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昼休み。
コンコン、と。
控え目に美術準備室の扉をノックした。
が、答えはない。
いないのだろうか。
「失礼します」
それでも一応そう声をかけて扉を開ける。
が、やっぱりそこはしんと静まりかえり、誰もいなかった。
先生、どこに行ったんだろ。
普段、職員室にはあんまりいないというのは知っている。職員室にいると、たいした用もないのに生徒も先生も寄ってくるのが煩わしいから、といって。
だから、たいていここに籠っているはずなんだけど。
昨日の夜は帰ってくるの、遅かったし、今日は朝早くから呼び出されてた。
なんかあったのかな。
「三蔵、お前、メシ……」
と、突然、悟浄の声がした。
振り返ると、戸口に立つ悟浄と目が合った。
「おや、悟空、どうした?」
「あ……なんでもない……ちょっと……」
慌てて部屋から出ようとしたところ。
「何をしてるんだ?」
不機嫌そうな先生の声が廊下から聞こえてきた。
どうやらどこかに行ってて、いま、戻ってきたところらしい。
「俺は、メシを食いに行こうと誘いに来ただけだが……」
悟浄がそういって意味ありげに俺の方を見る。
「とりあえず退散するわ」
そして、じゃあ、という感じで手をひらひらと振ってこの場から離れていく。
「三蔵。その子、八戒のお気に入りだから、手荒に扱うと後が怖いぞ」
そんな言葉を残して。
「……お気に入り?」
先生の眉間に皺が刻まれる。
「知らない」
いきなりの悟浄の言葉と、先生の表情にびっくりして、ぶんぶん、と首を横に振る。
それから。
「あの……ご飯、食べに行くところ、ごめんなさい。教室に帰るから」
先生の横をすり抜けて廊下に出ようとして。
「待て」
止められる。
「これ、作ってきたのか?」
そして、腕に抱えていた包みを取り上げられる。
「だめっ」
慌てて取り返そうと手を伸ばす。
が、先生が体を少し横にずらしたので、手が届かない。
そのうえ、伸ばした手を掴まれてしまう。その手をまじまじと見つめて。
「切ったのか?」
指に巻いた絆創膏に、先生がまた不機嫌そうな顔をする。
「違う。ちょっと火傷しただけだから。それ、返して」
「なんで」
「だって、必要ないでしょ」
「昼飯を抜けと?」
「でも悟浄とご飯を食べに行くんでしょ」
「これがあるから行かねぇよ」
「でも、それ、絶対マズいからっ」
「そんなことねぇよ」
作った本人でもないのに、先生は妙に断定口調でいう。
「初めの頃よりはだいぶ上達してきてるだろ。卵さえちゃんと割れなかったんだから」
なんだか楽しそうな、意地の悪い笑みが浮かぶ。
「……知らないから」
その表情を見ていたら、なんだかむっとしてきた。
「マズくても、知らないからっ」
ぷんぷんと怒って出ていこうとしたら、腕を掴まれた。
そのまま引き寄せられて。
軽く唇を塞がれる。
なんだって、こんな……もしかしたら、人が通るかもしれないところで!
「礼だ。足りないか?」
「足りなくないっ」
さらに引き寄せられそうになって、急いで手を振りほどく。
「じゃ、行くから」
これ以上なにかされる前にと、駆け出そうとして。
「悟空」
呼びとめられた。
う、という感じで足が止まる。
触れてくれるのは嬉しいけど、学校で、だと落ち着かなくて不安ばかりが先にたつから、嫌なのだけど。
でも名前を呼ばれると、なにも逆らえなくなる。
だってずっと呼んでほしかった。こんな風に。ただひとり、として。
だからおずおずと振り返るけど。
「火傷、ちゃんと八戒に診てもらえよ」
「え……と。大丈夫だよ」
予想外のことを言われて、ちょっと面食らう。
「駄目だ。痕が残るかもしれないだろ」
「そんなにひどくないけど」
「念のためだ」
手を取られる。
そして、絆創膏の上に唇を押し当てられて。
「第一、お前に痕を残してもいいのは俺だけだ」
「な……っ」
「今日は早く帰るから、イイコで待ってろ」
耳元で囁かれた言葉は甘く。
一瞬で、頬が熱くなる。
「……っ」
なにも言えなくて、きっと睨みつけて、そのまま背を向けて走り出した。
最後に見た笑みが頭から離れない。
まだ授業はあるというのに。
このあとどうやって平常心を保てというのだろう。
これ以上、先生でいっぱいになってしまったら――。
なんだか泣きたいような気持ちになった。