雪花


 ――ったく、何をしているんだか。


 目の前で徐々に冷えていく膳を見ながら、三蔵はイライラと思った。
 朝、目が覚めると雪が降っていた。悟空は朝食がすむと、喜び勇んで外にと飛び出した。そして、昼食の時間になっても帰ってこない。

 雪が怖いと言って震えていたのは、ついこの間のこと。

 これならばあのままの方が良かったのではないかとふと思い、そう思ったことに気付いて、苦い思いを感じながら否定する。
 あんな風に震えて泣いている方がいいはずはない。
 それなのにそんなことを思ってしまうのは己の愚かな独占欲。
 あのすがりつくような金色の目に自分だけが映っているのだと知ることは――。

 ふっとため息のように息を吐き出して、三蔵は窓にと近寄っていった。
 窓枠にも積もる雪。
 見ているうちにも少しずつ雪が貼りついていく。
 まだ雪は降り続いている。
 音もなく静かに。
 全てが白く覆われた静かな単色の世界。
 ただそれだけを見つめて過ごすことは、どのくらいの孤独だったのだろう。

 と、バタバタという足音が聞こえてきた。
 初めは微かに、やがてはっきりと。
 近づいてくる。
 そして。

「三蔵っ!」
 バタンと扉の開く音と、元気な叫び声。
「あのな……っ」

「うるせぇ」
 まるで主のもとに帰ってきた犬のように、はしゃいで近寄ってきた悟空の頭に、三蔵は有無も言わさずハリセンを落とした。
 スパーン、と小気味いい音が辺りに響く。
「う〜〜」
 頭を抑えて悟空はその場にしゃがみ込んだ。

「何してたんだ。昼メシまでには帰って来いと言っておいただろうが」
 言いながら、三蔵は悟空の足元に落ちているものに気付いた。

 雪のかたまり。
 悟空が持ってきたものだろうか。

「お前、雪なんか持ってくるんじゃねぇよ。溶けて水浸しになるじゃねぇか」
 いくら触れるようになったからと言って、雪は室内に持ち込むものではない。
 寺院内は暖房がきいているとはいえないが、それでもここ、三蔵の私室には一応暖房器具はあって他よりは幾分マシだ。
 そのため、雪は少しずつ溶け始め、床に染みを作っていた。

「ああぁ――!」
 それに気付いて悟空が大声をあげる。
 そして、何かを捜すかのように顔を近づけて雪のかたまりを眺めた。

「……なくなっちゃった」
 やがてポツリと悟空が呟いた。

「どうした?」
 肩を落として、雪のかたまりを見つめている悟空に三蔵が声をかけた。
 なんだかしょげている様子に口調が少し柔らかくなる。

「三蔵……」
 泣きそうな顔で悟空が三蔵を見上げる。
「三蔵に見せようと思ったんだけど。凄く綺麗な雪があったから」
「綺麗?」
「うん。不思議な形をしてて、綺麗な雪」

 悟空は綺麗なものが大好きで、よく綺麗なものを見つけてきては三蔵に見せにくる。
 それは季節の花とか、紅葉した葉とか。
 そういった身近なものの美しさに、たまに驚かされることがある。
 今回も何かを見つけてきたらしい。
 不思議な形の綺麗な雪、と言っていた。
 それは。

「雪の結晶だろ」
 三蔵はそう言って、悟空に手を差し出した。
 悟空は驚いたように差し伸べられた手を見、それから三蔵を見上げた。
「……バカ面」
 呆れたように三蔵は呟き、それからほとんど強引に悟空の手を掴むと引き上げて、窓のところにと引っ張って行く。

 窓のそばは外気に近くて、少し寒い。
 その窓枠についている雪の中に。
「あっ、これっ!」
 六角形をした雪の結晶があった。

「な、三蔵、これ何? さっき、なんて言ってた?」
 悟空がぱっと三蔵の方を振り返る。
 先ほどまでの泣きそうな顔はどこへやら。満面に笑みを浮かべている。

「雪の結晶。六花、とも言うがな」
「雪の結晶……。りっか……?」
「六つの花、と書く。文字通り『むつのはな』とも言われるが。この形によるものだろう」
「花、かぁ。うん。本当にそうだね」
 雪の結晶を見ながら嬉しそうに悟空は呟いた。

「こんなに綺麗なものが雪に混じってたなんて知らなかった。雪って凄いね」
 そして、もう一度三蔵を見上げる。
 キラキラと輝く金色の瞳に己の姿を認めて、表には出さなかったが三蔵は少し怯んだ。

「三蔵がいなかったら、雪なんて触れられなかったしこんなに綺麗なものも見れなかった」
「……お前が雪に触れるようになったのは、悟浄のおかげだろうが」
 あの時、悟空に呼びかけた悟浄に対して抱いた複雑な感情を思い出し、三蔵は眉間に皺を寄せた。

「うん。だけど、三蔵が呼んでくれなかったら、俺、外に出れたかどうかわかんない。あの時、三蔵がいたから……。外に、雪の中に三蔵がいたから、大丈夫だって思った。外に出ても大丈夫だって」

 まっすぐに見つめてくる金晴眼。
 三蔵はふっと苦笑にも似た笑みを浮かべた。
 雪に怯えていようと、その怯えを克服しようと、どちらの時でも変わらない瞳。
 ただ一人、その瞳に映っているのだと知ることは――。

「お前、ヒトのこと、信用しすぎ」
「そんなことない。三蔵だからだもん。三蔵だから……」

 三蔵は、ムキになって言おうとする悟空の手をとって、持ち上げた。
「手、冷てぇぞ」
 雪を運んできたからだろう。少し赤くなっている手に、はぁと息を吹きかけた。
「さんぞ……」
 少し困っているかのような声がする。
 だが、三蔵を見上げるその表情は。

 ――誘っているとしか思えない。

 三蔵はもう一度、苦笑を漏らした。
「メシ。待っている間に冷めたぞ」
「あっ! ごめん!」
 悟空は膳の置かれている方を振り返る。
 手を放してやると、パタパタとそちらに駆け出した。

「うまそー!」
「ったく、これからはちゃんと時間になったら帰れよ」
 そう言いつつ、三蔵も悟空の方にと向かう。

 いつまで続くのか。いつまで続けられるのか。
 この微妙な関係が。
 わからないが、今はこのままでも良いと思う。

 あの純粋な瞳が翳ることのないように。
 いつでも笑っていられるように――。