が目を覚ましたら飲ませてください。風邪薬。食前に飲むタイプですから」
 コツコツと足音が遠ざかっていく。扉が開く音がして、そしてまた閉まった。
「さ……んぞ……」
 なんだか頭がぼぉっとする。
 もぞもぞと動いて起き上がった。
「今、八戒がいた?」
「あぁ。薬を置いていった。飲めるか?」
「ん……」
 目をこすろうとして、自分の手が何かを握っているのに気付いた。
 何か。
 三蔵の法衣。
 しばらくまじまじと手の中ある法衣をみつめた。
 それから手を離す。
 キシッとベッドがちょっと揺れて三蔵が立ち上がったのがわかった。
 視線をあげると三蔵がテーブルの上の煙草を取り上げるところだった。ライターで火をつけ、大きく吸って煙を吐き出す。
 少しは禁煙した方がいい。
 夢うつつのまま聞いた八戒の言葉を思い出した。
 ずっと傍にいてくれたのだろうか。煙草を吸うのを我慢して。俺が法衣を握っていたから。
「何だ?」
 視線に気付いて、三蔵がこちらを見る。
 なんだか心が暖かくなってきた。
 起こすとか、無理やり引きはがすとか、法衣を脱ぎ捨てるとかすればいいのに。
 何もせずに傍にいてくれた。
 その事実に。
 でも、そんなことを言うときっと機嫌が悪くなるから心の中にしまっておく。
「えっと、薬ってのは?」
 代わりにそう聞いた。
「そこだ」
 顎で示されたのは枕元。白い袋がおいてあった。
 三蔵が水の入ったコップを手に持って戻ってきた。水を渡される。
「飲ませてくれないの?」
 言った途端、三蔵の額に皺が寄った。
 ちぇ。
 あれ、好きなのに。
 なんかふわふわと気持ちよくなって、薬の苦さも忘れるから。
 でも、ま、いっか。
 嬉しくて、もう心はふわふわとしているから。
 やっぱり、大好きだ。
 しみじみとそう思った。