衝動


 意識が浮上するにつれ、暖かなものにくるまれているのを感じた。
 暖かくて、とても安心できるもの。
 なんだかほわんとした心持ちになって、甘えるように擦り寄り、その自分の動作で、悟空はふと目を覚ました。
 ぼーっとした視線を上に向ければ、飛び込んでくるのは、目を閉じていても綺麗な顔。
 そして、その顔が目に入った途端に脳裏に蘇る……。

「うぎゃっ!」

 悲鳴というか、叫び声というか。
 そんなものをあげて悟空は飛び起きた。

「ってぇ……」

 同時にあらぬところが痛み、シーツを掴んだ格好のまま、固まる。

「何をしてるんだ、お前」

 と、笑いを含んだ声が聞こえてきた。

「……起きてたのか?」
「お前の声で起こされた」

 隣で寝ていた三蔵が起き上がり、クスリと、どこか面白がっているような笑みを浮かべて、手を伸ばしてくる。
 その仕草が、昨夜のことを思い出させ――。

「三蔵のバカ、ハゲ、サド、エロボーズッ!」

 悟空は咄嗟に三蔵の手を避けると、思いつく限りの悪口雑言を投げつけて、部屋を飛び出していった。



□  ■  □



 勢い込んで飛び出してはみたものの、体がついていかなくて、悟空は宿屋の裏庭に生えている大木に抱きつくようにして、足を止めた。
 ずるずると木を伝うようにして、根元に座り込む。
 なんだか、無性に腹が立っていた。

 昨日こと。
 突然、自分の身に降りかかった出来事。

 嫌、だったわけではない。

 そして、知らなかったわけでもない。
 頼みもしないのに、いろいろ教えてくれるヤツがいるから。

 だけど、聞くのとスルのとでは大違いだ。

 だいたい、最初は全然わかんなかった。
 呼ばれたから、素直にそばに寄っていた。いつもの通りだ。
 腕を引かれて、ベッドに仰向けに倒されたときも、特に危機感は抱かなかった。
 唇を舐められたときも。
 ……ちょっとは、ヘンかな、とも思ったが、直前まで食べてた肉まんの食いカスでもついているのかと思った。

 何度も、何度も、唇が触れてきて。
 何かヘンかも、と思った頃には、もう体に力が入らなくなっていた。
 それからは、もう何が何だかわからない。
 三蔵のいいように翻弄されて。

 バシッ!

 悟空は拳で、木を殴りつけた。

 腹が立つ。
 あんな風に好きに扱われて。
 やめろって言っても、全然、やめてくれなくて。
 そのうち、このまま死んじゃうんじゃないかっていうくらい痛くなって。
 最後は涙ながらに、やめてくれって懇願したのに、全然、聞き入れてくれなくて。

 言うことを聞いてくれない。
 それに、腹が立つ。

 そして、もう一つ――。

 守らなくていい。
 そう言ってたくせに。

 嫌な気分になって、ゴンっと、額を木にぶつける。
 だが、そんなことをしても、胸にわだかまる想いは静まるわけもなく、もう一度、木に額を打ち付けようとした、そのとき。


「玄奘三蔵、覚悟っ!」

 声が響き渡った。



□  ■  □



「三蔵っ!」

 考えるよりも先に体が反応していた。
 悟空は立ち上がると、もと来た道を駆け戻ろうとした。
 だが。

 ガッシャーン。

 窓ガラスの割れる音ともに、上から、妖怪が降ってきた。
 三蔵が蹴り落としたらしい。
 悟空は足を止めて、落ちてきた妖怪と対峙した。
 すると。

「え?」

 悟空と最初に蹴り落とされた妖怪との間に、次から次へと妖怪が落ちてくる。
 どうやら、面倒臭くなって、三蔵は、妖怪を全部、下に落すことにしたようだ。
 見なくても、そこに悟空がいることがわかっているのだろう。

「楽しようとすんなよな、もー」

 二階から落とされたとはいえ、相手は妖怪だ。人間とは基本的に違って、それだけではたいしたダメージも受けていない。
 悟空は如意棒を召喚すると、いまや、一団となった妖怪の群れに突っ込んでいった。



□  ■  □



「三蔵」

 妖怪の一団を片付けて、部屋に戻ってみると、壊れた窓ガラスはそのままに、三蔵はゆうゆうと椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。

「ったく、少しは気を使えよな。俺、誰かさんのせいで、本調子じゃねぇんだぞ」

 悟空が腹立たしげに言っても、三蔵は新聞から顔をあげようともしない。
 悟空は、むっとした表情を浮かべると、三蔵の手から新聞を取り上げた。

「な、俺、怒ってるんだけど。いきなりあんなことされて」
「あれくらいの雑魚、どうってことねぇだろ」

 怒っているのはどっちだか。
 不機嫌そうに、眉をしかめて三蔵が言う。

「そうじゃねぇよ。昨日のこと」
「あぁ」

 三蔵は面倒臭そうに言うと、テーブルの上に置いてあった煙草を取り上げて火をつけた。

「あぁ、じゃねぇよ。いきなりあんなこと、しておいて」

 三蔵は煙を吐き出した。
 が、答えはない。
 悟空は手を伸ばし、三蔵の肩にかけた。

「な、俺は、守らなくちゃいけねぇ存在?」

 悟空の言葉に、三蔵の眉間の皺が深くなる。
 何、寝言をほざいてやがる。
 そんな表情をしている。
 それを見て、悟空がクスリと笑った。

「ん、なら、いいや」

 三蔵の膝に乗り上げて、ぽふっとその胸に顔を埋める。

「おい、重い。どけ」
「やだ。誰かさんのせいで、立ってるの、辛いんだもん」
「ふざけんな。もっとヒドイ目に合わせてやろうか」
「もー」

 顔を上げた悟空と三蔵の視線が合わさった。
 ふいに押し黙り、そして、どちらからともなく顔を近づけて、唇を触れ合わせる。

「なんで、あんなことしたの?」

 軽く、触れるだけのキスをしたあと、再び、三蔵の胸に顔を埋めて悟空が尋ねる。

「――したかったから」

 しばらくの沈黙の後、返ってきた答えは単純にて明快。
 だが。

「それ、理由になってない」
「いいだろ、別に。それに、嫌じゃなかったろ?」
「うー、それは……」

 嫌じゃなかった。
 確かに、嫌ではなかった。

「でも、三蔵、やめてくれって頼んだのに、全然、やめてくんなくて」
「で、拗ねてたのか?」
「違う。……って、それもあるけど、でも、違う」

 話を聞いてくれないのには、腹が立った。
 三蔵の好きに扱われたのも。

 だけど、本当に腹が立ったのは、あんな風に腕の中に抱き込まれたこと。
 まるで、守られるかのように――。

 守らなくてもいいもの。
 三蔵が欲しているのは、そういうものだと知っていたから。

 だから、腹が立った。
 守ってもらわなくてもいいのだ、と。

 だが、それと、あれは違うのだとわかった。
 抱きしめられることと、守ってもらうことは。

「でも、今度はちゃんと言うことを聞いてくれよな。マジ、死ぬかと思ったぞ」

 背中に回っている手を心地良く感じながら、悟空は言った。

「そのうち、慣れる」

 煙草の火を灰皿に押しつけて消すと、三蔵は悟空を抱き上げた。

「ちょ……、待て。まさか……」

 妖怪の襲撃にも無傷で残っているベッドに向かう三蔵に、悟空は慌てて逃げ出そうとした。
 が、抵抗もむなしく、ベッドにと縫いとめられてしまう。

「無理。絶対、無理。今は、無理っ」

 喚く声は、唇で塞がれて――。


 後は、静かに――なったかどうかは、わからない。
 ただ、しばらくの間、悟空がベッドから起き上がれなかったことだけは、事実であった。