朝の光に

 なんだか嫌な予感がして、部屋に向かった。
 扉の前にいる悟浄を見たとき、もう三蔵が部屋にいないとわかった。
「なんで……!」
 一瞬で頭に血が上って、悟浄に掴みかかった。
「なんで、行かせたんだよっ!」
 襟元を掴んで立たせ、そのまま扉に打ち付けた。
「悟空っ?!」
 大きな音がしたからだろう。八戒が部屋から出てきた。そして俺の手を悟浄から離そうと間に入りこんできた。
 八戒が何か言っているのはわかった。
 だが、何を言っているのかはわからない。言葉の意味は届かない。
 目の前にいる悟浄の存在すら定かではなく、手に力を込め続けるだけ。
 暗闇の中、ただ絶望だけを感じていた。
 と、いきなり、頬に衝撃を受けた。
 痛くはなかった。全然。だけど、目が覚めたようになった。
 悟浄から手を放す。苦しそうに咳き込む声が聞こえてきた。
「あ……」
 自分の手を見る。急速に意識が現実に戻ってくる。
 俺は、今、何をしていた……?
「……わりぃ」
「ったく、血迷いやがって」
 掠れた声で、呆れたかのように悟浄が言う。
 本当は「悪い」の一言ですむようなことではない。だが、悟浄はそのことについて、何も言わなかった。
「三蔵自身の問題だってぇのはわかってるんだろ?」
 悟浄の言葉に俯く。
「あいつが自分で決着をつけなきゃいけないってことを。それをあいつが望んでいることも」
 ……わかってる。わかってるよ。
「そして、六道もそれを望んでいるでしょうね」
 それも、わかる。
 もし、自分があんなふうに、自分で自分をコントロールできなくなるようなことになったら、最期は三蔵の手で終わらせて欲しいと思う。
 そう、思うよ。でも、それでも――。
「三蔵が辛い思いをするのは、嫌だ」
 誰に言うでもなく、呟いた。
 そんな風に思うのは、俺が子供だからかもしれない。
 それとも、ただのエゴなのかも。
 二人に背を向けた。
「悟空?」
 八戒が心配そうに声をかけてきた。
「部屋に戻る。大丈夫。三蔵を捜しに行ったりしないよ」
 振り向くことはできず、そのまま部屋に向かった。

 夜明けまで、一睡もせずに起きていた。
 三蔵が負けるとは思っていなかった。だから、その心配はしていなかった。
 ただ、このことがどれほどの痛みをあの人にもたらすのだろう、と思った。
 それが悲しかった。
 結局、何もできない自分が悔しかった。
 空が白む頃、ノックもなしにいきなり扉が開いた。
「いつまでシケた面してるんだ。行くぞ」
 悟浄に首根っこを掴まれた。
「何? 行くってどこへ?」
 そのままズルズルと引きずられる。
 あまりに突然の出来事に、頭がついていかない。
「三蔵サマのお迎え。オラ、いい加減、自分で歩けよ」
 廊下に出たところで手を放されて、そのまま床にへたり込む。見上げると、そこに八戒もいた。
「置いてっちゃいますよ、悟空」
 二人は笑い、そして歩み去っていく。
 その後姿を見ながら、敵わない、と思った。
 こうやって三蔵の代わりのように心を痛めていても仕方がない。
 そんなのは三蔵にとっては全然意味のないことで、むしろ迷惑だろう。
 このことで、消えない傷が残ったとしても、三蔵は歩みを止めることはないのだから。
 ただまっすぐ前を見て歩く。何事もなかったかのように。
 そう。あの人は強い。
 そして、二人はそれを知っている。
 この辺の違いが、いつまで経っても三蔵が俺のことを子供扱いして、ちゃんと見てくれない要因なんだろうと思う。
 でも。
 これが今の俺なんだから、仕方がない。
 それを思い悩んでも、すぐに大人になれるわけではない。
 少しずつ埋めていけばいい。少しでもあの人に近づけるように。
 強く――。
 強くなるんだ。
 バシン、と両手で頬を叩いた。
「うっし!」
 拳を作って、気合を入れる。
 それから立ち上がって、二人を追った。

 そして森の出口で、ジープの上に座って三蔵を待っていた。
 日が昇って、キラキラと辺りが輝く頃、三蔵が木の陰から姿を現した。
 その姿を認めたとき、ほっとした。
 心配していたわけじゃないといっても、やっぱり心の奥底で心配していたのかもしれない。
 それに何も言わずに行ってしまったことが、とても寂しかったのだと、今、初めて気が付いた。
 そういったもろもろの感情が三蔵を見て渦巻いたが、見ないようにして封じ込めた。
 三蔵がここにいる。
 それだけで十分だと思った。
「お客さん、何処まで――?」
 だから、そう言う悟浄に便乗して冗談めかして言った。
「初乗り、いちまんえんだよン」
 三蔵はなんだが不機嫌そうな顔になり
「西に決まってンだろ」
 と言うと、銃を放って寄こした。
 びっくりした。
 三蔵が銃を渡すなんて。
 だって、これは三蔵の身を守る大切な――。
 心配していたことも。
 三蔵が黙って行ってしまったことも。
 何もかもがこれで帳消しになったような気がした。
 信頼されているみたい。
 嬉しい気持ちがこみあげてきた。
 疲れていたから何の考えもなく、かもしれない。
 でも、それでも、大切なものを預けてくれた。
 三蔵が前の座席に座った。ジープが走り出す。
 手の中の銃をそっと握り締めた。