Tasting



コトコトとお鍋の鳴る音がしていた。
ふわふわと良い匂いが辺りに漂っている。
「幸せ」というのを形にしたら、こんなんなるんじゃないか、と思う。
ひどく満たされた想いで、キッチンに立つ先生の後姿を見つめていた。

「おい」

と、いきなり先生が振り返った。
もしかして見てると邪魔だろうか。
そう思って、わたわたとダイニングの椅子から立ち上がる。

「どこに行く。こっちだ」

出て行こうとすると、呼びとめられた。手招きされる。

なんだろ。
あんまりにもじっと見ていたから鬱陶しかったのだろうか。
それとも見てるばかりでなくて、手伝えということだろうか。
でも、まだ料理はうまくできない……。

そんなことを考えつつ、おずおずとそばに寄ると。

「口、開けろ」

と言われた。
へ? 口?
わけがわからなくて、眉を寄せる。
だが。

「ほら」

催促された。ので、あーん、と口を開ける。
と。
口のなかになにかが放り込まれた。
なにか――煮物。
思わず租借して飲み込む。

――あ、美味しい。

そういおうとしたところ、先生の手が伸びてきて、口の横にちょっと跳ねた汁を拭いてくれた。

――ありがとう。

その言葉も口に出せずに終わる。
だって、先生が指をそのまま唇に滑らせたから。

なに? これ、なに?

「うまいか?」

聞かれた言葉には反射的にコクコクと頷く。
だけど、そうしてる間も先生の指は唇から離れない。ゆっくりと、形を確かめるように唇を辿っていく。

なに? 本当にこれ、なに?

なんだか頭の中が真っ白になって、泣きそうになってしまう。
そんなんだっていうのに、先生はなんだか楽しそうな笑みを浮かべていて。
それを見てると、ますます泣いてしまいそうになる。
悲しいわけじゃないし、嫌なわけじゃないんだけど、なにがなんだかよくわからなくて。

「皿の用意をしろ」

と、ようやく先生が触れていた指を離してくれた。
ほっとして、食器棚に向かう。
が、腕を掴まれた。引き寄せられて、そして。

「ん。味、大丈夫だな」

唇に触れていった先生が呟く。

「せんせっ」
「なんだ? 味見しただけだろ?」
「それはそっちですればいいじゃないかっ」

鍋を指し示す。

「そっちより、こっちのが楽しい」
「せんせっ」

先生は微かに笑みを浮かべる。

「どうしてそう泣きそうな顔をするんだか。嫌じゃないんだろ?」

嫌じゃない。全然、嫌じゃない。けど。
先生はもう一度笑みを浮かべ、そして。

あ……。今度のは、本当のキス。
さっきみたいに戯れのようなものでなく。

「これでいいんだろ?」

最後に、ちゅ、と音を立てて唇に触れ、先生が囁く。

「良い子だから機嫌直せ」
「先生……」

違うんだけど。
ちゃんとしたキスが欲しかったわけじゃないんだけど……。

でも、そうなんだろうか。
もしかして、ちゃんと触れてほしかったのかな。

先生を見上げると、なんだか優しい顔をしていて。
それを見ていたら、さっきまでのわたわたした感じは消えて、なんだか自然と笑みが浮かんできた。