美味しいものは?


嘘だろ。
目の前が真っ暗になった。あまりの衝撃に声もでない。
こんなことがあるなんて……。
「どうした?」
と、いきなり後ろから声をかけられた。
聞き間違うはずもないその声に不覚にも涙が溢れてきた。
「さんぞー」
振り向きざま、その胸に飛びこもうとして――。
スパーン。
ハリセンが振り下ろされた。
くらくらと頭が痺れて、思わずしゃがみこむ。
ひどい。
目の前の衝撃的な出来事のうえに、この仕打ち。もう立ち直れないかも。
「腹でも痛いのか?」
頭を抱えたままうずくまっていたら三蔵がそんなことを言ってきた。
「違うっ!」
思わず顔をあげた。睨みつけると、三蔵が怪訝そうな顔をした。
「お前、泣いていたのか?」
立ち上がって袖口で涙を拭った。
「だって、だって……」
うー。また涙が滲んでくる。また袖口で涙を拭い、もう一方の手で原因となっているものを指し示した。
「休み、か?」
「違うよ。よく見てよ。看板がないだろ。潰れちゃったんだっ!」
指し示した先にあるのはお店だった建物。だけど扉は堅く閉ざされている。
お気に入りだった肉まん屋。
長安の町に来たときは、必ずここの肉まんを買っていた。それなのに。
「お前なぁ……」
三蔵が額に手を当てて、呆れたような声を出した。
「なんだよ。ココの肉まんは天下一品だったんだぞ。それがなくなったら、悲しいに決まっているじゃないかっ!」
「よく見ろ」
ぐいっと頭を掴まれて、扉の前に持っていかれた。
痛い。まったく乱暴なんだから、三蔵は。
だけど。
「あれ?」
目の前に白い紙があった。そこには――
『改装のためしばらく休業いたします。またのご来店をお待ちしております』
「さんぞ、これ……」
「潰れたんじゃなくて改装だからまた営業するだろ」
「そっかー」
ほっと胸をなでおろす。
今日、肉まんを食べられないのは残念だけど、潰れたんじゃないんなら、いいや。
あー、良かった。
「安心したら、腹減ってきた。さんぞ。メシ。メシ、食いにいこっ!」
そう言って、人込みを縫って走り出す。この先に最近お気に入りの店があるのだ。
が、そこは――。
またもや呆然と立ちつくしていると。
「こっちの店は潰れたな」
しばらくしてやってきた三蔵が妙に冷静にそう言った。
「さんぞっ!」
「俺にあたるな。どっちかっていうと、お前のせいだろ、猿」
「へ?」
ワケのわからないことを言われて、気勢を殺がれる。
俺のせい?
「お前が食いすぎるからだろ」
「だって、食べ放題の店だったんだぞ。食うに決まってるだろっ!」
食べ放題。いくら食べても一定料金。
ここはそういう店だった。味も悪くなくて、凄く好きだったのに。それなのに。
「何でだよっ! いくら食べてもいいってのが食べ放題じゃんか!」
なんだかわけもわからず悔しくなる。
「なのに、どうしてだよっ。もっと根性見せろっていうんだ!」
悔しさのあまり、大声で喚き散らそうとしたところ、三蔵に腕をつかまれた。
あれっと思ったときには、凄く綺麗な紫暗の目が間近にあった。そして。
「さん……」
一瞬、唇を掠めていく感触。
頭の中が真っ白になった。
なんで。
こんなところで。
「ごちゃごちゃ言ってねーで、行くぞ」
腕から手を離し、三蔵が背を向けて歩きだした。
あまりに一瞬の出来事で、往来を行く人たちは全然、気づかなかったようだ。
あれ? と思った人はいるかもしれないけど、三蔵が不機嫌そうな顔をしてるから、見間違いと思ってるかも。
でも。
「三蔵っ!」
人込みのなかに消えていく三蔵の後ろ姿を慌てて追いかけた。そして、その腕に自分の腕をからませた。
えへへ、と自然に笑いが込み上げてくる。
「……気色悪ぃ」
三蔵が呟く。
むぅ。
どうしていつもいつもそういうことを言うかな。
でも、ま、いっか。今日は機嫌がいいから許す。
唇に残っているのは、知っているなかで一番甘い味。
それは絶対になくなるものではないから。
笑って、しがみつく腕に力をこめた。