Small Gift
「あれ、八戒。今日はお前の誕生日じゃなかったか?」
閉店まではまだ少しあるがもう誰もいない店内で、いつものようにカウンターでコーヒーを飲んでいた悟浄が言い出した。
「へ? そうなの?」
横で皿洗いをしていた悟空が、金色の目を見開いてこちらを見た。
「言ってくれればプレゼント、ちゃんと用意したのに」
見かけよりも人の感情に聡い子だ。表情の動きで本当だとわかったのだろう。そんなことを言い出した。
「もうプレゼントを貰うような歳じゃありませんし、自分でもすっかり忘れていましたからいいんですよ、そんなの」
「でも……。ね、八戒。これから用事、あるの? なかったら、誕生パーティしようよ。三蔵にケーキ、買ってくるように頼んでみるから」
皿洗いの手を止めて、悟空は無邪気に言ったが、すぐにちょっと心配そうな顔になった。
「あ、でも、そういうのは嫌い?」
本当に聡い子だ。
「いいえ。ただ祝う習慣がないんで、ちょっと驚いているだけですよ」
微笑んでそう答えると、悟空の方がびっくりしたような表情を浮かべた。
「誕生日、祝わないの? だって、生まれてきてくれてありがとうって日だろ?」
それからまっすぐに視線を合わせてくる。
「俺はありがとうって言いたいけど。だって、八戒がいなかったら、今頃、どうなっていたかわからないし。それなのに、すぐにココを辞めちゃって、でも文句も言わないで。本当に感謝してる」
悟空が最初にこの店に現れたのは春のこと。
その時もこうやってまっすぐに人を見る澄んだ金色の瞳に驚いた。
高校三年生だというその言葉が嘘のように幼くあどけなく見えたが、嘘をついているようには見えなかったのでその場で雇うことを決めた。
事実、悟空の言葉に嘘はひとつもなかった。
見かけ通り素直で礼儀正しく、仕事の覚えも良かったので、これは拾い物だったかと思っていた矢先、いきなり金色の髪の男に攫われた。
普通だったら、怒るところかもしれない。
だけど、あの時の二人の表情を目の当たりにしてしまったから。
幸せになればいいと心から思った。
そして、そう思えたことに安堵した。
他人の幸せを妬むほどは堕ちていなかったことに。
「僕も感謝してますよ。こうして時々手伝っていただいてますしね。おかげで常連さんが増えました。って、これは三蔵には内緒ですよ」
悪戯っぽく笑って言う。
「そんなの、知ったら三蔵、ここには寄越さないんじゃないか?」
喉を鳴らすように笑いながら悟浄が言う。
「そう。だからですよ」
「しかも、悟空、お前、さっき三蔵にケーキを買ってきてもらうって言ってたか?」
「そうだよ。何かヘン?」
可笑しそうに笑う悟浄に、憮然とした表情を向けて悟空が言う。
「ヘンだろ。あの三蔵サマがケーキを買ってくるなんて」
「何で? 三蔵、よく買ってきてくれるよ、お土産に」
悟空の言葉に悟浄の笑い声がピタリと止まり、驚きに目が見開かれた。
鳩が豆鉄砲をくらったよう。その言葉を体現しているかのような表情だ。
「何? そんなに驚くこと?」
「悟浄、そんなことで驚いていたら、身が持ちませんよ。ま、気持ちはわかりますけどね」
「八戒まで、何? そんなに変なコト、言ってる、俺?」
眉を寄せて悟空が聞いてくるのをちょっとお預けにしておいて、内緒話のように声を潜めた。
「三蔵、この間、悟空のためにウサギのぬいぐるみ、持ち帰ってくれましたから」
「ウサギのぬいぐるみ?」
悟空と悟浄が声を合わせて言う。
「あれ、八戒がくれたの? 三蔵に聞いても『お前が欲しがってたんだろ』って言うっきりだったけど」
「正確にはお店のお客さんですよ。ほら、うさぎ好きのおじさん」
「あぁ、あの人。ホントにくれたんだ、ぬいぐるみ」
「おいおい、それ、ちょっとアブなくないか? あいつだろ、白衣を着た」
三蔵がぬいぐるみ、ありえん、とかブツブツ呟いていた悟浄が口を挟んでくる。
「えぇ、その人です」
「見かけはちょっとアブないけど、意外にマトモだよ、あの人」
屈託なく笑って悟空が言う。
「なんだ。三蔵が買ってくれたのかと思ったけど。ちょうどお月見の日だったから」
「買わないだろう、三蔵は」
「どうして? さっきから二人ともなんで三蔵が何か買うとヘンだって言うの?」
「買うのが変じゃないんですよ、悟空。三蔵が誰かのために何かをすることが変なんです」
その言葉に大きく悟浄が頷く。
「三蔵とはそんなに長い付き合いってわけでもねぇけど、今まで、そんなことするの、見たことねぇもん」
悟空はその言葉の意味を考えるかのように、眉間に皺を寄せた。
「あなたはトクベツなんですよ、三蔵にとって。本当に」
あまりにも腑に落ちないような表情を浮かべているので、思わず諭すような口調になってしまう。
「だから、ここに迎えにきた三蔵に誰が声をかけても心配すること、ないですよ」
付け加えた言葉に悟空は複雑な表情を浮かべた。
一人で座る三蔵に声をかけようとする人間は男女問わず意外に多い。何よりもその綺麗すぎる容貌が人目を惹くのだろう。だが、大半は口を開く前に冷たい視線に黙り込む。
それでも、悟空がやきもきしているのは手に取るようわかる。
「ズルイじゃん、それ」
しばらくの沈黙の後、悟空が呟いた。
「なんかこれじゃ、俺のほうがプレゼントを貰ったみたいだよ」
それからそう言って、綺麗な笑顔を浮かべた。
「プレゼントなら今、貰いましたよ」
その笑顔は見るものの心を暖かくする。
「そうやって、嬉しいときにはちゃんと笑ってくれればそれでいいです」
「八戒は時々、金蝉みたいな――俺の保護者だった人みたいなことを言う。ちゃんと笑えってよく言われたよ」
ふっと悟空が大人びた笑顔を浮かべた。
「ね、やっぱりちょっとだけでも誕生パーティをしようよ。三蔵に電話してくる」
そう言って、悟空はパタパタと奥に走っていく。
「いいのか?」
カウンターから悟浄が声をかけてきた。
「えぇ。なんか、あの子を見ているとそういうのも悪くないって不思議と思えてきます」
「三蔵が骨抜きになるわけだな」
クスッと悟浄が笑う。
「あの子は全然わかってないみたいですけどね」
そういう素直さと強さが羨ましいと思う。
「八戒、三蔵がケーキ、買ってきてくれるって」
やがて悟空が駆け戻ってきた。
「さて、と」
悟浄が立ち上がる。
「帰るの、悟浄?」
「心配しなくても、小猿ちゃん。三蔵が来るまでには戻るよ。そんな決定的瞬間、見逃したら一生の不覚だし。お祝いなんだろ? シャンパンでも買ってくるわ」
「じゃ、なんかつまみでも作りましょう」
「あ、俺も手伝う」
にこにこと笑いながら、悟空が近づいてくる。
かけがえのない存在を失った時から、もう二度と幸せだと思える日が来るとは思えなかった。
だけど。
こんな誕生日も本当に悪くない。
心からそう思った。